どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ちいさな木

2023年12月16日 | 絵本(日本)

    ちいさな木/角野栄子・作 佐竹美保・絵/偕成社/2023年

 

 つなをくいちぎって家出したという犬のゴッチにさそわれて、歩き出したのは、ちいさな木のキッコ、それから途中で、岩のイワオ、沼のイッテキが 一緒に歩きだし、はらっぱの真ん中で、暮らすことに。しかし、犬のゴッチは、「ここは、ぼくの すきなところじゃ ないな」と、どこかへ いってしまいました。

 動くはずがない木や岩、沼があるきだしたのは、すきなところをみつけるため。動けないというと、「やってみなくちゃ わからないよ」「やりたいことは やればいい」「だいじょうぶよ。いきたければ、いけるわ」と、声掛けしていきます。

 冷たい風雨のなか、前を向いて歩ていきます。

 ゴッチは、スタン スタン スタン

 キッコは、イッポ イッポ イッポ

 イワオは、ゴロンチョ ゴロンチョ ゴロンチョ

 イッテキは、ポチョンチョ ポチョンチョ ポチョンチョ

 

 じぶんさがしの旅だったでしょうか。ちょっと背中をおされ、一歩を踏み出し、居場所を探し出します。ただ、ゴッチだけは、そこが すきなところでなかったようで 別の居場所へ むかいます。

 今年(2023年)の出版には珍しくモノトーンの絵。木の葉だけが みどりです。


ねずみさんちの はじめてのクリスマス

2023年12月15日 | 絵本(外国)

   ねずみさんちの はじめてのクリスマス/キャラリン・ビーナー・文 マーク・ビナー・絵 まえざわ あきえ・訳/徳間書店/2018年

 

 さむいさむい冬の日、ハリネズミさんにおしえられ、父さんとねずみと母さんねずみ、17匹の子ねずみたちが、24番地の部屋へ引っ越してきました。

 ある日、父さんねずみがが見たのは、みたことない風景。大勢の人が集まって、歌ったり、踊ったり、ゲームをしたりとパーティが開かれていたのです。それがクリスマスと知って、ねずみの一家もクリスマスをお祝いすることに。

 松の小枝はツリーに、母さんねずみは、子ねずみたちのパジャマをつくります。子ねずみたちはまだパジャマを 着たことがありませんでした。マッチ箱をアルミにくるんでテーブルに、ごちそうは、あつめてきたクッキーとアメのかけら。やがて、ねずみ一家のパーティのはじまり。父さんねずみがオルゴールを鳴らし、踊ったり、ゲームをしたり。

 お父さんねずみが、クリスマスの話をしてから、ツリーに 靴下をつるしました。クリスマスの朝、つるしておいた靴下に、チョコレートチップとチーズのかけらが はいっていました。父さんねずみにも、つやつやの帽子、母さんねずみには、ふわふわんお 青いマフラーがありました。ねずみさんちにも、サンタさんがやってきたのです。

 母さんねずみは、父さんねずみに、チュッとしていいました。「メリー・クリスマス! これからは、まいとし クリスマスをおいわいしましょう」

 

 絵本を描くため、マーク・ビナーさんがつくったという、ねずみさんちの模型は、絵本そのもの。

 ねずみのサンタさんって、どんな格好? こねずみは、パジャマをうまく着られたかな。

 どの絵にも、ウサギとネコとティノサウルスが、隠れていて、答えがカバーの裏にあるというのですが、図書館本で、カバーがテープでとめられているので見つけられませんでした。子どものほうが気がつくかな?。

 この時期、クリスマス関係の絵本は、欠かせません。


アリと バッタと カワセミ

2023年12月14日 | 紙芝居(昔話)

    アリと バッタと カワセミ/脚本・絵  イ・スジン/童心社/2010年(12画面)

 

