昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩きました。
途中聴いた曲は、1778年生まれのフンメルの作品。
ヨハン・ネポムク・フンメルはプレスブルクで生まれた。
プレスブルクは当時ハンガリーに属し、現在はスロヴァキアにある。
その後の彼の活動の舞台が、ヴァイマルなどにあり、
ヴァイマルで没したことから、ここではドイツの作曲家として扱う。
モーツアルトなどにピアノを学び、幼くして神童といわれ、
ヨーロッパ各地でピアニストとして演奏活動を行った。
作曲家としては、親交を結んだベートーヴェンに並んで名声を得、
メンデルスゾーン、ツェルニーなどとも交流したようだ。
オルガンを師事したハイドンが亡くなった後は、
エステルハージの宮廷楽団の指揮者としても活躍した。
1819年にはヴァイマルの宮廷楽団の指揮者に就任したようだ。
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1822年に作曲されている。
第一楽章アレグロ・エ・リソルート・アッサイは、
印象ある悲劇的な主題から始まるが、曲はベートーヴェン風である。
もう一つの主題はモーツアルト風でもある。
ピアニストとして活躍したこともあり、
ピアノの聞かせどころもよく考えているだけでなく、
弦楽器とのかけあいもバランスが良く協奏曲的に作られている。
ソナタ形式で書かれているようで主題は様々な形に展開され、
その展開部が終わると再現部となり、最後は静かに終わる。
第二楽章メヌエット-アレグロ・コン・フオコは、
冒頭は宮廷の舞曲風で華やかさも感じるウィーン風の音楽だ。
主題の扱い方は、やはりベートーヴェン的な印象を受ける。
中間部のトリオは宮廷で活躍した彼らしい優雅な感じの音楽だ。
第三楽章ラルゴは、短い曲でピアノの活躍の場であり、
さりげない弦の伴奏にのって、ピアノがモーツアルト的な甘美な歌を歌う。
最後は終楽章に橋渡しする音楽となり終楽章に入る。
第四楽章アレグロ・アジタートは、主題をもとに展開されていくが、
ピアノの腕が発揮される楽章で、流れるようなピアノの演奏がいい。
ピアノ五重奏曲は全般を通していうと確かに音楽は、
ベートーヴェン風には聴こえるところが多いのだが、
ベートーヴェンにはない彼らしいところもあるのは事実である。
古典派的な部分とロマン派的な部分の両方をみることができる。
ところで今回聴いたCDの解説書に書いてあることは興味深い。
ニューグローヴ音楽大辞典でのフンメルの項目をみると、
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1802年に作曲されたと
記述されているらしいのだが、この年代には問題があるといっている。
なぜならこの曲を演奏するにあたって1802年の時期のピアノでは、
音域的に演奏不可能であるということなのだ。
1800年頃のウィーンのピアノは5と2分の1のオクターヴしか音域がない。
しかしこの五重奏曲はピアノに6と2分の1のオクターヴの音域を
演奏上要求しているのだから、1802年に作曲したというのはありえない。
考えられる可能性としては初期に作曲した作品を1822年に改訂して、
最終的に出版したということからこのような問題が出ているようだ。
もう一つの謎はこの曲名が「ピアノ五重奏曲変ホ短調」であるのに、
楽譜の作品の題名が、「ピアノ五重奏曲変ホ長調」となっていること。
これは写譜する際のミスのようで、ドイツ語の調の書き方に関係する。
ドイツ語では変ホ長調はEsと書き、変ホ短調をesと書く。
おそらく出版社が楽譜として出すときにこの大文字と小文字の違いを
間違えて本来「短調」と書くべきところを
「長調」と書いてしまったことによるのであろうが、
どうしてそうなったのかの真相はわからない。
だがいかにも印刷だとありそうなミスではある。
音楽の世界もいろいろ面白いことがあるもんだ。
途中聴いた曲は、1778年生まれのフンメルの作品。
ヨハン・ネポムク・フンメルはプレスブルクで生まれた。
プレスブルクは当時ハンガリーに属し、現在はスロヴァキアにある。
その後の彼の活動の舞台が、ヴァイマルなどにあり、
ヴァイマルで没したことから、ここではドイツの作曲家として扱う。
モーツアルトなどにピアノを学び、幼くして神童といわれ、
ヨーロッパ各地でピアニストとして演奏活動を行った。
作曲家としては、親交を結んだベートーヴェンに並んで名声を得、
メンデルスゾーン、ツェルニーなどとも交流したようだ。
オルガンを師事したハイドンが亡くなった後は、
エステルハージの宮廷楽団の指揮者としても活躍した。
1819年にはヴァイマルの宮廷楽団の指揮者に就任したようだ。
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1822年に作曲されている。
第一楽章アレグロ・エ・リソルート・アッサイは、
印象ある悲劇的な主題から始まるが、曲はベートーヴェン風である。
もう一つの主題はモーツアルト風でもある。
ピアニストとして活躍したこともあり、
ピアノの聞かせどころもよく考えているだけでなく、
弦楽器とのかけあいもバランスが良く協奏曲的に作られている。
ソナタ形式で書かれているようで主題は様々な形に展開され、
その展開部が終わると再現部となり、最後は静かに終わる。
第二楽章メヌエット-アレグロ・コン・フオコは、
冒頭は宮廷の舞曲風で華やかさも感じるウィーン風の音楽だ。
主題の扱い方は、やはりベートーヴェン的な印象を受ける。
中間部のトリオは宮廷で活躍した彼らしい優雅な感じの音楽だ。
第三楽章ラルゴは、短い曲でピアノの活躍の場であり、
さりげない弦の伴奏にのって、ピアノがモーツアルト的な甘美な歌を歌う。
最後は終楽章に橋渡しする音楽となり終楽章に入る。
第四楽章アレグロ・アジタートは、主題をもとに展開されていくが、
ピアノの腕が発揮される楽章で、流れるようなピアノの演奏がいい。
ピアノ五重奏曲は全般を通していうと確かに音楽は、
ベートーヴェン風には聴こえるところが多いのだが、
ベートーヴェンにはない彼らしいところもあるのは事実である。
古典派的な部分とロマン派的な部分の両方をみることができる。
ところで今回聴いたCDの解説書に書いてあることは興味深い。
ニューグローヴ音楽大辞典でのフンメルの項目をみると、
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1802年に作曲されたと
記述されているらしいのだが、この年代には問題があるといっている。
なぜならこの曲を演奏するにあたって1802年の時期のピアノでは、
音域的に演奏不可能であるということなのだ。
1800年頃のウィーンのピアノは5と2分の1のオクターヴしか音域がない。
しかしこの五重奏曲はピアノに6と2分の1のオクターヴの音域を
演奏上要求しているのだから、1802年に作曲したというのはありえない。
考えられる可能性としては初期に作曲した作品を1822年に改訂して、
最終的に出版したということからこのような問題が出ているようだ。
もう一つの謎はこの曲名が「ピアノ五重奏曲変ホ短調」であるのに、
楽譜の作品の題名が、「ピアノ五重奏曲変ホ長調」となっていること。
これは写譜する際のミスのようで、ドイツ語の調の書き方に関係する。
ドイツ語では変ホ長調はEsと書き、変ホ短調をesと書く。
おそらく出版社が楽譜として出すときにこの大文字と小文字の違いを
間違えて本来「短調」と書くべきところを
「長調」と書いてしまったことによるのであろうが、
どうしてそうなったのかの真相はわからない。
だがいかにも印刷だとありそうなミスではある。
音楽の世界もいろいろ面白いことがあるもんだ。