教職について9年目のとき、久しぶりに1年生担任になった。
その学級に自閉症の男の子T君がいた。
私にとって初めてのことだった。
T君は言葉が少なく、いつもじっと椅子に座っていた。
教科書もノートも筆箱も準備することはなかった。
私がT君のそばに行き、ノートを机に広げてやると、
鉛筆を取り出し、勝手に電車の絵を描いた。
「ダメだよ。今はお絵かきの時間じゃないよ。国語のお勉強だよ。」
と、電車の絵を止めさせようとすると、
突然大粒の涙をこぼし、大声で「お母さん、かえる。お母さん、かえる。」と叫び出すのだった。
この「お母さん、かえる。」が始まると、私はもうお手上げ状態で、
仕方なくT君の家に電話をし、T君のお母さんに来てもらうのだった。
幸い、学校の近くに住まいがあったので、
いつも5分もかからずお母さんは駆けつけてくださった。
私は、その5分間をただオロオロとしているだけで、
T君の「お母さん、かえる。」を止めることができなかった。
私は、T君に振り回される毎日を送った。
そして、いつも「お母さん、かえる。」の言葉を恐れた。
しかし、徐々にではあったが、T君が分かるようになり、
少しずつ彼との距離を縮めることができた。
それでも、時折T君の思いを理解できず「お母さん。かえる。」の大声と大粒の涙に見舞われた。
1年が過ぎ、2年生になってもT君を受け持った。
その頃になると、学級の子どもたちともT君はうち解けて、過ごすことが多くなった。
時々、休み時間には学級の子どもたちと一緒に楽しく過ごした。
ある日の休み時間だった。
T君は学級のみんなと校庭にいた。
そして、私は職員室で仕事に追われていた。
その時、校庭からT君の例の泣き叫ぶ声がした。
久しぶりのT君の声に私は息を飲んだ。
しかし、T君の「お母さん、かえる。」の声のはずが、
「先生、かえる。」
と、聞こえた。
私は、校庭に走り出た。
「お母さん、かえる。」ではなく、はっきりと「先生、かえる。」と言っていた。
T君のそばに走りより、
いつもお母さんがしていたように、
ポケットに入っている真っ白なハンカチを取り出し、
T君の涙をふきながら、
「もう大丈夫だよ。もう大丈夫。先生がいるからね。」
と、私は言いながら、ボロボロと涙をこぼした。
あの時、私ははじめて教職に魅せられた気がする。
道ばたの紫陽花が綺麗
その学級に自閉症の男の子T君がいた。
私にとって初めてのことだった。
T君は言葉が少なく、いつもじっと椅子に座っていた。
教科書もノートも筆箱も準備することはなかった。
私がT君のそばに行き、ノートを机に広げてやると、
鉛筆を取り出し、勝手に電車の絵を描いた。
「ダメだよ。今はお絵かきの時間じゃないよ。国語のお勉強だよ。」
と、電車の絵を止めさせようとすると、
突然大粒の涙をこぼし、大声で「お母さん、かえる。お母さん、かえる。」と叫び出すのだった。
この「お母さん、かえる。」が始まると、私はもうお手上げ状態で、
仕方なくT君の家に電話をし、T君のお母さんに来てもらうのだった。
幸い、学校の近くに住まいがあったので、
いつも5分もかからずお母さんは駆けつけてくださった。
私は、その5分間をただオロオロとしているだけで、
T君の「お母さん、かえる。」を止めることができなかった。
私は、T君に振り回される毎日を送った。
そして、いつも「お母さん、かえる。」の言葉を恐れた。
しかし、徐々にではあったが、T君が分かるようになり、
少しずつ彼との距離を縮めることができた。
それでも、時折T君の思いを理解できず「お母さん。かえる。」の大声と大粒の涙に見舞われた。
1年が過ぎ、2年生になってもT君を受け持った。
その頃になると、学級の子どもたちともT君はうち解けて、過ごすことが多くなった。
時々、休み時間には学級の子どもたちと一緒に楽しく過ごした。
ある日の休み時間だった。
T君は学級のみんなと校庭にいた。
そして、私は職員室で仕事に追われていた。
その時、校庭からT君の例の泣き叫ぶ声がした。
久しぶりのT君の声に私は息を飲んだ。
しかし、T君の「お母さん、かえる。」の声のはずが、
「先生、かえる。」
と、聞こえた。
私は、校庭に走り出た。
「お母さん、かえる。」ではなく、はっきりと「先生、かえる。」と言っていた。
T君のそばに走りより、
いつもお母さんがしていたように、
ポケットに入っている真っ白なハンカチを取り出し、
T君の涙をふきながら、
「もう大丈夫だよ。もう大丈夫。先生がいるからね。」
と、私は言いながら、ボロボロと涙をこぼした。
あの時、私ははじめて教職に魅せられた気がする。
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