 アリとバッタ、カワセミが いまの姿になった韓国の由来話。アリがずんどうで、まだバッタに髪の毛が生えていて、カワセミのくちばしが短かかったころの話。


 三人?が遊んでいて腹が減ると アリが おかみさんの足にかみつき、こぼれたむぎめしをパクパク。

 バッタが もっといいものを とってこようと、やってきたのは 湖。ところが、さかなにパクリと呑み込まれてしまいました。さかなのおなかで暴れ回るバッタ。そこにカワセミが とんできて、「あれ あんなところに、いきのいい さかながいるぞ。みんなに ごちそうしてあげようっと。」パクリすると、アリのもとへ かえりました。バッタくんが かえってこないから、さきにたべようと おさかなの おなかを ひらくと、「あー、あつかった。」と、バッタがでてきました。バッタは、このさかなを とってやったんだと、おでこの汗をふきふき、いいました。カワセミは、じぶんがとってきたんだと、ぶつぶつ 文句をいいました。

 バッタは おでこを ふきすぎたので、ふさふさだった髪が 全部抜け、カワセミは、文句を言いすぎて、くちばしが、ながくなりました。そして、それをみたアリが、はらをよじってわらったので、こしが ほそくなりました。

 

 笑って 痩せられるなら最高。やや強引すぎますが、最初と最後の、三匹の姿を比較しながらみると 楽しい。


黄金になった小麦粉・・ペルー

2023年12月13日 | 昔話(南アメリカ)

    大人と子どものための世界のむかし話6 ペルー・ボリビアのむかし話/インカにつたわる話/加藤隆浩・編訳/偕成社/1989年初版

 

 みすぼらしい姿の者が、一夜の宿を乞うと、裕福なところでは、ことわられ、まずしい家にとめてもらうと、そこの家には、幸せ?がまっているという話。

 このケチュア族の話では、ひとりの老人が、だれからも食べ物をめぐまれず、ふたりの男の子と三人暮らしの女の人にものごいをすると、女は老人を家に入れ、スープをめぐんでくれました。女の人は、しばらくゆっくりやすんでいくよう老人にすすめますが、老人は、女の人がくれた水で、のどをうるおすと、こしに下げた袋から、小麦粉をひとにぎりとりだし、ヒョウタンのうつわに小麦粉をいれると、たちさっていきました。

 ブタの世話をしていた子どもたちがかえってきて、たべるものがないか たずねられますが、たべものは何もありませんでした。夕食のスープをぜんぶ、ものごいの老人にあげてしまったからでした。そのとき女は、老人がくれた小麦粉のことを思い出し、小麦粉で夕食をつくろうと台所に行って、ヒョウタンの小麦粉をとりだそうとすると、小麦粉は、うつわいっぱいの金貨にかわっていました。女と子どもたちは、その金貨のおかげで、たべるものにこまることはなかったという。

 

 日本では、弘法大師などがでてきますが、この老人が何者であったのは 不明のまま。宿を断る理由がいろいろ出てくるものが多いのですが、たんに”ことわれた”と、さっぱりしています。


ゆきだるまのさがしもの

2023年12月12日 | 絵本(外国)

   ゆきだるまのさがしもの/ゲルダ・マリー・シャイルド・作 ヨゼf・ウイルコン・絵 いずみちほこ・訳/セーラー出版/1988年

 

 どこもかしこも まっしろの 雪の中。ゆきだるまが いろんな色の花っていうものがあるそうだけどと、花を探しにいきました。

 ゆきだるまが、ウサギやカラスに、「花を さがしているんだけど・・」と、ききますが、かえってきたのは、「花には あえないよ」「花は めっからねえよ」

 ゆきだるまは、どうしても 花にあいたいと 町へ。ちょっと やすんでいこうと よりかかった扉がふわりとひらき ゆきだるまは まっさかさま。

 そこには、いいにおいがして、たくさんの色があふれていました。ゆきだるまは うっとりと 花に かこまれていました。そこは温室でした。ゆきだるまは、花のベッドに よこになると目を閉じました。するといつのまにか みどりの野原に立っていて、たくさんの花にかこまれましたが・・・。

