徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ふるさと ~熊本地震6年~

2022-04-14 17:12:08 | 熊本
 熊本地震の前震から今日で6年。短かかったようでもあり、長かったようでもある。加藤神社へ向かって歩いているとサイレンが鳴り始めた。黙祷の合図だなと思い、立ち止まって1分間の黙祷。
 熊本県庁で行われた追悼式で蒲島知事は「誰一人取り残されることなく安心して暮らせる熊本を築いていく」と誓いの言葉を述べていたが、はたして確実にそうなるような施策が打たれているのかどうか点検し直す必要があると思う。


午前10時のサイレンを合図に手を合わせ黙祷する子どもたち


鎮魂と復興への祈りを込めて


     ▼嵐の熊本地震被災者への応援メッセージソングとして歌われた「ふるさと」
(作詞:小山薫堂 作曲:youth case)

復活!吹奏楽の旅

2022-04-13 22:08:37 | 音楽芸能
 笑ってコラえて!(日テレ)の人気企画「吹奏楽の旅」が復活した。8年ぶりだそうだ。この企画が大好きで、ほとんど欠かさず見ていたのでまた楽しみができた。復活第1回は昨年、わずか13人で吹奏楽コンクール全国大会まで勝ち上がった鹿児島県奄美市立朝日中学校の奇跡にスポットを当てた。

 思えば吹奏楽ファンになってもう50年になる。それは玉名女子高吹奏楽部とのご縁ができてからだ。50年前、ブリヂストン吹奏楽団久留米を玉名に招いて演奏会を開いた時、当時のブリヂストン吹奏楽団久留米の指揮者でもあり、日本の吹奏楽のレジェンドでもあった小山卯三郎先生にお目にかかった。昭和40年公開の東宝映画「戦場に流れる歌」(監督:松山善三 音楽:團伊玖磨)は、團伊玖磨先生の著書「陸軍と楽隊始末記」の映画化で、この映画で加山雄三が扮する軍楽隊長小沼中尉のモデルが小山卯三郎先生の若き日の姿だということもその時知った。
 また小山先生は玉名のご出身でもあり、当時、小山先生の娘婿にあたる森先生が玉名女子高を指導されていたと記憶している。だからブリヂストンと玉名女子高は兄妹弟子ですよというようなお話を伺った覚えがある。それ以来、玉名女子高吹奏楽部のファンとなった。その後、当時の玉名女子高校校長だった三浦強助先生に、家内が玉名女子高のOGでもあったことからご媒酌をお願いしたりしてますます縁が深くなった。その頃はまだ、全国では無名の学校だった玉名女子高が、今や全国トップレベルの吹奏楽部になった。感慨無量である。
 さて、コロナの影響もあって玉名女子高の演奏会とも縁遠くなっているが、今年度の仕上がり具合はどうなのだろう。

   ▼マードックからの最後の手紙(玉名女子高校吹奏楽部 指揮:米田真一)

牛深ハイヤ祭り

2022-04-12 21:45:40 | イベント
 今週末、16・17日には第50回牛深ハイヤ祭りが行われる。ここ2年、コロナ禍のため一部中止や延期が続き、今年も新型コロナ感染拡大防止のため、本来3日間の予定を2日間に短縮して行われるという。

 残念ながら今年も現地には行けそうにないので、これまで撮影した牛深ハイヤ節の映像を再見して楽しむことにしよう。
 時期も場所も演者も異なる四様の「牛深ハイヤ節」のそれぞれの持ち味を楽しみたいと思う。











宴 華やかなりしあの頃

2022-04-11 17:09:57 | イベント
 今週(14日・16日)、熊本地震から6年となる。その1年前のちょうど今頃、熊本城本丸御殿では、4月4日から5月30日の毎週土曜日の夜、全9回にわたり「春の宴」が開催された。民謡、筝曲などの邦楽や、童謡、クラシック音楽等々、幅広いジャンルのパフォーマンスが繰り広げられたが、中でも9回のうち3回登場し、メインキャストとなったのが舞踊団花童だった。
 演目は主要なものだけでも

