徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

サツマイモ & いも焼酎

2024-12-03 19:41:14 | 日本文化
 長嶺でパソコン教室を開いていた頃、習いに来ていたMさんにはいまだにお歳暮として阿蘇西原村産のサツマイモをいただく。ありがたいことだ。今では多くの自治体などで品種改良を重ねたブランドサツマイモが生産されているが、かつてはサツマイモが日本人の命を支えてきた。
 サツマイモとそれを原料とするいも焼酎のエピソードを二つ。

 父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃の様子を記した備忘録によれば、父が受け持ったクラスには40名ほどの生徒がいたが、その4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されている。当時の天草は貧しい地域で、「口減らし」として子守奉公に出されたり、「からゆきさん」として売られていく少女たちもいたという。「かんちょ」は貧しく哀しい当時の人々の生活の象徴だったのである。

 今でもサツマイモの生産量は鹿児島県が1位だそうである。その生産量の30%ほどが焼酎の原料になっているという。
 今から56年ほども前のこと、僕は仕事で南九州を車で巡る旅をした。水俣・出水を経て霧島の方へ進むと、大口を過ぎたあたりで日が暮れた。川内川沿いに菱刈温泉という小さな温泉場があったので、一軒の古い旅館に泊まることにした。夕食も終わり、温泉で疲れを癒した後、さて就寝しようとしたのだが、別の部屋で行われている宴会の歌声や手拍子、そして小さな旅館内に、燗したいも焼酎の匂いが充満してとても眠れる状態ではなかった。当時は僕は焼酎は一切口にしたことがなく、いも焼酎の匂いがキツかった。やがて「鹿児島おはら節」を唄い始め、宴会はますます盛り上がった。そのうち酔っぱらった人が僕の部屋に転がり込んできたりして、とても寝ていられる状態ではなくなった。やむなく何度も風呂に退避するしかなかった。とんだ菱刈温泉の夜の思い出である。



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2 コメント

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おはようございます (九州より)
2024-12-04 09:04:03
昔の温泉への慰安旅行を思い出します。
宴会が果てて部屋に戻っても、遅くまで飲んでいたものです。
朝起きたら他人の部屋に寝ていたという人もいました。
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Re:九州より様 (FUSA)
2024-12-04 09:20:48
昔の慰安旅行はそんな感じでしたね。
宿での宴会は一次会で、その後、飲み屋などへ繰り出してへべれけになって宿へ帰ったものです(笑)
今ではそんなことはなくなったのでしょうか。
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