 

 ゆきだるまがたどりついた町の不思議な建物や雪につつまれた風景は静寂そのもの。

 ゆきだるまは、温室のなかで、溶けてしまいますが、そこでおわらず、子どもたちによって 再生します。はじめの つまらなさそうな表情と、最後の しあわせそうな ゆきだるまが印象的です。


黄金をなげた山・・ペルー

2023年12月11日 | 昔話(南アメリカ)

     大人と子どものための世界のむかし話6 ペルー・ボリビアのむかし話/インカにつたわる話/加藤隆浩・編訳/偕成社/1989年初版

 

 アンコイリャス山は、ポマバンバ村に、アプチャリャス山は、そのちかくのパタス村にある山。アンコイリャス山には金や銀がたくさんうまっていて、村人は金銀をぜたくにつかい、お祭りのときは、ごちそうやお酒を飲んでは、大騒ぎ。アプチャリャス山にあるのは、石ころばかりで作物もみのらず、村人は、いつもおなかをすかせ、みじめな暮らしをしていました。

 ある日、アプチャリャス山は、アンコイリャス山の財産を奪ってやろうと決心し、石ころを拾うと、つぎつぎにアンコイリャス山になげつけました。はじめは命中しなかった石ころでしたが、だんだん命中するようになるとアンコイリャス山も怒り出して、投げ返すようなりました。アプチャリャス山が投げるのは石ころ、アンコイリャス山がなげるのは金銀です。

 両方の山が何日もなげあって、アプチャリャス山は、黄金が命中し、傾いて死んでしまいました。しかし気がついてみると、アンコイリャス山のあたりは、石ころばかりになり、アプチャリャス山のあたりは金や銀が山となっていました。こうしてふもとの村の人々の暮らしは逆転することになりました。

 

 擬人化された山どうしが喧嘩するという思いもかけない展開です。カッとなって結果には思いがいたらなかったということでしょうか。ケチュア族の話です。  


カメレオンとぞう・・ウガンダ

2023年12月10日 | 昔話(アフリカ)

     のうさぎとさいちょう/オコト・ビデック 北村美都穂・訳/新評論/1998年

 

 あるとき、ひどいひでりになり、動物たちが いまにも死にそうになっていた。ひとりの女がいいました。「のどがかわいて死にそうだ。誰か、ほんの少しでもいい。水をくれる人がいたら、娘を およめにあげるのに。」

 これを聞いて、ありとあらゆる動物が集まってきて水を掘りだそうとします。ししが、井戸を掘るには歯を使うといいというと、おひつじが、井戸は角を使うべきだといい、長い長い議論の結果、後足をつかおうとなって、ぞうが、大地をふみならしましたが、土埃が舞い上がだけで水はでません。

 かばが、すいぎゅうが、さいが、ウォーターバックが、そのほか荒れ野にすむ大きな動物がみなやってみますが、水は出ません。あきらめて さるが去ると、アンテローブが、踊り場で歌いますが、水はやはりでません。カメレオンがみんなから笑われながら、踊りはじめると、カメレオンの足元に、ちょっぴりどろがありました。とかげは、カメレオンがおしっこを漏らしたと思い、笑いますが、どろはどんどんふえていき、やがてどろ水になりました。帰りかけていた動物たちは、カケレオンがどろ水を掘り当てたと聞いて、かけもどってきました。

 ぞうは、話を聞いてカメレオンを、鼻でカメレオンをつかまえ、木の幹にたたきつけたので、杯のなかに埋まってしまいます。美しい娘とならんですわってみていた女がぞうに声をかけました。「ぞうさん、重いおかた。水を出すのは、カメレオンにまかせなさい。みんなのためですから」。ぞうはおおいに恥をかき、腹を立てて引きあげていきました。