 ・熊本城稲荷神社音頭 ・潮来音頭/潮来甚句 ・鹿北茶山唄 ・なすとかぼちゃ ・銚子大漁節
 ・俚奏楽 民謡七福神 ・俚奏楽 雪の山中 ・久留米そろばん踊り ・キンキラキン ・ひえつき節
 ・たわらはごろごろ ・絵日傘 ・福連木子守歌/五木子守歌 ・小坪いかとり歌 ・手古舞木遣り
 ・くまもと音頭 etc.
 と多岐にわたり、会場となった大広間を華やかに盛り上げた。
 もし、熊本地震なかりせば、本丸御殿の「春の宴」は今も続いていたかもしれない。華やかなりしあの頃が懐かしく思い出されてならない。


終宴後、本丸御殿を出てライトアップされた天守閣を見上げると春の夜風が心地よかった。


この年、「春の宴」は6年目に入り、大広間の一体感が醸成されていた。


肥後のお殿様へ献上されていた鹿北茶の収穫風景を唄った「鹿北茶山唄」

マチナカは「くまもと花博」モード

2022-04-10 20:54:48 | イベント
 先月19日、「くまもと花博」初日にメイン会場の花畑広場に行った時はあいにく雨が降り出し、あまりよくわからない状態で帰ったので、快晴となった今日、朝から再び花畑広場を訪れた。さすがに日曜日でも午前中はそれほど人出もなく、陽光の下で鮮やかな彩の花々を満喫した。マチナカの上通、下通、サンロード新市街も花博モードに設えられていた。


花博メイン会場の花畑広場


ステージではバイオリンとピアノのデュオによるジャズ演奏


サンロード新市街の「山鹿灯籠まつり」ブース。「ヨヘホ節」が流れる


上通びぷれす広場では高校生による「さくらコンサート」。済々黌弦楽部の演奏。

綾子舞と阿国歌舞伎

2022-04-09 20:58:18 | 伝統芸能
 先日の、柏崎銘菓「綾子舞ものがたり」の話に続いて、今日はその新潟県柏崎市の伝統芸能「綾子舞」と「阿国歌舞伎」の関係について深掘りしてみた。

 「綾子舞」の由来は諸説あるようだが、京から伝来したものであることは間違いないようだ。それでは「綾子舞」が「阿国歌舞伎」の面影を残しているといわれるのはなぜなのか。それは江戸・慶長期に描かれた歌舞伎図鑑(徳川美術館蔵)の初期の歌舞伎絵図が今日の「綾子舞」と酷似していることや「小原木踊」「常陸踊」など、「綾子舞」と「阿国歌舞伎」に共通する演目があることなどがその根拠となっているようだ。

     ▼歌舞伎図鑑(徳川美術館蔵)より



 共通演目のうち、例えば「小原木踊」については「コトバンク」に芸能史研究家の小笠原恭子さんによる次のような解説が記されている。

 中世末から近世初頭にかけて流行した踊歌(おどりうた)。中世小歌にもよまれている京都八瀬の大原女の姿をうたったもので、中世後期からの風流(ふりゆう)踊の盛行とともに諸国に広まった。歌舞伎踊を創始する以前の、出雲のお国も踊っている。〈沈(じん)や麝香(じやこう)は持たねども、におう(荷負う、匂う)てくるは焼(たき)もの〉などの歌詞を持つ。その断片は、江戸時代の歌謡の中にとり入れられて長く伝わった。



 また「綾子舞」と「阿国歌舞伎」の関係について推測できる次のような史料がある。それは戦国武将、薩摩の島津家久が天正3年(1575)に薩摩から京に上った時の旅日記「家久君上京日記」という文書。その中に、帰路、温泉津(ゆのつ:島根県大田市)で、不思議な踊りを演じる出雲衆と出会うくだりがある。そこにはこう書かれている。

一 廿五日打立行に肝付新介ニ行合候、加治木衆三十人ほと同行、さて西田の町を打過、湯津に着、
  其より小濱といへる宮の拜殿にやすらふところに、伊集院に居る大炊左衛門、酒うり持参、さて
  湯に入候へは、喜入殿の舟に乗たる衆、秋目船の衆、東郷の舟衆、しらハ衆、各すゝを持参り候、
  其より小濱のことくまかり出雲之衆、男女わらハへあつまりて能ともなし、神まひともわかぬ
  おひいれ、出雲哥とて舞うたひたる見物し、


