新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

畑の掃除①/ やはり大雪に?

2022-11-20 23:03:56 | 畑・工作

今日は日曜日ですが、ビジネスのお客様がいたり、また先日のビジネスの方が今日からまた戻ってきたりと出入りが多い日曜になりましたので、自宅待機で短時間の畑作業。

今日のノルマは、夏野菜の撤収と支柱撤去。トマトキュウリの畝に立てた1.8mの支柱は今年半分サボり、防鳥ネットも張るのをサボりましたので、撤去はその分楽チン。次に隣のナスとシシトウの撤去と支柱回収。

駐輪場の元あった場所に戻したり、埋まっていた部分を乾かすために外に並べたりと、回収作業よりも後片付けの方が時間がかかるほど。それでもちゃんと戻しておかないと来年探すことになりますし、後でやろうとすると面倒になったりします。また出したままにすると、もうこの時期で来ることはないと思いますが、万が一バイクのお客様が来たら対応できなくなります。夏野菜の畝が綺麗になり、支柱も片付くまでになんだかんだで1時間半もかかってしまいました。畑には食用菊の残骸とネギが残るだけになりました。

畑の撤去作業中、カマキリの卵を見つけましたが、なんとトマトの支柱の一番上に。高さ160cmほどのところ。昔の人は、カマキリの卵の位置で雪が多いか少ないかを予想したと云われますが、こんなに高い所に卵があるのは初めてかも。

既に今年もラニーニャ現象継続で、大雪の可能性大とも云われていますので、植木の雪囲いは念入りに行う必要がありそうです。(ピンぼけ写真でごめんなさい)

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建物の窓の雪囲い設置

2022-11-19 23:58:46 | 畑・工作

週末は、来ないとわかっている飛び込み客を待つため、自宅待機。というわけで、家で作業となりましたので、冬支度の突貫作業開始。最初に優先順位トップの建物の雪囲い。今年も大雪で寒いと云う予想があるので、ここ数年しなかった食堂の高窓の雪囲いも取り付け。作業は45分ほどで終了。

早く終わったので、厨房裏ドアの雪囲いが15年前に頑丈に作ったものの、重くて運ぶのが大変だったので、その改良作業。その時分はまだ北側に消雪パイプがなかったので、屋根から落ちる雪でドアの下が抜けるということもあり、頑丈に木材で作りました。今は消雪パイプがあり、積雪も大したことはなくなったので、落ちてくる雪の跳ね返りだけ防げればOKなので、板を外してプラの波板を張り付けて軽量化。釘を抜くのに苦労しましたが、1時間ほどで出来上がり。

本当ならついでに、建物を囲む形で消雪パイプの設置となるのですが、まだ雪が降らないし、落ち葉の片付けも時間がかかるため、後日改めてと云うことで、本日の作業は終了。

次の作業は畑の掃除や、植木の雪囲いの取り付け。足元の雑草処理に時間がかかりそうなのは、秋に草刈りをサボったから。タラノ木の剪定や余計に伸びた雑木の切り倒しなどもやる必要があります。2日ほどあれば、何とかなるかなと。

時々

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湯沢市岩崎地区の醸造元

2022-11-18 23:46:55 | 食文化

先日の湯沢地区酒蔵巡りで、最初に訪ねた岩崎地区。秋田銘醸第二工場となっている峯廼旭は紹介しましたが、この地区には味噌醤油醸造元が2つも残っており、酒蔵ももう一つあったとのこと。どうしてそんなに密度が高いのかと調べてみると、なかなか面白いつながりがあるようです。

峯廼旭の隣にはヤマモ味噌醤油醸造元がありますが、元々ヤマモが本家で、分家が峯廼旭として酒造を始めたとのこと。ヤマモ、峯廼旭がある三叉路のもう一つの角には古い屋敷が残されており、近年一棟貸しのゲストハウスになっているとのことですが、この建物は峯廼旭の創業者の自宅だったようです。

