ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろⅠ/モーリス・センダック選 矢川澄子・訳/福音館書店/1986年
30分はこえ、あまり語られことは少ないグリムの昔話かもしれませんが、矢川訳のテンポのあるリズムが楽しめます。
戦が終わり、お役御免になった「うかれぼうず」がもらったものといえば、ごくわずかなお金。
わずかなお金も、物乞いにあげること三度。物乞いは聖ペトルスが姿をかえていました。
聖ペトルスと旅をすることになったうかれぼうず。聖ペトルスは途中、臨終まじかの百姓の亭主の病気をなおし、お礼にと子羊一頭をさしだされますが、聖ペトルスはどうしてもうけとりません。もったいないとうかれぼうずは子羊を肩にせおって、また旅を続けます。
おなかがぺこぺこになったうかれぼうずは、子羊を料理してくうことに。聖ペトルスは料理ができた頃を見はらってかえってくるからと散歩にでかけます。ところが散歩からかえってみると、一番食べたかった子羊の心臓は、うかれぼうずのおなかのなか。
子羊には心臓なんかないといいはるうかれぼうず。子羊の心臓をくったと白状するかとせまる聖ペトルスとのやり取りが続きます。
それからある国の王女を生き返らせた聖ペトルスは、ほうびをことわりますが、かわりにうかれぼうずは背嚢に金貨をたっぷり詰め込みます。欲がない聖ペトルスですから、金貨はいらないと今度はひとり旅です。
別の国でまた王女がなくなったというのを聞いたうかれぼうずが、聖ペトルスのまねをして王女を生き返らせようとします。手足をばらばらにきりはなし、水に放り込んで火にかけます。肉がはなれると骸骨をとりだし、テーぶるの上にならべて、「いとも尊き父・御子・聖霊のみ名において、死せる女よ、立て」と、となえますが、もちろんうまくいきません。
すると聖ペトルスが、お払い箱の兵隊といういでたちであらわれると、王女はすぐに生き返ります。
ここでも何も受け取ってはならぬと聖ペトルスがいいますが、ここでもうかれぼうずは、金貨を手にいれます。
ここで聖ペトルスは、うかれぼうずの背嚢に、望むものがなんでもおさまってしまう力をさずけて姿を消します。
相棒のことばをためそうと、ガチョウに向かって、おいらの背嚢にとんでこいというとガチョウは背嚢のなかに。
そして生きて帰った者がいないというお城で、九匹の鬼を背嚢にとびこませ、あげくにはてには鍛冶屋に大きな槌で背嚢をたたかせ、八匹はくたばりますが、一匹はなんとか逃げ出します。
さいごは、楽に行けるという地獄にいきますが、鍛冶屋から逃げ出した鬼が門番になっていて、地獄にははいれずじまい。天国に行っても聖ペトルスからは拒絶されて・・・。
子羊の心臓を食ったと白状するかとせまる聖ペトルスとうかれぼうずのやり取りも軽快です。
うかれぼうずは、お礼や褒美はなにもいらないという聖ペトルスにむかって「ひゃ、このおたんちんめ」といいはなちます。
ガチョウを気前よく職人にあげる場面は、なくてもいいところ。
王女が生き返るところは、「ぴんしゃんして、そりゃきれいでね」
鬼との格闘も真に迫っています。
お城の王さまから、家来になってくれれば一生こまらないようにしてやるがと、もちかけられ「股旅暮らしが身についてまってね。旅を続けたいんでさ」・・・拘束を嫌い自由に生きる主人公の思いでしょうか。
途中割愛されても、物語として十分に成り立ちます。ただ「うかれぼうず」がひっかかります。