 この赤字の部分に注目すると、「男女わらハへ=男女童」子供たちの集団であること。「能ともなし、神まひともわかぬおひいれ」能舞でもなく神舞(神楽舞のことか)でもない。この表現はまさに「綾子舞」の特徴を表している。「おひいれ=おびいれ?」について解説した文献は見当たらないが、「おもいいれ」のことを言っていると思われる。「出雲哥とて舞う」出雲の歌とは大社(出雲大社)の神楽歌のことか。この出雲衆は大社の勧進を行う一団とも考えられる。この出雲衆の中に幼いお国がいた可能性を指摘する研究者もいる。もし、いたとすると3歳くらいだが、今日でも日本舞踊の熟達者には2、3歳から始めた人は多く、ありえない話ではない。お国の出自は大社の巫女という説もここら辺から出てきたとも考えられる。そんなわらべの集団の踊りが後に「ややこ踊り」となり、「かぶき踊り」と発展して行ったことは十分考えられる。

   ▼参考:能舞と神楽舞(「家久君上京日記」ではこのどちらでもないという)



散る花を 惜しむ心やとどまりて

2022-04-08 19:42:10 | 
     散る花を 惜しむ心やとどまりて また来ん春の たねになるべき(西行)

 夏を思わせる日差しのなか加藤神社へ出かけた。熊本城周辺の桜が風に吹かれて散ってゆく。桜の季節の終わりを実感する。毎年のことだが待たされた割にはあっけなく散ってゆく。その儚さが日本人の心の琴線に触れるのだろう。西行法師は「人々の桜を愛でる気持がずっと残っているから、再び来る春を迎える気持の種となるだろう」と詠んでいるのだろう。
 


 帰路、中坂を下り新坂を上っていたら道端のヤマフジが咲き始めていた。昨年はとうとう咲かなかったので今年は咲くのだろうかと気になっていた。季節の花は桜から藤へとバトンタッチだ。そういえば1週間後はもう藤崎宮の藤まつりだ。


綾子舞ものがたり

2022-04-06 19:01:33 | 伝統芸能
 今朝、思いがけない宅急便が届いた。発送者は新潟県の柏崎観光協会とあった。そこでハッと思い出した。半月ほど前だったか、柏崎市の伝統芸能「綾子舞」についてネットで調べていて柏崎観光協会のサイトに入ったら、クイズに応募して当選したら柏崎銘菓が当たるというコーナーがあった。簡単なクイズだったので解答を送信した。それっきり忘れていたがまさか当選するとは。今までこの手の応募で当たったためしがない。これをきっかけに運が向いてくればいいのだが (^^♪

 その送られてきたお菓子が写真の「綾子舞ものがたり」である。
 10年ほど前、慶長15年(1610)春、加藤清正が阿国歌舞伎を招き、鹽屋町三丁目(現熊本市中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことについて調べていく過程で「綾子舞」の存在を知り、YouTubeの映像を見たり、文献を調べたりしている。「綾子舞」は阿国歌舞伎の踊りの面影を色濃く残していて、芸能史の重要な資料として注目されているという。今回の出来事で現地で公演を見たいという気持がさらに強くなった。





   ▼綾子舞「常陸踊」

2022陸上シーズン開幕!

2022-04-05 20:08:37 | スポーツ一般
 今年も熊本では「金栗記念選抜中長距離大会」で陸上競技の2022シーズンが始まる。
 今大会の目玉は女子中長距離のエース田中希実選手。1500mにエントリーしている。彼女は昨年も出場したので見に行きたかったのだが、コロナ禍の中、自重し、ライブ配信で我慢した。今年こそと思っていたが熊本のコロナ感染状況が再びあやしい雲行きになってきたのでどうやらまたライブ配信観戦になりそうだ。
 東京2020は一人観戦ボイコットしていたのでリアルタイムで彼女の走りを見ていなかった。後日、映像を見て感動した。8位とはいえ、メダルに匹敵する快走だったと思う。なんといってもあの勇猛果敢に突進していく潔さが大好きだ。 


先頭を走る田中希実選手

清少納言 ~星はすばる~

2022-04-04 23:01:48 | 日本文化
 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の記事で主題歌「アルデバラン」に触れたが、「アルデバラン」は「すばるのあとぼし」ともいわれるというので「すばる」のことを思い出した。谷村新司さんの「すばる(昴)」が有名だが、「アルデバラン」を作った森山直太朗さんは「すばる(昴)」へのオマージュでもあったのだろうか。

