前編(7月7日付参照)に続き、民俗学者・宮武省三が昭和2年に出版した「習俗雑記」の中の一章「牛深女とその俗謡について」の後編。この中で宮武は牛深ハイヤ節に「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛して来い」と唄われるほど「海上の楽園」となり得た牛深の秘密に迫っている。つまり、牛深ハイヤ節が日本全国50ヶ所といわれるほど広く伝播した背景には曲の素晴らしさもさることながら、風待ちや時化待ちをする船乗りたちの牛深湊での逗留が他の寄港地のそれとは際立って異なっていたためではないかと推測されるのである。
牛深女とその俗謡について -後編-
宮武省三著「習俗雑記」より
さればここでは姉妹同時にこの稼業をさせない。その謂れは既にお客とは夫婦関係成立するに、万一姉妹同志同じ客を争奪する鉢合せでもしたら人倫(じんりん)に悖(もと)ると言う考えからで、同じ肥前でも「瀬戸のならいか松島さほか、姉が妹の客をとる」などという俗謡のある西彼杵郡瀬戸松島あたりに比ぶれば多少女の心得も解しているのである。そしてまた今では女がお客を自分の館へ連れて行くことは出来なくなったが、元は御亭主たるべきお客が宿屋住いは不経済じゃとおっしゃって、長逗留のお客は自宅へ連れ往きて、花婿の御入来とばかりに歓迎したと言う事である。一体天草全島既に然りだがこの牛深も私が大正6年行ったときは戸数1775、男5310人に対して女5637人と言うた程女多産の地で、しかも地は全く農作に適せず海仕事一方の場所柄であるから、この女過産の地では伝来的風習であるかのごとく惣嫁(そうか)でもしなければ甲斐性のない。嫁に行く資格はないように仕込まれてできているのである。そうであるから不器量であろうが、無愛嬌であろうがここでは問題にならない。ただ本能さえ堪能さしたら文句のない嫖客(ひょうかく)にもお嬶の気分で接して人生を味わわしめるという事を繰り返していればよいのである。一度行き二度行き三度と度重なるとこの牛深情調は却ってしかつめらしい大夫(たゆう)買うよりも優に余韻があって面白くなるにちがいない。鍋釜売っても酒盛して来いとの俗謡は、それだから、この消息をよく解した通人の口から自然に湧き出たものと認められるのである。
大正の今日では出稼ぎの便も自由であるし、女もそうそうこんなつとめをしなくとも口すぎの途はあるのだから、全村挙げて女郎であったような事はないが、それでも尚その遺風と目すべきであろう、ここの現在の娼妓制度なるものが甚だしく風変りに面白く牛深の情調を不十分ながらも漂わしているのである。
手っ取り早く言うと、ここには現在公許の女郎があっても女郎屋はない。従って牛太郎もいなければ鴇母(やりて)もいない。ただ久玉という町はずれに頗る不景気な待合が設けられてあるのみである。それでは女郎裙どこにどうして御座るかと言えば他国の自前芸者と同じように各鑑札を持って自宅に鎮座ましましているのである。そして人の招きに応じてこの待合もしくは何処へなりと自由に出入りして用を足しているのである。もっとも自宅にいると言っても、「もし眼鏡の旦那はん」式に行人を呼び止める事はしない。またいずこに出入りが出来ると言っても待合外の行先で寝とまりすることは絶対に御法度となっている。要するに女郎の意志はあくまで尊重して自由行動はつとめて大目に見てやるが売春行為だけは待合で神妙にしろという掟になっているのである。
こう言うと甚だ卑猥に世間風俗を乱しやしないかと想像せられるかも知れないが事実はそうではない。女郎と言っても廓(くるわ)すまいしていないのだからアバズレはしておらず、単に生娘がその筋から鑑札貰って内職していると言うに過ぎないのであるから、何ら大っぴらに世間の耳目に触れるような濫れがましい行動をとる筈はないのである。また別に楼主を持たないのだから女郎本人も稼ぎたくなければ稼ぐ必要もなし、儲ける金も仲介人があれば一割の頭を刎ねられる外、残り全部は自己の所得となるのであるから「お茶ひきや、豆買う銭がない」という俗歌にあてはまるこの社会の苦労は知らずにすんでいるのである。要するに女郎としては最も気楽にイプセニズムの人々からも「是なら」と文句の指しようないように程よく出来ているのである。
女郎なるものが性欲の調節機関として、……感心したものではないが、一家の雪隠同様無くてはすまされぬものならば私はここのこの制度が一番理想にちかくはありやしないかと思う。よし別嬪がいなくとも、鍋釜売ってもの情調が次第に薄らぎつつあっても牛深は依然海上の一楽園としてレーゾン・デートルがあると信ずるのである。
(注)
イプセニズム…女性解放思想
レーゾン・デートル…存在理由
牛深女とその俗謡について -後編-
宮武省三著「習俗雑記」より
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大正の今日では出稼ぎの便も自由であるし、女もそうそうこんなつとめをしなくとも口すぎの途はあるのだから、全村挙げて女郎であったような事はないが、それでも尚その遺風と目すべきであろう、ここの現在の娼妓制度なるものが甚だしく風変りに面白く牛深の情調を不十分ながらも漂わしているのである。
手っ取り早く言うと、ここには現在公許の女郎があっても女郎屋はない。従って牛太郎もいなければ鴇母(やりて)もいない。ただ久玉という町はずれに頗る不景気な待合が設けられてあるのみである。それでは女郎裙どこにどうして御座るかと言えば他国の自前芸者と同じように各鑑札を持って自宅に鎮座ましましているのである。そして人の招きに応じてこの待合もしくは何処へなりと自由に出入りして用を足しているのである。もっとも自宅にいると言っても、「もし眼鏡の旦那はん」式に行人を呼び止める事はしない。またいずこに出入りが出来ると言っても待合外の行先で寝とまりすることは絶対に御法度となっている。要するに女郎の意志はあくまで尊重して自由行動はつとめて大目に見てやるが売春行為だけは待合で神妙にしろという掟になっているのである。
こう言うと甚だ卑猥に世間風俗を乱しやしないかと想像せられるかも知れないが事実はそうではない。女郎と言っても廓(くるわ)すまいしていないのだからアバズレはしておらず、単に生娘がその筋から鑑札貰って内職していると言うに過ぎないのであるから、何ら大っぴらに世間の耳目に触れるような濫れがましい行動をとる筈はないのである。また別に楼主を持たないのだから女郎本人も稼ぎたくなければ稼ぐ必要もなし、儲ける金も仲介人があれば一割の頭を刎ねられる外、残り全部は自己の所得となるのであるから「お茶ひきや、豆買う銭がない」という俗歌にあてはまるこの社会の苦労は知らずにすんでいるのである。要するに女郎としては最も気楽にイプセニズムの人々からも「是なら」と文句の指しようないように程よく出来ているのである。
女郎なるものが性欲の調節機関として、……感心したものではないが、一家の雪隠同様無くてはすまされぬものならば私はここのこの制度が一番理想にちかくはありやしないかと思う。よし別嬪がいなくとも、鍋釜売ってもの情調が次第に薄らぎつつあっても牛深は依然海上の一楽園としてレーゾン・デートルがあると信ずるのである。
(注)
イプセニズム…女性解放思想
レーゾン・デートル…存在理由