朝方の荒れた天気に比べ、
夕方には雨が上がった。
このまま雨だったらどうしようと
思っていた心配は嘘のように、
青空が広がる中でのウォーキングになった。
上星川から二俣川に向かう道で、
聴いた曲はロイ・ハリスの交響曲第3番である。
昨日と同じくバーンスタイン指揮で、
ニューヨーク・フィルハーモニックの
旧盤と新盤を聴き比べる。
W.シューマンの交響曲でも言えるのだが、
実は旧盤の若い時のバーンスタインの指揮の方が
演奏はいいんじゃないかな。
なにしろ、ロイ・ハリスの交響曲第3番では、
旧盤の方が荒々しさがあり、
演奏表現ではっとさせる部分が多いのだ。
録音が新しければ必ずしもいいわけではない。
そんなことを実感させてくれる例である。
アメリカ的だなと思わせる部分は所々でみられる。
アメリカの作曲家たちは何がアメリカ的なのかを
音楽で表現するのに苦悩したんだろうなと思ったりする。
夕方には雨が上がった。
このまま雨だったらどうしようと
思っていた心配は嘘のように、
青空が広がる中でのウォーキングになった。
上星川から二俣川に向かう道で、
聴いた曲はロイ・ハリスの交響曲第3番である。
昨日と同じくバーンスタイン指揮で、
ニューヨーク・フィルハーモニックの
旧盤と新盤を聴き比べる。
W.シューマンの交響曲でも言えるのだが、
実は旧盤の若い時のバーンスタインの指揮の方が
演奏はいいんじゃないかな。
なにしろ、ロイ・ハリスの交響曲第3番では、
旧盤の方が荒々しさがあり、
演奏表現ではっとさせる部分が多いのだ。
録音が新しければ必ずしもいいわけではない。
そんなことを実感させてくれる例である。
アメリカ的だなと思わせる部分は所々でみられる。
アメリカの作曲家たちは何がアメリカ的なのかを
音楽で表現するのに苦悩したんだろうなと思ったりする。