 動物たちが、灰の中に埋まっていたカメレオンをさがしだすと、カメレオンは、また歌います。やがて、どろができ、どろ水にかわり、どろ水がしだいに澄んできて、とうとうあたり一面水になりました。

 ある日、カメレオンとおよめさんが、畑をたがやしていると、恥をかかされたぞうがやってきて、「だんなはどこかね?」と、たずねました。およめさんは、ぞうがくるまえに、カメレオンを ひょうたんのなかにかくしておきました。ところが、ひょうたんのなかに水がはいっていないというのを聞くと、ぞうはひょうたんを石にたたきつけました。ぞうは、中から出てきたカメレオンを足でふみつけ、およめさんを、じぶんのおかみさんにしてしまいました。このとき、カメレオンのおよめさんの子どもがやどっていました。

 やがて、この子がおおきくなると、一計をあんじたので、ぞうは、火で焼け死んでしまいます。しかし、そのぞうの指の間には、カメレオンがはさまっていて、まだ生きていました。

 

 動物たちは、歌いながら水を掘りだそうとしました。

 ぞうは

 ”重たいぞう 重たいぞう さあて 水のあるあたりは ここらかな 重たいぞう 力持ちだぞう さあて 水のあるのはここらかな”

 カメレオンの歌は、動物たちの中で どんな存在であったかが わかります。

 ”笑うならお笑い わたしはみんなの笑いもの 赤あたまのとかげがわたしのことを笑っている どもこれが私のうまれつき 笑うならお笑い わたしはみんなの笑いもの”


まゆと ブカブカブー

2023年12月09日 | 絵本(日本)

  まゆと ブカブカブー/富安陽子・文 隆矢なな・絵/福音館書店/2001年月刊こどものとも

 

 やまんばのむすめのまゆが、雨で どろどろになりながら歩いていると、いたちやノウサギが、あかいぼうしをかぶったブカブカブーをみたと、おおさわぎ。カラスも、ブカブカブーをみたといい、うっかりすると、くわれるぞと、叫びながらとんでいってしまいました。

 濃い霧の中、まゆが、林をどんどんすすんでいくと、やまぶどうの しげみがありました。そのやぶの向こうに、大きな大きなぼうしが、にゅっと のぞいていました。まゆは。ブカブカブーとおもい、あいさつしましたが、ブカブカブーはなにもこたえません。林の中を、しめった かぜが ふきぬけて、しろい霧をゆらすと、とつぜん ブカブカブーが ダンスを おどります。「おどってないで、へんじをしてよ!」と どなっても こたえません。まゆが はらをたてて、おおきく 息を吸い込み、ブカブカブーのぼうしを ぬがそうと おもいっきりジャンプして、とびかかると、ブカブカブーは、地面の上にたおれ、あかいぼうしから、しろいけむりが、ふきだしました。まゆが、ちかづいてみると・・・。

 

 こわそうなブカブカブーがでてきて、どんな怪物がでてくるかとおもいきや、いがいと 身近にあるもの。

 やまんばのむすめとあって、怖いもの知らずのまゆ。やまんばかあさんは、雨の中、散歩に出かけるまゆに、「みずたまり みつけたら、できるだけ どろはねが あがるように とびこむんだよ」と、豪快。しかし絵では、いたって普通?

 あかいぼうしをかぶったブカブカブーと、あかいながい髪の まゆです。裏表紙も楽しく、季節感もあります。


うしになった おとこのこ

2023年12月08日 | 紙芝居(昔話)

   うしになった おとこのこ/脚本・津田真一 絵・藤田勝治/童心社/2021年

 

 ぐうたは、おっかあと ふたりぐらし。おっかあの仕事も手伝わないで、今日も、朝からぐーぐーねている ぐうたらなこ。

 おっかあは、どうにか おもてにつれだして シバかりを てつだって というが、ぐうたは やまについたとたん こしをおろし、ごろんと 横になった。

 しばらくして 目を覚ますと 見知らぬ男が 「ほれ、おきろ! お前は うしだ。働くんだ!」」という。ぐうたは、「・・ん? だれだあ? おらは、うしじゃねえよう!」といったつもりだが、口から出たのは、「モー」。どんなにさけんでも でてくるのは「モー!モー!」。

