新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

今年の経営成績の着地点を探る

2022-11-12 23:29:56 | 経営

今年も残すところ50日ほどになり、この辺で今年の収支の着地点がどのくらいになるのかを知っておかないと、目を当てられない大赤字や、税金を払うと云うキャッシュアウトを伴うことになってしまいます。さらに来年にはインボイス制度の導入開始になるため、また昨年頓挫したe-TAXの手続きも必要なので、確定申告が始まる前に税務署に行って相談する必要があります。

現金出納帳から損益計算書を作成してみると、どうにか健全な赤字の範囲で収まりそうです。今年も前半に新型コロナ関連の支援金が出ていたことや、9月以降予想よりもビジネスのお客様が多いので、開所以降初めて税金を払うことになるかと心配しましたが、食材費、光熱費、ガソリン代など諸物価値上がりの影響がチラホラと出ているようで、考えていたよりも経費が多くなっていました。

大幅な黒字になり、税金を払うようになるなら、来年必要になる設備投資や更新修繕費、消耗品の前倒し購入なども考える必要があるため、この時期にある程度の数字をつかんでおく必要があります。

一方で、来年からのインボイス導入に伴い、当YHも消費税納税業者の申請をする必要があるため、2年前から財務は消費税を勘案したものにしてきました。ただ開所以来表計算ソフト一つで確定申告資料を作成してきましたが、消費税を勘案すると、手間が従来の倍になり、また小数点以下の処理など面倒なことも多いのが現実。知り合いの税理士に以前聞いたら、財務ソフトを使わないと無理になる、と云われましたが、どうにか力仕事状態で表計算ソフト、それも2003年バージョンを駆使して作成し続けています。

決算をまとめるのは来年1月の雪の中での作業になります。果たしてその時にどういうことになっているやら、です。

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そろそろ?まだまだ?/ あの漆蔵資料館が?

2022-11-11 23:43:58 | 季節

朝晩の温度変化の大きさから、昨晩から今朝にかけて、この時期よくみられる激しい朝モヤ。こうなってくると、冬の足音もすぐそこまでと云った感じになってきます。また午後には近くで工事?と思ったら、積雪に備えて道路の端がわかるように目印の竹竿を立てる工事が行われていました。

秋田に来た頃には冬支度も慣れていなかったので、10月後半には準備に着手していましたが、ここ数年は仕組み作りも進んで、また慣れたこともあり短時間で済ませられるようになってきて、週間天気予報で雪マークがついた段階でスタートなどと、冬支度を甘く考えがちになって来ています。今年もまだ予報に雪マークが出ていませんので、もう少し時間があるかと。

さて、一昨日の横手東部蔵巡りで、増田で話を聞いていたら、漆蔵資料館が5月に閉館され、10月からはまんが美術館の分室となったとのこと。先日テレビで、まんが美術館の一部が移管されたとはやっていたのですが、漆蔵資料館として続き、併用されることになった?稲庭うどんを食べながら漫画が見られる?なんて思っていましたが、話によると、漆蔵資料館を所有している稲庭うどんの老舗、佐藤養助もさすがに新型コロナの影響などにより、経営的に余裕がなくなってきたようで、漆蔵資料館での営業を中止したとのこと。

かつて当YHを始めた18年前、観光地を探しにウロウロし、増田町に立派な蔵があることを知りましたが、当時はまだ町は観光には後ろ向きで、唯一見ることが出来たのが漆蔵資料館でした。その後町全体で観光に前向き(前のめり?)になってきた現在、漆蔵資料館が閉めざる得ない状況と云うのは、とても皮肉な話のように思えます。ただ、まんが美術館が分室とすることで、漆蔵資料館を閉館することは避けられ、引き続き内部は無料公開とのことですので、少し安心しました。

 

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横手東部酒蔵巡り②

2022-11-10 23:38:35 | 食文化

昨日の酒蔵巡りでは、増田の形に残っている酒蔵を見た後、メインイベントの廃業した酒蔵探しを開始。まずは蔵通り入口にある観光案内所に。詳しい人がいるかもと、期待しましたが、残念ながら不発。ただ石田理吉邸の人なら知っているかもと云われ、蔵と建物内部が公開されている石田理吉邸に。

入館料310円。話を聞くだけで、建物内部は見ないから、入館料は高く感じました。でもこういうところでケチってはいけません。料金を払って、受付の方に事情を話したところ、今日は石田家の関係者が不在だが、別な詳しい人が書いた書面があるとことで、引っ張り出してきてくれました。

その資料は増田町の酒造についてまとめたもので、小冊子にしたものの原稿のようでした。この資料を石田理吉邸の客間で30分ほど読ませて頂き、ちょっと贅沢な時間を過ごしてしまいました。

