今日から師走。ということで朝食にお赤飯をいただいて朔日のお詣りに行った。藤崎八旛宮は摂社・末社の祭事もあり、例月の朔日よりも参拝者で賑わっていた。
師走と聞くと、次の芭蕉の句を思い出す。
節季候の 来れば風雅も 師走哉 (せきぞろの くればふうがも しはすかな)
かつては師走になると「節季で候(せっきでそうろう)めでたいな めでたいな」と囃しながら、家々を回って歩く「門付芸人(かどづけげいにん)」がいたという。明治の半ばには姿を消してしまった門付芸の名残が俗謡「節季候(せきぞろ)」として阿波徳島に残っている。芭蕉の俳句から江戸中期には「せきぞろ」を唄う門付芸人たちがいたということがわかる。
そしてその「せきぞろ」が門付芸人たちによって江戸に伝わり、花柳界で洗練されて「せつほんかいな」へと変わっていった。唄の中で囃子詞(はやしことば)として何度も「せつほんかいな」と繰り返される。「せつ」というのは「せっき」が変化したもので、「ほんかいな」というのは端唄でよく使われる「しょんがいな」と同じような一節を締める囃子詞と考えられる。
下の﨑秀五郎さんが唄う「せつほんかいな」をお聞きいただきたい。
師走と聞くと、次の芭蕉の句を思い出す。
節季候の 来れば風雅も 師走哉 (せきぞろの くればふうがも しはすかな)
かつては師走になると「節季で候(せっきでそうろう)めでたいな めでたいな」と囃しながら、家々を回って歩く「門付芸人(かどづけげいにん)」がいたという。明治の半ばには姿を消してしまった門付芸の名残が俗謡「節季候(せきぞろ)」として阿波徳島に残っている。芭蕉の俳句から江戸中期には「せきぞろ」を唄う門付芸人たちがいたということがわかる。
そしてその「せきぞろ」が門付芸人たちによって江戸に伝わり、花柳界で洗練されて「せつほんかいな」へと変わっていった。唄の中で囃子詞(はやしことば)として何度も「せつほんかいな」と繰り返される。「せつ」というのは「せっき」が変化したもので、「ほんかいな」というのは端唄でよく使われる「しょんがいな」と同じような一節を締める囃子詞と考えられる。
下の﨑秀五郎さんが唄う「せつほんかいな」をお聞きいただきたい。
﨑秀五郎さんの唄う端唄「せつほんかいな」
素敵な朔日を送られてすばらしいです。
小生は月月火水木金金じゃあないですが?何も変化なく年月が過ぎて行くようです。
60代は何かと忙しくしていたようですが、古希を過ぎるとあっと言う間に1年が終わるような気がします(笑)。
「節季で候めでたいなめでたいな」って世の中が平穏で不自由も少なかった時代の名残なにでしょうか?
﨑秀五郎さんって水野詩都子と「東海風流プロジェクト」をやられた人ですね。
動画を聞いて、あれっ、女性だと違うぞと早とちりしていました。
>「せつ」というのは「せっき」が変化したもので、「ほんかいな」というのは端唄でよく使われる「しょんがいな」と同じような一節
なるほど、ここだけ分かり易いです(汗)
有難うございました。
1年ほど前にNHK-BSで放送されていた小芝風花主演のドラマ「あきない世傳 金と銀」でも出てきましたように、かつては売掛金回収は年に一度の「節季払い」、師走に回収していたわけです。つまり師走は金廻りが盛んになりますので、それに付け込んで門付芸人たちが「節季で候 めでたいな」と囃しながら家々を回って芸を見せ、喜捨をいただいていたわけです。
端唄は﨑秀五郎さんのように高い声も出さなくてはならないのでムズカシイですね(^^♪