 ぐうたのせなかに。刈り取ったシバがつまれ、なんどもなんども いったりきたり。はこんだシバが山のようになると、見知らぬ男が 干し草を、「ほれ、めしだ」という。牛のエサなんて くえるかよと、おもっていると、見おぼのある女の人が通りかかった。「モー!モー! モー!」(あっ、おっかあ! おっかあ! おらだよ、ぐうただよ!)とさけぶと、おっかあ がやってきて、めをまるくして こっちをみている。

 うしになったぐうたは、おっかあが びっくりしていると思ったが、なんと、かえってきたのは、「ぐうた、なに いってるんだい?」

 ぐうたは、夢をみていたにちがいないと思いましたが、シバをはこんだのは、ぐうただという、おっかあ。

 こんなふしぎなことがあってから、ぐうたは、すっかり ひとがかわって 働き者に。

 

 髭もじゃ、見知らぬ男は何者? どっしりとして存在感がありました。


ひなげしの おうじ

2023年12月07日 | 絵本(外国)

   ひなげしの おうじ/エリザベス・イワノフスキー・作 ふじみ みさを・訳/岩波書店/2018年

 

 ひなげしの王子が 散歩に出かけました。乗っているのは麦の穂の馬。

 川を飛び越え、まいごのひばりくんを助け さらにさきへ。クモの巣に とつげきすると、クモおばさんともぐらさんから、挟み撃ちされてしまいますが、ひばりのお母さんに救出されました。

 パラシュートで、ひばりのお母さんから ふわりと地上に おりると、馬がみつかりません。コオロギ、ネズミおやこにきいても 見つかりません。でも、すぐに見つかって、お城へ帰り、”ばんざーい”と 大歓迎されます。

 

 ひなげしの王子の大冒険?が、シンプルに展開しますが、オチにびっくり。

 戦時中にベルギーで出版されたという絵本。というと80年以上も前の出版。しかし、素直につたわってくる色づかい、かわいらしい昆虫(あちこちにさりげなくえがかれているものも)は、時代を感じさせません。

 ひなげしの王子は、ハチやカエル、コオロギと等身大で、お城?の屋根は、花びら。えがかれているのは”ひなげし”の化身です。


酉の市

2023年12月06日 | 日記

 

普段ほとんど人通りのない場所での酉の市。町の中心部から外れた場所にある神社。どこかららと思うほどの人出。

左右に屋台がずらり並んでいました。

酉の市があるのは知っていましたが、10年ではじめて、足を運びました。(笑)


クモのつな

2023年12月06日 | 絵本(昔話・外国)

   クモのつな/さくま ゆみこ・訳 斎藤隆夫・画/福音館書店/2023年(初出2008年)

 

 西アフリカ・シエラレオネの由来話。

 むかしむかし、雨のふらない日が長く続き、大地から緑が消え、食べ物が手に入らないので、動物たちはみんなお腹がすいて ふらふらになり、がりがりに やせていました。

 あるひ、ルンルン気分で、鼻歌を歌っていたノウサギを見て、動物たちが聞いてみると、暗くなったら、食べ物があるところにつれてってやるというのです。前の日、ノウサギはクモのお母さんのところで、たくさんならんだ食べ物を 食べていました。

 ノウサギは、みんなをつれて木の下にいくと、昨日のクモの真似をして歌います。

 ”おかあさーん、おかあさん!

 やってきたのは ぼくですよ。

 つなをおろしてくださいな。”

 すると、木の上からするすると つながおりてきて、みんなはおしあい へしあいながら ようやく つなをつかみました。それをみて、ノウサギは、つぎの歌をうたいます。

 ”おかあさーん、おかあさん!