この資料に探していた増田酒造<百千鳥>、金星酒造<金星>、真人酒造<千寿>の詳細がある程度わかり、一番問題だった所在地探しも一度に解決。増田酒造は関係者が漆蔵資料館として使われていた場所かと思っていましたが、その斜め前の「門の酒屋」と呼ばれた酒蔵で、漆蔵の所有者とは一族だった模様。

金星酒造は、勇駒の石田久兵衛からの分家で、ここ石田理吉邸で醸造が行われていたが、先代の時(昭和30年代)に真人酒造に吸収される形で醸造を休止し、その後は医院として地域医療に貢献したとのこと。案内の方に聞くと、一時期増田酒造に委託生産していたこともあったが、敷地内の裏、今は草むらになっている場所で醸造をしていたのではと。

真人酒造は、この地区から真人公園に行く途中の真人地区にあった酒蔵。現在は跡形もないようですが、大体予想していた郵便局の向かい辺りにあったようです。昭和45年(1970)に勇駒に吸収合併されたとこと。

というわけで、入る時に高いと思った入館料は、とても安いものになってしまいました。

時々

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横手東部酒蔵巡り① 

2022-11-09 23:08:04 | 食文化

本日も満室が続き、お断りしたお客様、ごめんなさい。明日以降は部屋に少し余裕が出来ますので、飛び込みで来られるお客様にも対応できそうです。それでも山岳部の観光道路の冬季通行止めが始まっており、これからの時期は1年で一番閑散となる時期。更に今年は全国旅行支援が行われており、当YHのような低価格施設のニーズは低そうです。

さて、本日ようやく、気持ち的に余裕が出てきたので、酒蔵巡りとなりました。今回の目的地は横手東部。最初に目指したのは横手市街地から国道107号で東に進んだところにある阿桜酒造<酒銘・阿桜>。旧横手市に唯一残る酒蔵で、明治19年(1886)創業となっていますが、紆余曲折あり、昭和45年(1970)に現在地に移転。平成の終わりに関西の酒問屋グループ・田中文悟商店に買収されて経営再建中とのこと。社屋は国道沿いにあり、酒蔵と云うより学校に近い感じの建物で、直売をやっているかどうかは不明。今回も場所確認のため入口で写真だけで終了。

横手の街中に戻って、蛇の崎橋近くにあったと云う横手酒造(旧直利山酒造)<酒銘・大直利>を探そうとしましたが、手掛かりなし。

次に向かったのは、多くの酒蔵があった増田地区。まずは唯一現存する日の出醸造<酒銘・まんさくの花>に。増田蔵通りの南1/3ほどのところにあります。以前は中は見られませんでしたが、現在では直売コーナーや試飲所などもあるそうで、予約なしでもそこまでは入れますが、今日は入口だけ。

次に酒蔵が形として残されている勇駒酒造<酒銘・勇駒>。平成13年(2003)に廃業し、その後はイベントホールなどでも使用されていましたが、今は一部を使用して羽場こうじ店が「旬菜みそ茶屋くらを」として食堂を経営。ただ残念ながら本日は休業日でした。

とりあえず、見てわかる酒蔵は増田には以上2カ所。ここまではあっさりと終了です。ちなみに帰路、十文字駅前によって、新日の丸工場もチェック。増田の日の丸醸造が輸送の便宜を向上させるため、十文字駅に隣接する場所に壜詰工場として昭和43年(1968)に設立した会社。その後日の丸醸造が吸収し、営業部となっているようでした。

のち

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美郷町(千畑)/ 紅葉の千畑温泉

2022-11-08 23:02:23 | 温泉(秋田)

先日は買い出しのついでに美郷町の山側にある千畑温泉・サンアールで入浴。入浴料500円。ナトリウム-硫酸塩泉で源泉43℃、pH9.0のアルカリ泉で、加水、加温、循環、消毒ありで使用。内湯2、サウナ、露天と設備は一通りあり、日常使いでは十分すぎます。

昼食前の時間だったこともあり、入浴客は少なかったのですが、ほとんどの方がサウナが目的のようでした。このところのサウナ人気なのでしょうか、サウナがある施設ではどうしても入浴客が多め。でもせっかく温泉に来ているのだから、風呂(浴槽)目当てで来ればいいのに、とついつい考えてしまいます。

今回ここに来た目的は、浴槽にある大きな窓から外が見えますが、そこの紅葉がそろそろいいかな、ということで来ました。一番手前のモミジがまだ緑でしたが、多くの木が紅葉しており、露天からの眺めはまずまず。目的達成した気分になれました。

