4月18日(木)羽咋市千路(ちじ)のしだれ桜を見に行きました。
見事な枝垂れ桜の庭園を見た後、久しぶりの羽咋だったので、
気多大社へ行くことにしました。
高校生の時に行ったきり、一度も訪れていません。
場所もすっかり忘れているので、カーナビを頼りに行きました。
懐かしい大きな鳥居が見えてき、この大鳥居の下で
記念写真を撮ったことを思い出しました。
大きな駐車場は、がら空き。数台しか停まっていません。
平日で、行事も何にもない神社へお参りする人はいないのが当たり前かもしれませんが、
私が高校生だったころは、もっともっと参拝客のある神社だったのでは?と、思いました。
大鳥居をくぐって境内へと進みました。
うっそうと茂った原生林を背景にした荘厳な本殿です。
気多大社(ケタタイシャ)
天平20年、当時の越中国守 大伴家持が能登巡行の折に「気太神宮」に赴いたと
「万葉集」にあり、平安時代の神社台帳には、名神大社として列しています。
大正時代に国幣大社に列し、「気多大社」とされた。
創建2000年を数え、縁結びの大黒様を祭っている能登一宮の大社です。
順路に沿って歩くと、縁結びの祈願をする建物(撮影禁止)を通り抜け、
本殿に参拝、北陸地方随一の原生林いらずの森の前を通り、
学問の神、菅原神社へと回るようになっていました。
北陸では珍しい校倉造の宝物殿
いらずの森の入口、小さな鳥居
暗い境内で一際目をひいた椿の落花
合格橋を渡って合格祈願
とても寒かったので、さっと一回りして、神社横の休憩所で、食事をしようと入ったが、
休憩所には、店番の方が一人、コーヒーと甘酒だけで、食事はできませんでした。
売店には、ご当地の土産物、干物や海産物、ご当地焼き(名前はわかりません)陶器などが
販売されてましたが、 だ~れもお客がいなく、さびれた感じでした。
コーヒーを飲みながらおばさんの話を聞くと、
お正月の初詣と、大社のお祭りで奇祭ともいわれる「鵜祭り」の時は、
大変な人出があるとのことでした。
海草がたっぷり入った”漁師のまかない汁”と ”開運祈願巻”せんべいを買ってきました。
気多大社を後に、立ち寄り湯へ行くことにし、「ユーフォリア千里浜」へ寄りました。
大きな温泉と、温水プールなどの総合施設のようでした。
源泉は薄茶色で、濁り湯、露天風呂は、滝のように源泉が流れ落ちる
とても気持ち良いお風呂でした。
千里浜なぎさドライブウェーへは行かずに、帰宅してしまいました。
見事な枝垂れ桜の庭園を見た後、久しぶりの羽咋だったので、
気多大社へ行くことにしました。
高校生の時に行ったきり、一度も訪れていません。
場所もすっかり忘れているので、カーナビを頼りに行きました。
懐かしい大きな鳥居が見えてき、この大鳥居の下で
記念写真を撮ったことを思い出しました。
大きな駐車場は、がら空き。数台しか停まっていません。
平日で、行事も何にもない神社へお参りする人はいないのが当たり前かもしれませんが、
私が高校生だったころは、もっともっと参拝客のある神社だったのでは?と、思いました。
大鳥居をくぐって境内へと進みました。
うっそうと茂った原生林を背景にした荘厳な本殿です。
気多大社(ケタタイシャ)
天平20年、当時の越中国守 大伴家持が能登巡行の折に「気太神宮」に赴いたと
「万葉集」にあり、平安時代の神社台帳には、名神大社として列しています。
大正時代に国幣大社に列し、「気多大社」とされた。
創建2000年を数え、縁結びの大黒様を祭っている能登一宮の大社です。
順路に沿って歩くと、縁結びの祈願をする建物(撮影禁止)を通り抜け、
本殿に参拝、北陸地方随一の原生林いらずの森の前を通り、
学問の神、菅原神社へと回るようになっていました。
北陸では珍しい校倉造の宝物殿
いらずの森の入口、小さな鳥居
暗い境内で一際目をひいた椿の落花
合格橋を渡って合格祈願
とても寒かったので、さっと一回りして、神社横の休憩所で、食事をしようと入ったが、
休憩所には、店番の方が一人、コーヒーと甘酒だけで、食事はできませんでした。
売店には、ご当地の土産物、干物や海産物、ご当地焼き(名前はわかりません)陶器などが
販売されてましたが、 だ~れもお客がいなく、さびれた感じでした。
コーヒーを飲みながらおばさんの話を聞くと、
お正月の初詣と、大社のお祭りで奇祭ともいわれる「鵜祭り」の時は、
大変な人出があるとのことでした。
海草がたっぷり入った”漁師のまかない汁”と ”開運祈願巻”せんべいを買ってきました。
気多大社を後に、立ち寄り湯へ行くことにし、「ユーフォリア千里浜」へ寄りました。
大きな温泉と、温水プールなどの総合施設のようでした。
源泉は薄茶色で、濁り湯、露天風呂は、滝のように源泉が流れ落ちる
とても気持ち良いお風呂でした。
千里浜なぎさドライブウェーへは行かずに、帰宅してしまいました。