 つなを ひっぱってくださいな。”

 つなは のろのろあがっていきました。どうぶたちは びっくりして、「わあ!」「ひゃあ!」「きゃあ!」と おおさわぎ。

 こえをきいて、ねむっていたクモがめをさまし、すずなりに なって つなにぶらさがっている動物たちをみて、いそいで 歌いました。

 ”おかあさーん、おかあさん!

 のぼっていくのは ぼくじゃない。。

 つなを きってくださいな。”

 クモの おかあさんが つなをきったので 動物たちは みんな 落ちてしまいました。

 やがて 雨がふり、大地には緑が戻ってきましたが、動物たちの姿は もとに もどりませんでした。しかし、落ちたことが原因で、ヒョウには斑点が残り、ラクダにはこぶが、ヤマアラシには とげが、カメは甲羅を背負い、ゾウの鼻は 長く、ノウサギは、いまでも 穴でくらしています。

 はじめ、動物たちが がりがりに やせているので、最後を見ないとわからないものがあります。特に、やせたカメが なにか わかりませんでした。前後を対比しながら見ていく楽しみもあります。

 クモのつなを のぼるのは、ノウサギ、ゾウ、ラクダ、ヒョウ、ヤマアラシ、カメの順。虹を思わせる クモのつなの 丈夫なこと 丈夫なこと。

 

 シエラレオネも、この絵本を見なければ知らないままだったかも。


どんぐりと山猫

2023年12月05日 | 宮沢賢治

 
    どんぐりと山猫/宮澤賢治 本間ちひろ・絵/にっけん教育出版社/2004年
 

 土曜日の夕方、一郎のところに、「めんどなさいばんをしますから、おいでんさい」とおかしなハガキが届きます。差出人は山猫でした。

 一郎が山にいくと、どんぐりたちが口々に

 「あたまのとんがっているのがいちばんえらいんです」
 「まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです」
 「おおきなのがいちばんえらいんだよ」
 「せいの高いことなんだよ」
 「押しっこのえらいひとだよ」
 まるではちのすをつっついたようでした。
 今日で三日目という裁判。

 一郎が裁定することになりますが
 「そんなら、こういいわたしたほうがいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」

 どんぐりは、しいんとしてかたまってしまいます。
 山猫は、ひどい裁判を一分半でかたずけたと、おおよろこび。

 どんぐりと一口に言っても、コナラ、 ナラガシワ、 ミズナラ、 カシワ、クヌギ、 アベマキ、ウバメガシ、ウラジロガシ、オキナワウラジロガシ、アカガシ、ツクバネガシ、ハナガガシ、イチイガシなどいろいろ。

 ただ特別に違いがありませんから、まさに、どんぐりの背比べです。


 それにしても、いまではあまりみられない、次のような賢治さんの表現には情景が浮かんでくるようです。
 「まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのように、うるうるもりあがって、まっさ青なそらのしたにならんでいました。」

    どんぐりと山猫/宮澤賢治 田島征三・絵/三起商工/2006年

 おかしな葉書で、森?へでかけ、どんぐりたちの争いをおさめるというわかりやすいお話ですが、そこまでいくとちゅうも楽しい。

 一郎が栗の木に、山猫がとおらなかったきくと、「馬車で東」、笛ふきの滝にたずねると、「馬車で西」、ブナの木の下の、白いきのこにきくと、「馬車で南」、リスに聞くと、「みなみ」。東へ行って西にいったら元の場所? 結局、南にいったのでしょう。

 田島さんが描く キャラクターも ひとくせもふたくせもありそうな人物。山猫の馬車別当という男は、片目で上着のようなへんてこなものを着て、足がひどくまがって山羊のようなのですが、歯もところどころ抜けています。山猫の目も、いちどみたら忘れません。そして、あつまったどんぐりの数の多さ、その表情も圧倒的。