のち

 

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大仙市(仙北)/ 史跡の里交流プラザ・柵の湯

2022-11-07 23:56:47 | 温泉(秋田)

本日より新たにビジネス2チームが到着し、全室使用となりました。お断りしたお客様、ごめんなさい。1チームは木曜朝、もう1チームが金曜朝出発となりますので、その間飛び込みで来られたお客様には断らざるを得ません。

さて、今日は夕方からのお客様の到着を前に、気合を入れる意味もあって近くの温泉で日帰り入浴。本日は大仙市内、旧仙北地区にある柵の湯。入浴料400円は変わらず。脱衣所に掲示してある温泉分析表は、今までは抜粋のもので必要なデータが取れずに困っていましたが、今回新しくなり秋田県バージョンのフルデータ記載になっていました。

分析年月日は令和2年3月。以前のものと内容的に大きな変化はなさそうで、ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉で源泉53.6℃、pH7.8のお湯を加水なし、加温、循環、消毒ありで使用。新たに成分総計が出ており、3,.697mg/kgとそこそこの温泉。メタけい酸が35.5mg/kgと少し多めですが、あまりそんな感じはお湯からは受けませんでした。

浴室はいつもと一緒で、浴槽1、サウナ、露天とありますが、露天のお湯は入っていません。これは数年前からこんな感じになっており、空の浴槽があるということは、そういうこと?と考えてしまいます。微黄色透明、消毒臭、無味のお湯でギリギリ掛流なし。日常使いの地元の方でいつ来ても混んでる施設で、少しお湯の汚れも気になりました。

ここは一昨年で指定管理者が撤退し、現在は市の直営施設になっています。市の広報で募集がかかっていますが、まだ手を挙げる人が出ない模様。新型コロナ拡大の影響でここ2年赤字が拡大しているとのことで、施設の老朽化も目立ち始めており、新型コロナが落ち着かないと手を挙げる人は厳しいかな、と。日常での使い勝手は悪くないので、なんとか続けて欲しいものです。

時々

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黄色菊2回目、紫菊3回目の収穫

2022-11-06 23:49:21 | 畑・工作

明日からまたビジネスのお客様が来られ、全室使用となりますので、今日はその準備。それでも少し時間があったので、畑に出て食用菊の収穫。黄色の食用菊は先週1回目が終わった所で、また量が足りません。また紫の菊はかなりの量が既に採れていますが、せっかく畑に残っているので、放置状態でしたが、新鮮な部分だけ収穫しようと。量はそんなになさそうなので、さっと終わるかと思いましたが、気が付けば1時間近くかかってしまいました。

明日からのお客様は初めての方で、時間的にどうなるかわからない部分もありますし、今日は夕食後も時間があったので、午前中に収穫した食用菊を一気に解体作業まで。黄色は前回の半分程度でしたが、解体に1時間。紫は45分かかり、こちらも思ったより時間がかかってしまいました。

そろそろ外気温も下がって来て、菊も次の花が咲くかどうか微妙になってきましたので、これで最後の収穫になるかもしれません。紫色の菊は平年並みに収穫出来ましたが、黄色の菊はまだ少し足りないかなと云う感じ。来年になって新型コロナが落ち着いたら、品不足になりそうですが、その時には別なメニューを考えましょう。

のち

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納豆発祥の地は?

2022-11-05 23:35:11 | 食文化

9月頃から当YHもビジネスのお客様が続いていますが、大手のビジネスホテルでは週末は仕事の人が減るので比較的余裕があるようですが、どうも当YHもこのところそれに近い状態になってきており、この土日は少し時間が出来そうです。

空いた時間には、日本酒のお勉強は現地視察が中心になっているので、次のテーマ「納豆」を少しずつ調べています。先月中旬に関連するサイトをザっとみました。納豆の作り方や菌の話なども興味がありますが、周辺の観光案内をする際に出てくる「納豆発祥の地」の話。

今まではぼんやりした知識でお話ししていましたので、今回キッチリ調べてみようと思いました。謂われているのは、秋田説、水戸説が2トップで、熊本説、京都説なんてあることは初めて知りました。このどれもに絡んでいるのがやはり源義家という侍。熊本説も源義家が戦った後三年の役で熊本に流された安倍氏が、なんて話だし、京都は義家出陣の際に近くの農兵を連れて行って、なんて話になっているようで、さすがに平安時代後期の話となると確証が残っているというのは考えにくく、結局は霧の中、言ったもの勝ち状態のようです。

私が勝手に云っている、佐竹の殿様が水戸から秋田に来た時に持ってきた説は、どこにも見当たりませんでしたが、否定できる話もないような感じでした。これから先、この話はあまり大声でしない方がよさそうですね。

