昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
なかなかここのところ長い距離を歩くことができない。
時間が取れないのも理由ではあるが、
昼の猛暑の中ではその勇気さえ出ることはない。
この時期は歩くとなるとどうしても朝か夕方になってしまう。
さて、昨日途中で聴いた曲は、1822年生まれのラフの作品。
ヨアヒム・ラフは交響曲編でも取り上げたが、スイスの作曲家である。
そこでドイツ・オーストリア編の中で彼については、
番外編としてとりあげてみたい。
11曲ある交響曲を含め300曲近くの作品を残し、
様々な分野の作品を残した彼は、当時教育者として活躍し、
リストに才能を認められ、作品のオーケストラーションを手助けし、
活躍していた当時は、名声をあげていたが、
現在忘れ去られていた作曲家であるが、
最近になって徐々に録音が増えてきた作曲家である。
今回聴いたピアノ三重奏曲全集のCDも世界初録音なのだから、
とりあげられる機会は少ない作曲家である。
ピアノ三重奏曲第1番ハ短調作品102は、1861年に作曲されている。
第一楽章「速く」は、ピアノから始まり弦楽器が加わり、
悲劇的な感じで始まる冒頭の主題をもとに曲は展開されていく。
シューベルトやメンデルスゾーンを思わせるような音楽だが、
劇的な部分を持ち、躍動感にあふれ、ある時は感傷的だが、
決して感傷に溺れることはなく、均衡のとれた作品である。
第二楽章「とても速く」はスケルツォ楽章で、常動曲の部分は
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の様式で書かれているようで、
それぞれの楽器がフーガ風に一つの主題を受け継いでは、
次の楽器に受け渡していく対位法的なところが印象的な曲である。
三部形式で書かれているようで、中間部は叙情的である。
第三楽章「中ぐらいの速さで、遅く」は、やさしく叙情的な、
ホ長調による崇高な賛歌に基づく主題による曲のようで、
中間部は劇的な部分を見せてくれる旋律的な音楽である。
第四楽章フィナーレ「速く、感動して」は、
ロンド・アパッショネートの楽章であり、
躍動感あふれる音楽で、ソナタ形式で書かれている。
メンデルスゾーンとも会ったことのあるラフだからか、
その時代の音楽というものを感じさせる室内楽である。
なかなかここのところ長い距離を歩くことができない。
時間が取れないのも理由ではあるが、
昼の猛暑の中ではその勇気さえ出ることはない。
この時期は歩くとなるとどうしても朝か夕方になってしまう。
さて、昨日途中で聴いた曲は、1822年生まれのラフの作品。
ヨアヒム・ラフは交響曲編でも取り上げたが、スイスの作曲家である。
そこでドイツ・オーストリア編の中で彼については、
番外編としてとりあげてみたい。
11曲ある交響曲を含め300曲近くの作品を残し、
様々な分野の作品を残した彼は、当時教育者として活躍し、
リストに才能を認められ、作品のオーケストラーションを手助けし、
活躍していた当時は、名声をあげていたが、
現在忘れ去られていた作曲家であるが、
最近になって徐々に録音が増えてきた作曲家である。
今回聴いたピアノ三重奏曲全集のCDも世界初録音なのだから、
とりあげられる機会は少ない作曲家である。
ピアノ三重奏曲第1番ハ短調作品102は、1861年に作曲されている。
第一楽章「速く」は、ピアノから始まり弦楽器が加わり、
悲劇的な感じで始まる冒頭の主題をもとに曲は展開されていく。
シューベルトやメンデルスゾーンを思わせるような音楽だが、
劇的な部分を持ち、躍動感にあふれ、ある時は感傷的だが、
決して感傷に溺れることはなく、均衡のとれた作品である。
第二楽章「とても速く」はスケルツォ楽章で、常動曲の部分は
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の様式で書かれているようで、
それぞれの楽器がフーガ風に一つの主題を受け継いでは、
次の楽器に受け渡していく対位法的なところが印象的な曲である。
三部形式で書かれているようで、中間部は叙情的である。
第三楽章「中ぐらいの速さで、遅く」は、やさしく叙情的な、
ホ長調による崇高な賛歌に基づく主題による曲のようで、
中間部は劇的な部分を見せてくれる旋律的な音楽である。
第四楽章フィナーレ「速く、感動して」は、
ロンド・アパッショネートの楽章であり、
躍動感あふれる音楽で、ソナタ形式で書かれている。
メンデルスゾーンとも会ったことのあるラフだからか、
その時代の音楽というものを感じさせる室内楽である。