 清少納言の「枕草子」の「星は」の條に「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。・・・」という一節がある。星と言えばまず「すばる」を挙げた清少納言の心のうちはわからないが、千年を隔ててもなお人は同じ星に願いをかけることに感動する。
 ところで、清少納言は平安時代中期に肥後国司を務めた清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘。昭和7年に出版された熊本市史には、清少納言が肥後へやって来た形跡がないか調べたような記述がある。残念ながらそれらしい史料は見当たらなかったようだ。彼女が10歳前後だった頃に父元輔が周防国司として赴任した時は同行したことがわかっているが、肥後下向の頃はもう20代半ばで、結婚、離婚などを経験している頃だから、おそらく肥後へ来ることはなかっただろう。彼女が一条天皇の中宮定子に仕え、「枕草子」を書き始めるのは父元輔が任地肥後で亡くなった後のようだ。


清原神社(熊本市西区春日1)

On The Sunny Side Of The Street

2022-04-03 22:40:11 | ドラマ
 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」はいよいよ最終週。ネット上では伏線回収の納得性について様々な意見が飛び交っている。たかが創作ドラマと言うのも憚られる状況だ。
 それはさておき、このドラマほど「音楽が立った」朝ドラも珍しい。サッチモ(ルイ・アームストロング)が歌う「On The Sunny Side Of The Street」がモチーフになっているし、ヒロインの名前にも引用されているくらいだから当然といえば当然なのだが。
 また、主題歌「アルデバラン」が素晴しい。しっとりとしたラブバラードから始まり、後半はまるでゴスペルだ。作詞・作曲の森山直太朗はすごい。しかし、この歌は「カムカムエヴリバディ」のために書き下ろしたわけではなく、環境問題のメッセージソングとして書いた原型があったらしい。それにしてもこの波乱万丈のドラマにふさわしい良い歌をあてたものだと思う。
 さて、最終週の展開やいかに。

   ▼On The Sunny Side Of The Street(ルイ・アームストロング)


   ▼アルデバラン(AI)

吉野宮ものがたり ~北原 香菜子~

2022-04-02 21:52:40 | 音楽芸能
 7年前、「くまもと全国邦楽コンクール」の各年度最優秀者による「邦楽新鋭展」において、第12回最優秀賞の薩摩琵琶奏者・北原香菜子さんが演奏した「琵琶経 ~3.11後の供養曲~」に感動した。その後、彼女がCD「吉野宮ものがたり」をリリースしたという情報を宮崎県諸塚村さんのサイトで知り、すぐに購入した。以来、何度も聴いているが、つい最近、諸塚村さんのフェイスブックにこの曲の映像が紹介されていた。素晴らしいロケーションの映像を楽しみながら聴くことができる。

 この曲は宮崎県諸塚村に伝わる悲劇の琵琶盲僧の話をもとに創作されたもの。南北朝時代(1337–1392)、吉野朝廷(南朝)から密命を帯びた琵琶盲僧が肥後へ向かう途中、九州山地の最奥、諸塚村境の峠で盗賊に襲われ命を落としたという。諸塚村ではこの盲僧を祀った吉野宮で500年にわたり、命日に「座頭神祭」を執り行い供養してきたという。

 「座頭神祭」には北原さんが現地を訪れて琵琶演奏をしていたそうだが、コロナ禍により今年を含め、3年続けて祭が中止になったことも映像公開のきっかけになったようだ。「座頭神祭」を以前のように開ける日が早く来ることを祈りたい。




桜花散るを惜しまぬ人やある

2022-04-01 23:08:53 | 日本文化

本妙寺の桜

 桜もだいぶ散り始めた。舞い散る花びらもまた風情があってよし。毎年のことながら、儚い桜の季節が過ぎ去ろうとしている。そしてまた人々は来年の桜を楽しみに待つ。延々と繰り返される人の営みである。
 この時季には決まって
「春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」
という大友黒主の歌を思い出す。

 この歌を引用した謡曲(能)が「熊野(ゆや)」。平宗盛と愛妾熊野は花見にやって来たが、病の床に臥す故郷の母への思いで熊野は沈みがち。春爛漫の中、心ならずも酒宴で舞を舞っていると、急に時雨が来て、花を散らしてしまう。熊野は母を思う歌を詠む。その歌はかたくなな宗盛の心に届き、ようやく帰郷が許される、というお話。

 夏目漱石はこの謡曲「熊野」がお気に入りだったようで後架(便所)の中でも呻っていたという。その様子は「吾輩は猫である」の中に描写されている。


能「熊野」


「熊野」を思い出すと必ず舞踊曲「桜月夜」も合わせて思い出す。「桜月夜」は「熊野」の世界を舞踊化したもの。