 やまねこが、どんぐりたちが、蜂の巣をつついたように、がやがやいっているところで、「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれしずまれ。」と、一喝する画面いっぱいの表情も迫力があります。賢治さんのイメージした山猫は、どうだったでしょうか。

 争いをおさめた一郎が、お礼に黄金のどんぐりをもらいましたが、馬車が止まったときは、茶色のどんぐりにかわりました。別れ際に、葉書が来たら、またくると約束した一郎ですが、それから、山猫からの葉書はもうきませんでしたから、争いはなくなった?。余韻が残ります。


人はなぜ はたらくのか・・ボリビア

2023年12月04日 | 昔話(南アメリカ)

   大人と子どものための世界のむかし話6/ペルー・ボリビアのむかし話/インカにつたわる話/加藤隆浩・編訳/偕成社/1989年初版

 

 天と地をつくり、太陽や月や星に光をおあたえになり、人間や動物、植物をおつくりになった神さまは、自分の気持ちを伝える役目を、まちがって、うそつきのキツネに、おあたえになってしまいました。

 神さまは、「人間は裸で暮らすのだから、衣服はいらないだろう。そのかわり、こしから下がかくれるように、ひざまで羽をはやしてあげよう」といいましたが、神さまの声がよく聞こえなかったキツネは、「女たちは、はたらいて、衣服を作るように。指がはれあがり、胸が痛くなるまで、糸を紡ぎ、布をおるように。」といいました。

 また、神さまが、「人間は、畑に種をまかなくてよい。木の草もどんな植物も、しぜんに、おいいしい実をつけ、人間はかんたんに、それをとって、たべてくらせるだろう。トウモロコシの穂をとったあとは、小麦の穂が出てくるだろう。」といいましたが、キツネは、「人間は大地に種をまき、働いて、じぶんたちのたべるものをつくるように。また神さまのこどもである、ほかの動物たちのためにも、たべものをわけてやるように。」と、人間にうそをおしえました。

 神さまが、「人間は、一日一度の食事をすれば、それでじゅうぶんだ。」というと、キツネは、「人間は一日に三度食事をするように。」と、またうそをおしえました。

 ほかにも、人間がはたらかなければいけないことがらを、神さまに意向だとしたキツネ。

 神さまにふまんをもった人間たちは、かんたんに糸をつむいだり、布をおったりする方法はないか、教えていただきたいと、キツネにとりつぎをたのみました。「つぼのなかに、じぶんの糸巻き棒と、わずかの羊毛をいれておいたら、なにもしなくても、わたしが、きれいな布や、すばらしい糸にしてあげよう。」と、神さまは、おこたえになりましたが、キツネは、「わたしのことをあてにするなど、とんでもないことだ。女たちは一生のあいだ、糸を紡ぎ、布をおりつづけるのだ。」と、わらいながらいいました。

 いまの、この世のなかは、キツネのうその結果できたものなのです。

 「この世の中にある、まちがったことや、よくないことは、みんな、このうそつきのキツネのせいなのです。」といいますが、もしかすると、楽せずにくらしなさいというキツネは人間の恩人なのかも。「楽をする」ため、努力してきたのが人間ですからね。


どっち?

2023年12月03日 | 絵本(日本)

    どっち?/まつおか/たつひで/ハッピーオウル/社2019年

 

 かえるちゃんが、おきにいりのかえるカーにのっておでかけ。お出かけに会った昆虫に、「あなたは おとこのこ? おんなのこ?」と 問いかけていきます。

 でてくるのは、ダンゴムシ、モンシロチョウ、コガネグモ、ショウリョウバッタ、アブラゼミ、コオイムシ。

 興味があれば、いまはすぐに調べられますが、入り口は いろいろ。また絵本に教えられました。これらのオスとメスのちがいについて説明出来たら、株が上がりそう。

 たとえばモンシロチョウのオスは黄色、メスは白。

 アブラゼミ 鳴くのはオス(音がでる まくがあり)、メスは まくがないので 鳴かないという。