昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1732年生まれのハイドンの作品。
ハイドンは68曲の弦楽四重奏曲を残している。
そもそもホーボーゲンが付けた作曲順の番号が、
83番まであったのだが、その後偽作や他の曲からの編曲を
除いて純粋にオリジナルの弦楽四重奏曲は68番までしかない。
「皇帝」の名で呼ばれている作品76-3の弦楽四重奏曲は、
今までの慣例で考えると、第77番となるわけだが、
コダーイ弦楽四重奏団によるCDでは、これを第62番と表記している。
この弦楽四重奏曲第77番は、1797年に作曲された作品で、
旧オーストリア国歌「皇帝讃歌」(現ドイツ国歌)が
第2楽章で使われていることから有名な作品である。
第一楽章アレグロはソナタ形式で書かれている。
華やかな音楽で、いかにも宮廷的であり、
円熟した作曲技術をみることができる。
舞踏風の旋律は、時によっては北欧的にも聴こえる。
第ニ楽章ポコ・アダージョ、カンタービレは、
「皇帝讃歌」のメロディに基づく変奏曲となっている。
「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」という内容は、
いかにも愛国的だが、この時代がフランス革命を経て、
ナポレオンによる侵略がヨーロッパ内で行われた時期で、
各国で愛国的な意識が芽生えた時期でもある。
イングランドで「国王陛下万歳」(現在は「女王陛下万歳」)が、
国の歌として歌われていることをイングランド訪問時に知り、
フランスでは「ラ・マルセイエーズ」という愛国的な歌が歌われ、
このようなオーストリアの危機という時代状況にあって、
ハイドンも愛国的な歌が必要と考え、ハシュカの詩に
ハイドンが曲を付け皇帝に献呈したようである。
この「皇帝讃歌」の主題に基づく変奏曲は穏やかな音楽で、
心に徐々にやさしくしみわたっていく音楽である。
第三楽章メヌエット(アレグロ)は軽快な音楽。
ハ長調の主部に対してトリオのイ短調は対照的である。
第四楽章フィナーレ(プレスト)は、ソナタ形式による。
ハ短調から始まる冒頭は聴き手の予想を裏切り、斬新である。
展開部を経て、曲は最後ハ長調のコーダで終わる。
それにしてもさすがハイドンだなあと思わせる代表作である。
途中聴いたのは、1732年生まれのハイドンの作品。
ハイドンは68曲の弦楽四重奏曲を残している。
そもそもホーボーゲンが付けた作曲順の番号が、
83番まであったのだが、その後偽作や他の曲からの編曲を
除いて純粋にオリジナルの弦楽四重奏曲は68番までしかない。
「皇帝」の名で呼ばれている作品76-3の弦楽四重奏曲は、
今までの慣例で考えると、第77番となるわけだが、
コダーイ弦楽四重奏団によるCDでは、これを第62番と表記している。
この弦楽四重奏曲第77番は、1797年に作曲された作品で、
旧オーストリア国歌「皇帝讃歌」(現ドイツ国歌)が
第2楽章で使われていることから有名な作品である。
第一楽章アレグロはソナタ形式で書かれている。
華やかな音楽で、いかにも宮廷的であり、
円熟した作曲技術をみることができる。
舞踏風の旋律は、時によっては北欧的にも聴こえる。
第ニ楽章ポコ・アダージョ、カンタービレは、
「皇帝讃歌」のメロディに基づく変奏曲となっている。
「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」という内容は、
いかにも愛国的だが、この時代がフランス革命を経て、
ナポレオンによる侵略がヨーロッパ内で行われた時期で、
各国で愛国的な意識が芽生えた時期でもある。
イングランドで「国王陛下万歳」(現在は「女王陛下万歳」)が、
国の歌として歌われていることをイングランド訪問時に知り、
フランスでは「ラ・マルセイエーズ」という愛国的な歌が歌われ、
このようなオーストリアの危機という時代状況にあって、
ハイドンも愛国的な歌が必要と考え、ハシュカの詩に
ハイドンが曲を付け皇帝に献呈したようである。
この「皇帝讃歌」の主題に基づく変奏曲は穏やかな音楽で、
心に徐々にやさしくしみわたっていく音楽である。
第三楽章メヌエット(アレグロ)は軽快な音楽。
ハ長調の主部に対してトリオのイ短調は対照的である。
第四楽章フィナーレ(プレスト)は、ソナタ形式による。
ハ短調から始まる冒頭は聴き手の予想を裏切り、斬新である。
展開部を経て、曲は最後ハ長調のコーダで終わる。
それにしてもさすがハイドンだなあと思わせる代表作である。