一方、少し先にあるのが味噌醤油の石孫本店。こちらにも隣接地に岩崎酒造<岩鶴>という酒蔵があったとのこと。その隣接地はカフェになっており、先の高橋邸を貸し出ししている事務所も兼ねているようです。ただカフェにする際にかなり手直しをしたようで、酒蔵の跡形はほとんど見られず、その並びに小さな蔵が一つ残っていました。また石孫本店の西側に酒蔵があったようですが、その場所は今回見逃したので、後日再確認する予定。こちらの関係は、岩崎酒造が本家で、石孫が分家筋にあたるとのこと。

岩崎酒造は大正8年、密造酒防止のために地域住民を株主として設立され、石川家が経営にあたったとのこと。石孫の資料によると、醤油醸造は安政2年(1855)に始められており、醸造の技術は近い所にあったと云うことのようです。

近くの峯廼旭は秋田醸造に吸収されましたが、こちら岩崎酒造は戦時中に廃業後、復活し、昭和38年に現大仙市の八重寿設立時に構成員として参加し、共同壜詰工場設立で自社の壜詰を廃止、その後は醸造も中止し廃業というお決まりのコースを辿ったようです。

のち

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まずはタイヤ交換

2022-11-17 23:41:52 | 畑・工作

来週は新たなビジネスチームが来ることになり、時期外れの賑わいになります。このため、本日より少しずつ冬支度に着手。

まず最初に車のタイヤ交換。ダッシュで行いましたので、所要時間は45分。4年目のタイヤなので今季で終わりで、来冬には新しいタイヤを買う必要がありそうです。ちなみに14日に県境を越える道路で調査したところ、冬タイヤの車が7割になっているとのこと。県境は殆どが峠越えになりますので、そこを越えるのが頻繁な車は当然のことなのでしょう。

さてこの週末に、植木の雪囲い、畑の撤収、建物窓の雪囲い、消雪パイプの組み立てと一気に作業する予定。予定はあくまでも予定です。一か月予報では12月中旬まで雪は少なめ、気温高めとのことで、まだ冬支度に少し時間が残されたようですが、昨年も12月上旬は雪は少なめでしたが、その後20日以降にその分まとまった雪になり、年末年始も大騒ぎでしたので、今年もそうなりそうな感じになってきました。

のち

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久々のジオスタゆざわ

2022-11-16 23:18:57 | 食文化

湯沢市内での蔵探しが一段落し、次に目指したのが、湯沢の山奥、高松地区にあるジオスタゆざわ。ここは廃校の再利用物件で、ジオパーク登録後、関係資料や子供たちの学習支援場所として開所し、以前鉱山を調べた時なども訪問しました。

ここに湯沢の酒造に関しての部屋があると云うのは知っていましたが、昨日駅の観光案内所で、文献もあるとのことで、足を延ばしました。

結果は、文献類は一切なし。それでも常駐のガイドさんが1時間ほど話に付き合ってくれ、本には書かれていないような酒造関係の話を聞かせて頂けました。展示は酒造関係の道具がありましたが、今のところあまり興味なし、の状態でした。

ちなみにここの展示品は木村酒造<福小町>のものが多い理由は、木村酒造が経営危機になって酒蔵整理をした際に出たものをここの近くにあった(ある?)テラビア養殖場の施設に保管しておいたため、ここが出来た際に持ってきたとのこと。捨ててしまうのは簡単ですが、後で同じものを探すとなると非常な苦労が必要です。かといって取っておくのには場所が必要で、田舎ながらできることなのかもしれません。ここで分かったのは、民族資料館などの、いわゆる出て来た古いものを保管、展示しているところには、酒関係の品物がある可能性があるということでした。今度暇になったら、出向いてみましょう。

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湯沢酒蔵巡り③

2022-11-16 23:14:05 | 食文化

昨日の湯沢酒蔵巡りから戻って、復習。移動の途中で調達できた資料などで、発見できなかった酒蔵を探したりします。昨日は駅の観光案内所でガイドに聞ければと立ち寄りましたが、詳しい人が不在で、たまたま貰って来たパンフに昭和8年頃の湯沢の町割り図があり、拡大してみたら、発見できなかった酒蔵3カ所の場所を特定でき、googleのストリートビューで探したら、わずかな痕跡も見つけることが出来ましたので、本日、再検分。

