徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

九州新幹線開業で玉名の再生なるか!?

2011-03-03 14:19:38 | 熊本
 僕にとって母の実家がある玉名もふるさと。九州新幹線開業で玉名の町がどう変わるのか、とても気になっている。新玉名駅の前を何度も通ってみたが、今の状態は、東海道新幹線開通の2年後に降り立った岐阜羽島駅を思い出してしまう。
 玉名はかつて「高瀬町」として、そして「立願寺温泉」がある町としてとても栄えた町。戦後間もなかった僕の幼い頃は、まだその面影が残っていた。また母の実家がある大浜の町には大きな蔵のある屋敷が建ち並んでいたことを想い出す。
 そんな玉名で、九州新幹線開通に町の再生をかけ、その目玉にしようと、地元で多く採れる「薬草」を使った旅館料理の開発に勤しむ人々の奮闘ぶりがテレビで紹介される。

■3月4日(金)21:00~22:00
■BSジャパン 「ガイアの夜明け『再生をかけて…100年に一度の町おこし』」


昭和初期の高瀬の町の賑わい


昭和8年、桜並木が美しかった錦川沿いの道(現在の玉名地域振興局前)


大浜のかつての繁栄ぶりについては、大浜飛行場跡の入口附近に建てられたボードに詳しい説明がある。その一部を紹介すると

【歴史と廻船問屋街】
 江戸時代肥後藩の米は四蔵米の一つとして、その主産地は菊池川流域一帯であり、隈府、山鹿より積み出し高瀬町の藩倉に納め、さらに回船によって運送された。
 然るに、中期頃に至り経済発展と河川の堆積作用とのため、高瀬は漸次港としての機能を失い、3キロ下流の大浜が急速に港町として形成されたのである。大浜町では、大坂屋、長崎屋の船問屋を始め、俵屋、油屋、綿屋などの集散荷問屋を中心として、久吉丸、神亀丸、民吉丸、皆徳丸、栄喜丸など30数隻の上行きと称する中型船及び平田舟を有し、340余戸の住民殆どがかかわる経済活動の関係者であり、特色ある港町の景観を呈していて“浜千軒”と呼ぶに至る賑わいを呈していた。


多くの廻船が往来した大浜の港


かつてはこんな家々が建ち並んでいた大浜の町