このところの寒さで外歩きは控えていたが、そろそろ運動不足が気になりだしたので、神社への年末お礼参りを兼ねて久しぶりに散歩した。加藤神社はお礼参りの参拝者で賑わっていた。かかりつけ医からインフルエンザが流行しているので人混みは避けるよう言われていたことを思い出し、今日は鳥居の下から遥拝するにとどめた。
二の丸広場を通り抜け、護国神社へ行くとこちらは数人しか見えなかったので拝殿前まで進んで参拝した。すっかり正月の装いが整っていた。鳥居下の「終戦より八十年」の看板が目についた。終戦は昭和20年8月。僕はこの年度の生まれなので感慨深いものがある。
正月の装いが整った熊本県護国神社
新年は終戦から80年
護国神社から二の丸広場へ戻る途中、住江門跡を通りながら、ふと住江金之(すみのえきんし)博士のことを思い出した。住江博士とは熊本県御船町出身の醸造学の権威である。御船町の地酒醸造元に生まれた博士は五高、東大を出たあと、細川家の重臣住江家の養子に迎えられた。住江門とは近くに住江家の邸があったことから名付けられたもの。
つい先日、日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に正式登録され、熊本県の酒造関係者も大喜びというニュースが流れていたが、住江博士もその歴史を築いたお一人として喜んでおられることだろう。
住江門跡
二の丸広場を通り抜け、護国神社へ行くとこちらは数人しか見えなかったので拝殿前まで進んで参拝した。すっかり正月の装いが整っていた。鳥居下の「終戦より八十年」の看板が目についた。終戦は昭和20年8月。僕はこの年度の生まれなので感慨深いものがある。
正月の装いが整った熊本県護国神社
新年は終戦から80年
護国神社から二の丸広場へ戻る途中、住江門跡を通りながら、ふと住江金之(すみのえきんし)博士のことを思い出した。住江博士とは熊本県御船町出身の醸造学の権威である。御船町の地酒醸造元に生まれた博士は五高、東大を出たあと、細川家の重臣住江家の養子に迎えられた。住江門とは近くに住江家の邸があったことから名付けられたもの。
つい先日、日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に正式登録され、熊本県の酒造関係者も大喜びというニュースが流れていたが、住江博士もその歴史を築いたお一人として喜んでおられることだろう。
住江門跡
はっはっは、我が家も1/1に孫たちがやって来るのを楽しみにしていたら孫たちがインフルエンザにかかっていて中止となりました。
>今日は鳥居の下から遥拝するにとどめた。
なるほど、遥拝という作法を知りませんでした。
加藤神社に護国神社は歩いていくことが出来る距離にあるんですか。
いいですね~。
>鳥居下の「終戦より八十年」の看板が目についた。
テレビをいろいろ観ていますが、「戦争を知らない子供たち」だった私も感慨深いです。
FUSAさんは年が明けると数えの80歳なんですね。
熊本県護国神社は新しい印象ですが、地震で建て直したんですか。
>「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に正式登録され、熊本県の酒造関係者も大喜びというニュースが流れていたが・・・
五高、東大、住江博士とは醸造学にもそれだけの科学が入っているのですね。
「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産というニュースはぼんやり見ていました。
石垣には倒壊防止の網が掛けられているのですか。
有難うございました。
加藤神社と護国神社はともに熊本城内です。歩いて10分くらいの距離です。
年が明けると私は79になります。同級生たちの多くが来年80になります。
護国神社は明治初期に別の場所で創建されました。現在の場所は西南戦争まで藤崎八旛宮があったところで、現在の護国神社の社殿は昭和30年代に入ってから建てられたようです。
住江博士は実家の酒蔵の伝統的な酒造りに科学的な裏付けをされたといったところでしょうか。
石垣崩落の範囲が広すぎて修復の順番がいつまわってくるかわかりませんので、モルタル吹き付けや金網を掛けたりして保護しています。