同じ昔話でも、地域や伝承者によって細かい点で異なっており、これに再話を含めると、さらに多い。
「三枚のお札」も
・小僧さんがでかける目的が、栗拾いだったり、山菜取り、花を摘むなどさまざま。
・札も、和尚がくれたり、便所の神様がくれる二通りある。
・そして、最後の場面もさまざま。
豆にばけた鬼婆を、和尚が食べてしまう。
和尚は小さくなった鬼婆を壺に閉じ込め、お経で封印してしまう。
鬼婆を小さな虫に化けさせ潰してしまう。
和尚の機転で小僧が鶏のマネをすると、鬼婆は夜明けを恐れて山に逃げ帰っていく、など。
こうしてみると伝承者の方が楽しんで工夫したかのようにも思える。
・三枚のお札(日本の昔話5 ねずみのもちつき/おざわとしお・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1995年初版)
小僧さんが、冬木を山にとりにいくというもの。冬木というのは耳慣れないが仏様におそなえするものという。
小僧さんが逃げ出すとき、針の山、火の山、川がでてくる。
最後は、鬼ばさが、井戸の中に飛び込んで閉じ込められてしまいます。
ここででてくる鬼ばさの髪にむかでやとかげがいて、小僧さんが真っ赤な火ばしで追うと、鬼ばさはうまそうに食べてしまう怖い場面があります。
・三枚のおふだと鬼ばんば(山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会編/日本標準/1978年)
鬼ばんばと小僧さんのとのやり取り。
「うんこ出たくなった」(小僧)「囲炉裏にしろ」(鬼ばんば)「火の神からしかられる」(小僧)
「うんこ出たくなった」(小僧)「囲炉裏にしろ」(鬼ばんば)「火の神からしかられる」(小僧)「んだら、庭さたれっ」(鬼ばんば)「土の神からしかられる」(小僧)
火の神、土の神からでてくるというのは、あまりみられません。
小僧さんは、和尚さまのところで地蔵に化けます。そして鬼ばんばは、囲炉裏にあぶさっていたクリがはねて顔にあたり驚いて逃げ帰っていく結末。
鬼ばんばが逃げていくときの捨てセリフに真実味があります。「おら、たいていのことなら先さきのことがわかるけんど、このクリだけは、わかんねえかった。ああ、人間にはかなわねえ」
・三省堂版(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子/2003年改訂新版)では、和尚さまがとめるのもきかず、小僧が栗ひろいにでかけます。
小僧がでかけるときに和尚が「困ったときに仕え」と三枚の札をくれる。
栗ひろいにいった小僧は鬼ばばあにだまされ、あぶなく食べられそうになり、便所に身をひそめて、すきを見て逃げ出そうとしますが、腰になわをまかれているので逃げられません。
ここで和尚からもらった札をつかって便所から逃げ出すが、すぐに追いつかれ、もう一枚の札をつかって砂山を出現させるが、またすぐに追いつかれ、もう一枚の札で川を出現させて、ようやく寺までたどり着きます。
追いかけてきた鬼ばばあは、和尚と化けくらべをすることになり、小さくなったときに和尚から食べられてしまいます。
・こぞうと鬼ばば(宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年)
出だしは豆腐を買いに行き、鬼ばばにつれられて山へ行きます。
類似の話に出てこない「入道坊主」がでてきます。逃げ出すところで入道坊主と ばんばの掛け合い。
「通しぇろ、この坊主」「通しぇね、このばんば」
「通しぇろ、この坊主」「通しぇね、このばんば」
ばんばが、入道坊主を振り切って、小僧を追いかけますが、どのようにして勝ったのがでてこないので、想像するしかありません。
和尚さんが、鬼ばばを、豆、さらにご丁寧に、納豆にばけさせ、焼いていた餅につけて食べてしまいます。
「スッタンタン、スッタンタン、おぎーてスーボリつら)見ろ」
「スッタンタン、スッタンタン(こぞうさんの名前)、おぎーてスーボリつら(鬼ばば)見ろ」というのも、ほかに見られません。
・三枚のお札(岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年)
ほかの地域よりややみじかめ。
大人でも手に余してしまうわらしが主人公で、類似の例にはあったことがありません。