最初は湯沢市のメイン通り、柳町の前森町郵便局前にあった東海林酒造<白梅>。寛政元年創業で昭和30年代まではあった模様。早い時期に廃業し、再開発されましたが、建物に「8emon-Plaza」とあり、創業者の東海林八衛門の名前が残っていました。東海林酒造は寛政元年(1789)に創業、戦時中の企業整備で廃業したが、昭和32年復活したが、現大仙市の佐々木酒造<秋田富士>と合併したとのこと。

次に、柳町通りを南に1ブロック進んだところにある本町駐車場奥に発見した高橋酒造<魁志ら菊>。昭和52年(1977)に廃業とのことで、建物の一部と看板を残し、通りに面したところは駐車場にしたのかと。廃業して40年超、商売抜きでこの建物を残したことに感謝です。高橋酒造は安政2年(1855)に創業。明治時代に宣伝隊を編成するなど画期的な市場拡大を図ったが、戦時中の企業整理で廃業、昭和30年に復活したが、その後秋田県発酵に工場を貸与、昭和52年廃業とのこと。

3カ所目は、昨日発見できなかった奥山利八酒造<瀧の音>。駅で配布の街歩きマップにも記載されているのですが、見つからず、昨晩の復習時にほぼ場所を確定。今日その場に行くも、看板等はなく、ここでいいの?という感じですが、玄関脇の郵便受けの表札が今でも奥山利八となっていて、ここで正解!と判明。

奥山利八商店は文久元年(1861)に三関で創業、明治になって湯沢に移転。戦時中の企業整備で廃業となったが昭和22年に復活。昭和44年には白山酒造設立に加わったが、解散後個人企業に戻り、昭和54年醸造を廃業、その後は酒類卸業となったとのこと。

さらに跡形は見つかりませんでしたが、高久儀助商店<雄物川>は高久商店の並びにあったとのこと。明治23年創業で、隣接の高久(多平)酒造とは血縁だったと考えられる。昭和46年廃業。

もう一つ、奥山儀助商店の斜め向かい辺りに、現在は事務所になっている場所があり、その前はスーパーだったとみられ、そこに以前は湯沢銘醸<一滴千両>があったとみられる。大正9年に湯沢酒造として創業、戦時中の企業整備で廃業となったが、昭和31年押切酒造と合併復活。49年に秋田県発酵に吸収合併され、湯沢銘醸の酒銘が県発酵で引き継がれた。

これで湯沢市内にあった酒蔵は場所がほぼ、確定できました。

時々

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湯沢酒蔵巡り②

2022-11-15 23:58:46 | 食文化

さて、わかりやすい酒蔵巡りの後は、小さな酒蔵、廃業した酒蔵探し。事前にネットで探して見つかった湯沢の酒蔵跡は3カ所。最初は街中柳町通りの一本裏、秋田銀行の裏辺りにあった高久酒造<小野之里>。現在でも小野之里売所の看板がありましたが、稼働しているとは思えませんでした。

高久家は天正年間(1590頃)とも文禄年間(1593頃)創業と伝えられる県内でも古い歴史のある酒造家のひとつで、この高久酒造は分家の酒蔵。両関酒造とほぼ同じ明治7年に修行先の帯屋市兵衛酒店から独立して創業。大正時代には純粋酵母の培養など醸造法の研究を進めた。その後、昭和44年に3社合同して白山酒造を設立したが、後に解散。廃業(休業)下とみられるが、最近のことのようで、いつなのかは不明。ただ平成16年(2004)にここにあった酒蔵が神奈川県鎌倉市に移築されており、その頃には休業していたとも見られる。看板のあった建物の他に、道向かいにもそれらしい蔵が残っていました。

