ある会での出来事で覚えている体験は、
食事をしながら話していた時に、
私の頭の中にいきなり荒々しい金管による曲が響いたことだ。
その曲はとても印象的な旋律だったので、
私はそのメロディーをしっかり記憶しようとした。
記憶はしたもののそれを楽譜にできるかというと、
それは別の問題で、やるとなったらかなりの時間を要するだろう。
だからモーツァルトやベートーヴェンは偉いのであって、
そこが天才と凡人の違いかなとも思うのである。
今日は横浜から和田町まで歩いた。
聴いた曲はトンプソンの交響曲第2番である。
先日聴いたやんちゃ坊主のようなアイヴズとは違って、
あまりにも手堅く、正攻法で曲を作っており、
曲の展開がわかるので聴いている側としては安心して聴ける。
最後の楽章のクライマックスに来て
アメリカの作曲家らしくロマンティックなメロディーが流れ、
圧倒的な高揚感の中で音楽は終わる。
短い動機をこれでもかこれでもかと調理するので、
頭の中にその動機は記憶されていく。
でもこの曲の作り方、私の頭の中に響いた交響曲と似ている。
おそらく曲として完成させたらこんな風だろうなあ。
でも、決定的なのは頭の中に浮かんだメロディーを
即座に楽譜にできないことだろう。
食事をしながら話していた時に、
私の頭の中にいきなり荒々しい金管による曲が響いたことだ。
その曲はとても印象的な旋律だったので、
私はそのメロディーをしっかり記憶しようとした。
記憶はしたもののそれを楽譜にできるかというと、
それは別の問題で、やるとなったらかなりの時間を要するだろう。
だからモーツァルトやベートーヴェンは偉いのであって、
そこが天才と凡人の違いかなとも思うのである。
今日は横浜から和田町まで歩いた。
聴いた曲はトンプソンの交響曲第2番である。
先日聴いたやんちゃ坊主のようなアイヴズとは違って、
あまりにも手堅く、正攻法で曲を作っており、
曲の展開がわかるので聴いている側としては安心して聴ける。
最後の楽章のクライマックスに来て
アメリカの作曲家らしくロマンティックなメロディーが流れ、
圧倒的な高揚感の中で音楽は終わる。
短い動機をこれでもかこれでもかと調理するので、
頭の中にその動機は記憶されていく。
でもこの曲の作り方、私の頭の中に響いた交響曲と似ている。
おそらく曲として完成させたらこんな風だろうなあ。
でも、決定的なのは頭の中に浮かんだメロディーを
即座に楽譜にできないことだろう。