今年の初午は12日。熊本城稲荷神社では今日、初午大祭のプレ行事「福迎え御神幸行列」が行われた。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが街中を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。また街行く人々にはお守りや福餅を配布した。
稲荷神社の主祭神は、商売繁昌・五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という名の女神。そしてその使いが白いキツネ。加藤清正が熊本城築城の際に城の守護として勧請したという熊本城稲荷神社にはもう一つ別のキツネ伝説がある。
加藤清正が羽柴秀吉の小姓として仕えていた近江長浜で、侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞いに、二匹の兄弟キツネが感服。将来を見込み、二匹のキツネは霊狐として清正を守護することになった。清正が24歳の時、秀吉から肥後北半国19万5千石を与えられ、肥後国に入るが、二匹のキツネも一緒にやって来て、兄のキツネは「清藤大明神」として花岡山に、弟のキツネは「緋衣大明神」として茶臼山に祀られた。今日も熊本城稲荷神社境内に祀られている「緋衣大明神」がそれである。
街中を練り歩き、商店を巡って「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願する御神幸行列
稲荷神社の主祭神は、商売繁昌・五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という名の女神。そしてその使いが白いキツネ。加藤清正が熊本城築城の際に城の守護として勧請したという熊本城稲荷神社にはもう一つ別のキツネ伝説がある。
加藤清正が羽柴秀吉の小姓として仕えていた近江長浜で、侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞いに、二匹の兄弟キツネが感服。将来を見込み、二匹のキツネは霊狐として清正を守護することになった。清正が24歳の時、秀吉から肥後北半国19万5千石を与えられ、肥後国に入るが、二匹のキツネも一緒にやって来て、兄のキツネは「清藤大明神」として花岡山に、弟のキツネは「緋衣大明神」として茶臼山に祀られた。今日も熊本城稲荷神社境内に祀られている「緋衣大明神」がそれである。
街中を練り歩き、商店を巡って「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願する御神幸行列
熊本城稲荷神社音頭
作詞:南良輔 作曲:本條秀美 唄:米田寅男
踊 り:舞踊団花童
三味線:本條秀美と秀美社中
囃 子:中村花誠と花と誠の会
作詞:南良輔 作曲:本條秀美 唄:米田寅男
踊 り:舞踊団花童
三味線:本條秀美と秀美社中
囃 子:中村花誠と花と誠の会
>宮司や今年の福男と福娘たちが街中を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。
読ませていただいて、私は外国で暮らしているかのように感じました(汗)
街行く人々へのお守りや福餅の配布まであるのですか!
>侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞い・・・二匹のキツネは霊狐として清正を守護することに
いや~、ますます日本文化から離れたところに居る気がします。
昨日記した歴史番組も無意味ではないですが、やたら日本史の醜さばかり出てきて、まるで現代のゴシップ週刊誌の羅列みたいな面も感じます。
清正は24歳で19万5千石も与えられ、よく肥後に入って国を納められたものですね。
現代だと営業所長でも無理だと考えられますのに・・・(笑)。
「清藤大明神」に「緋衣大明神」としてに祀られたのですか。いい話です。
有難うございました。
関西から栃木に来て、初めて食した郷土料理でした。スーパーで買って、食べたのですがね。見た目のわりにおいしいこと。食わず嫌いにならずに良かったです。しゃけの目玉には驚きでした。
加藤清正の霊狐伝説のことを知ったのもその頃です。
那須にいた頃、知人の料理人からよく聞いていました。実際食べたのは一度か二度しかなかったと思います。