次に向かったのが木村酒造から県道277号線を南に進んだところにある奥山儀助商店<金時>。一部マニアの間で幻の酒とも云われるほど醸造量は少ないようです。建物はすぐに見つかりました。軒先に看板も出ていましたが、直売はなさそうな雰囲気。明治21年創業で戦後に法人化。杜氏を置かずに家族経営し、昭和40年代になると漬物販売などの多角化を進めたと云う。

本日最後に訪ねたのは、湯沢から西に進んだ山田地区にあった武石酒造<山田川>。平成27年(2015)に廃業したとのことで、軒が落ち、外壁も一部崩れ落ちて無残な姿になりつつありました。明和2年(1765)創業、戦時中の企業整備で廃止工場となったが、両関などの後押しで復活。昭和44年白山酒造設立に参加したが解散後、<銀嶺白山>の銘で個人企業として再出発したとのこと。

本日はこれにて時間切れとなりました。

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湯沢酒蔵巡り① 

2022-11-15 23:53:42 | 食文化

まだ先日の横手、増田の酒蔵巡りのデータ処理が終わっていませんが、雪囲いが付けられる前に廻らないと写真映えしなくなるので、今日は芦を伸ばして湯沢の酒蔵巡り。

最初に十文字から皆瀬川を渡った岩崎地区。ここは明治維新の際に岩崎県として独立した行政が置かれるなど、横手、湯沢とは別な歴史のある変わった地域。醸造元も多かったようですが、現在は酒蔵1つのみ。現在は秋田銘醸第二工場となっていますが、元々は峯廼(の)旭<峯廼旭>だった酒蔵。峯廼旭は安政6年(1859)創業で大正初期には県内大手の一角を占め、戦時中の企業整理でも操業工場として存続したが、昭和32年に廃業。その際に秋田銘醸に工場を売却して現在に至るとのこと。全体的に近代化工事が行われ、古さを感じられるのは酒蔵の裏側位のようでした。

続いて湯沢市内に入り、両関酒造<両関>。母屋や古い酒蔵4つは秋田県で最初の国の重要文化財に指定されたが、現役で稼働中。見学も可能だが、現在は新型コロナのため見学はお休み。酒造元としては操業は明治7年(1874)と比較的新しいが、先祖は寛文年間(1670頃)に加賀から来て油屋を営んでいたとのこと。

次に両関から国道398号を越えたところにある秋田銘醸<爛漫>。ここは他の酒蔵が個人経営から始まったのに対して、明治時代に秋田の酒を東京に共同で売り込むため全県の酒造家がお金を出し合って作った酒蔵。設立当初から量産可能な近代的設備を導入した工場としたため、建物の見た目は酒蔵と云うより工場。

さらに柳町通りを南に進んだ田町にあるのは木村酒造<福小町>。店舗の隣には広い駐車場がありますが、かつてはここにも酒蔵があったことを想像させます。また店舗の間口は狭いものの、駐車場から見える奥行きは驚くほど広く、いくつもの酒蔵があるように見えます。天和元年(1681)創業の老舗醸造元。戦時中の企業整備でも操業を継続。平成に入り、経営難に陥り、平成8年(1996)秋田出身の創業社長が率いる映像会社の東北新社の参加になり経営再建を進め、平成25年(2013)に㈱木村酒造を設立。こちらも酒蔵見学は新型コロナのため休業中。

最後に訪ねたのは、湯沢駅から西、雄物川を渡った所にある秋田県発酵<一滴千両・そふと新光>。ここも秋田銘醸と同様に昭和20年(1945)、県内の酒造業者が集まって設立した酒造元だが、時代の要請で合成清酒、焼酎、原料アルコールの製造会社として設立された。昭和49年(1974)に湯沢銘醸<一滴千両>を吸収合併し、多角化として清酒製造を開始。また昭和31年より森永醸造(後に福徳長酒類)が資本参加し、のちに子会社化。さらに平成17年(2005)にオエノングループ(旧合同酒精、傘下に富久娘)の子会社となったとのこと。土手沿いに現工場はあり、まさに工場。場内立入禁止の看板があり、直売等はなさそうでした。

