徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

柳川のさげもん

2020-02-17 21:55:50 | 歴史
 わが家の辺りは明治24年(1891)九州鉄道が熊本まで開通した時、池田駅(現上熊本駅)から熊本市街地へ通じる新道として、京町台地のへりを開削して新坂が通るまで「柳川丁」と呼ばれていた。わが祖母は町名が京町2丁目に変ってからも相変わらず「柳川丁」と呼んでいた。これは旧藩時代、京町台の東端を南北に走る小道を「柳川小路(やながわしゅうじ)」と呼んでいた名残りである。この「柳川小路」という名は、関ヶ原の戦で西軍に与して敗れた柳河立花藩の家臣団を、加藤清正が引き取って住まわせた一角であることに由来する。今では熊本都市バスのバス停名「京町柳川」にその名残りを残すのみである。
 そんなことから僕は幼い頃から「柳川」という名に親しみを感じる。今、柳川では伝統の風習「さげもん」が行われている最中だろう。何度か見に行ったことがあるが、近々また行ってみたいものだ。


北原白秋生家(柳川市沖端町)のさげもん