一時

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道路の冬季通行止め、始まる

2022-11-04 23:33:33 | 季節

文化の日が終わると、本格的な冬がすぐそこに近づいてきます。例年この前後に初霜となるのですが、今年はすでに10月下旬に初霜。3年連続の大雪の予想も出始めており、近くではカンコンカンコンと冬支度をする音が聞こえてきています。

本格的な冬を前に、山岳部などの観光道路は冬季通行止めの措置も始まって来ています。本日より八幡平アスピーテライン・蒸けの湯~岩手県境、鳥海ブルーライン、国道342号椿山~岩手県境(栗駒山)などで冬季通行止めが始まりました。また八幡平辺りでは既に何度か降雪があったとの話で、通行止の措置が取られていなくても、降雪時には臨時の通行止になる可能性も強くなってきました。

こうした経路は、う回路がかなり遠くなり、時間として数時間のロス、遅延ということにもなりかねません。通行止が行われている場所では、その手前で掲示板などで告知されているとは思いますが、計画に余裕を持つか、セカンドルートを事前に考えておいて、降雪等の可能性がある場合は早めに決断するなど、注意が必要です。

一方で、今年の5月にがけ崩れの恐れで通行止になっていた国道107号湯田~北上間は11/30に開通とのことで、代替手段として秋田道・湯田~北上西が無料措置となっていましたが、これも終了とのことです。

のち

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六郷地区酒蔵巡り

2022-11-03 23:10:22 | 食文化

昨日の種苗交換会の後、少し時間があったので、六郷地区の酒蔵巡りを行いました。かつてこの地には江戸時代に19軒(享保年間)もの酒蔵があり、名前が判明している酒造り集団としては、秋田藩(県)で最大規模だったとのこと。太平洋戦争前には7つの酒蔵があったものの、戦時中の企業整理で一つ(仙北酒類製造)になり、昭和31年の解散で元の酒蔵として独立したもの、そのまま廃業したものと別れ、現在では2軒(奥清水、春霞)となってしまって、寂しい限りですが、その痕跡はそこここにありそうです。

まずは六郷のメインストリートを進み、交差点にある栗林酒造<酒銘・春霞>。旧羽州街道と生保内街道の交わる場所で、街のランドマーク的になっている酒蔵。明治5年(1872)創業の酒蔵で、敷地は古くからの土地割のままのようで、入口側はたいして広くはないものの、奥行きは200mも黒塀が続いています。

続いては、現在観光施設の湧太郎となっている場所にあった京野酒造<酒銘・国之誉>。観光施設の中に酒蔵が多目的ホールとして残っているほか、国之誉の銘板などもあり、駐車場には無造作に仕込樽が置いてありました。

京野酒造は文政11年(1828)に創業された酒蔵。昭和47年に秋田清酒(大仙市)<酒銘・やまとしずく>設立時に株主して参加し、自社の瓶詰業務を廃止し全量移出していたが、その後廃業。

道向かいの家がかつての志ら梅酒造(旧湯川酒造)<酒銘・志ら梅>の建物とのこと。数年前までは住んでいるのではという状態で保存されていましたが、ここ数年、雪害などもあり劣化が激しくなってしまっています。

湯川酒造は元禄時代(1688-1704)に創業したと伝わる六郷で最も古い酒蔵。湯川家は六郷の大商家の一つに数えられ、大正時代には町長を務め、斜め向かいには分家した湯川呉服店の建物が残っていますが、こちらも老朽化が進んでおり残念です。

次に本道町に戻って八千代酒造<酒銘・八千代>。創業は大正4年(1915)、大正天皇即位の年で君が代の一部を引用したとのこと。戦時中の企業整備で廃止工場となったが昭和22年に復活。昭和43年の八重寿(大仙市)設立時に株主となり、醸造酒の一部を移出。平成になり火災や大雪被害などを受け、平成の終わり頃から営業休止している模様。裏に続くレンガ蔵は屋根の一部が痛んだままでした。

この日最後の酒蔵は街の北にある高橋酒造<酒銘・奥清水>。建物は住宅のような建築になっており、入口左の看板等がなければ酒蔵とわからない感じ。敷地内に六郷湧水群のひとつ、笑顔清水があります。

ここは戦後までは畑屋酒造<酒銘・両国>として現千畑町で明治18年に創業(創業時は個人商店)。戦時中の企業整理で廃止工場となったが、昭和24年に千畑町から六郷(現在地)に移転して2年後に操業復活。昭和29年に独立し、現在に至るとのこと。

この日は六郷の街中、5つの蔵巡りで終了となりました。

のち

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