のち

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横手の麹屋巡り①

2022-11-14 23:37:38 | 食文化

新しい週が始まり、今週も新しいビジネスチームの滞在開始となりましたが、今週は今のところ2チームと、少し余裕があります。本日も問い合わせがありましたが、条件が折り合わずで、もったいないことをしたとも思っています。

さて、このところの酒蔵巡りで、酒蔵だけでなく、その近くにある麹(糀)屋、味噌醤油醸造元もついでに場所の確認を行っています。先日の横手東部酒蔵巡りでは、横手市中心部のそうした店も数軒、見てきました。

最初に横手市本町、横手城南高校近くの内藤醤油店<キンコーチュウ>。裏には醸造元らしい建物もあるようで、規模は結構大きめのようでした。ここを最初にしたのは、ルート上と云うこともありますが、秋から使い始めた県南の味噌がここのだったため、見ておきたかったことがありました。直売が出来る状態ではなさそうで、大きな看板もなく、ここが店なのか不安になるほどですが、入口脇に小さくキッコーチュウの看板が出ていました。

次に少し先、蛇の崎橋の近くにある麹屋今野商店。一応小売り歓迎の店構え。かまくら祭りの時にこの近くに巡回バスのバス停が出来て、そこで寒い中待っていた時に、こちらの甘酒を振舞ってもらいました。

次に横手市鍛冶町のこうじ庵。看板には「横手製麹」となっていましたが、今は市に建物が寄贈され、観光交流施設となっています。イベント等の時に解放され、中を見ることが出来ますが、この日はお休み。

つづいてかまくら館から国道に向かう富士見大橋のたもとにある畑良商店。一応醤油醸造元となっているようですが、こちらは事務所のようでした。国道13号と107号の婦気交差点近くにあるマルジュウ醤油も直売はなし。

帰り道で立ち寄ったのは、美郷町飯詰南中島、体育館リリオス近くにある福田糀店。一応店舗らしい店構えですが、個人がふらりと入れる感じではありませんでした。当YHの近く大仙市藤木東八圭にある上野麹屋も同様でした。

ネットで探してみると、市街地から外れた田園地帯にある糀屋は、大体こんな感じで、看板が出ていればいい方、というようで、飛び入りで買うと云うのは難しそうです。

のち

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第8波は予想通りの展開?

2022-11-13 23:32:39 | 季節

先週、秋田県での新型コロナの感染者が1,000人を超える日が何日かあり、北海道でも連日の過去最高を更新中とのこと。10月頃から懸念されていた第8波が現実化してきた様子で、識者の予想では12月から1月にピークを迎えるとの話になってきているようです。

当YHでは先の予約を受けることもあり、勝手に半年先ほどの予想をしており、今年7/25にブログに書いた想定が少し前倒しになっているようですが、はずれにはならなかったようです。事前に問い合わせ頂いているお客様には、年末年始も個室利用となりそうですので、定員が少ないと6名で満室になってしまいますと、お伝えしていますが、その判断は正しかったようです。

ただ世の中は、政府の「withコロナ」宣言がありますので、政府主体で行動抑制のお願いは出ない模様で、各都道府県知事に一任とのこと。東京都や大阪府あたりでは他に気にせずマイウエイで行けるのでしょうが、地方では廻りを見ながらの判断になりそうで、後手後手に回りそうですし、1県単独で行動抑制が出ても、地元の人は県内に留まるでしょうが、他県との行き来は減ることになるでしょう。

行動抑制が地方で出た時に、果たして現在行われている全国旅行支援はどうなるのでしょうか。悩まされるのは各地の観光関連の方や旅行客。当YHでは全国旅行支援にも手を挙げませんでしたので、これまでその恩恵はほとんど受けていませんが、行動抑制が出たとしても、これもあまり影響がないかもしれません。そもそも12月~2月は降雪期になり、年末年始や2月中旬の冬祭りの時以外には例年お客様も閑散状態です。

里の紅葉も終盤戦です。

のち

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