はじめから鬼退治にいき、赤鬼、青鬼が恐ろしくなり逃げ出します。和尚さんからもらったお札で、クギ山、バラ山、海を出して和尚さんのいる寺に逃げ込んで助かり、それからは、とってもええこぞうになります。
・こぞうと鬼ばば(世界民話の旅9 日本の民話/浜田廣介著/さ.え.ら書房/1970年初版)
浜田廣介著は、途中の風景を楽しみながら列車にのっている感じになっている。
豆にばけた鬼婆を、和尚が食べてしまう場面、豆を炉であぶり、火ばしで豆をはさんで、息をふきかけ、たたみの上でさましてから食べる。おまけに和尚の歯がまだ丈夫で、噛み砕くところまで。
そのほかのところでも、大分ふくらんでいて、語るには、ほかのものの倍以上の時間を要するので頭がいたいところであるが、すてがたい味のある話にできあがっている。
・三枚のお札(新潟のむかし話新潟県小学校図書館協議会編日本標準1976年)
でだしは、小僧さんが和尚さんから遊びにいってもいいといわれ、山姥の家に。
結末もさっぱりして、小僧さんが米俵にかくれ、おしょうさまがお経を読んでいると、山んばが、あきらめて帰っていきます。
・さきたま出版会版(語り書き埼玉のむかしばなし/小沢重雄ぶん・北島新平え/1988年)
子どもが山に遊びにでかけていって、かくれんぼ遊びをしているときに、山姥につかまり食べられそうになります。
山姥が寝ているときに便所に行かせてくださいと頼み込み、その便所の神様が三枚の札をくれ、この札で山、川、海を出現させて、なんとか助かるところでお話は終わる。
三省堂版は、秋田県、さきたま出版会版では、埼玉県入間地方のお話になっているが、小沢重雄ぶんとなっていることからどれだけ原型が保たれているのか疑問なところもあるが、各地で同じような話があるところに、埼玉版として語れるのも楽しい。
・1981年ユネスコ・アジア文化センターとアジアの国々が協力して出版されたアジアの昔話に、日本の「三枚のお札」が載っていました。(アジア地域共同出版計画会議・企画 ユネスコ・アジア文化センター・編 福音館書店)
絵本も多くあります。
火と山と川のおふだ/大江ちさと・文 太田大八・絵/トモ企画/1989年初版
大江さんの再話。こぞうさんが、和尚さんから「ほどけさまにあげる はぎの花おってこいや」といわれ、山に出かけます。
おにばばにおわれた、こぞうさんが、一枚目のお札で火を、二枚目のお札で山を、三枚目のおふだで川をだします。タイトルどうりなのでわかりやすい。
最後、和尚さんのところへおにばばがやってきますが、他の話と違うのは、こぞうさんをつづらのなかに入れてふたをし、天井にぶらさげるところ。おにばばが、天井にはしごでのぼると、はしごがこわれ、はしごの下敷きになったおにばばが、土間に落ちて、骨だけがのこります。
方言が昔話を彩っています。
「山おぐには なにがいるかわがんねえ。おそろしいこどにおうだら、このふだをなげろ。せえば、きいつけていってこいや」(和尚)
「ばばさ、おれ べんじょ いぎとうなった」「かまわねえ、そごにすれ」
「たまげた」が「たんまげた」
おにばばが山をのぼるのは「わっしわっし」です。
”いっつくむかしが とっさけた ながとの ながぶち ぶらーんとさがった”は、結びの言葉。
絵もほんとに、昔話風です。
あおい玉 あかい玉 しろい玉/絵:太田 大八 再話:稲田 和子/童話館出版/2006年
この絵本も太田大八さんの絵を楽しめますが、ほかのものにはでてこないやせっぽちの便所の神さまがでてきます。
この再話では、札のかわりに、玉がでてきます。
しろい玉はイバラの山、あおい玉は湖、あかい玉は火事と、でてくるものと、玉のイメージが一致しています。
おばばが、みみずやむかでを囲炉裏で焼いて、「うめえ、うめえ」といったり、ながーい、舌で、小僧の頭をペナーンペナーーンとなめたりする怖ーい場面があります。
便所で小僧がばばあに「まだ、まあだ。いま、黄金のまっさかり」とこたえるのも妙に真に迫っています。
”イチゴぶらーんとさがった、なべのしたカリカリ”が結び。
たべられたやまんば/作:松谷 みよ子 絵:瀬川 康男/フレーベル館/2002年
題名だけではわかりませんでしたが、「三枚のお札」でした。お札で、川、砂山がでてきます。
絵は人物の髪、建物の屋根、柱、木や笹の線が特徴的で、全部塗りつぶしていないのが、いい味をだしています。
やまんばが納豆にばけたところを、和尚さんが餅にくるんで食べてしまい、”はい ごちそうさま”と、人をくった結び。