昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1916年東京生まれの柴田南雄の作品。
彼は作曲を諸井三郎に師事し、1950年代から入野義郎と
12音技法の研究を開始し、「20世紀音楽研究所」を創設し、
ヨーロッパの前衛音楽の紹介したようだ。
1960年代終わりには日本の中の民謡を採集し、
作風も日本の民俗芸能を含んだ音楽に変化したようだ。
金管六重奏のためのエッセイは1965年に作曲された作品。
20世紀音楽研究所主宰の第6回現代音楽祭のために作曲された。
低音の持続音を響かせ静かに始まる冒頭は、
チベット仏教の音楽を想起させる感じである。
第1部のカップ・ミュートを使った金管による音楽は、
点描的に音を散らばせ、それぞれの楽器の存在感を示す。
第2部は動きのあるリズミカルな音楽であり、
不協和音を響かせながらクライマックスを築き、
その持続和音の中で華々しく終わる。
ピアノのためのインプロヴィゼーション第二は、
1968年に作曲され、第2回日独現代音楽祭で初演された。
「A音列」とよばれる4つの短い断片と、
「B音列」とよばれる4つの長い断片の組み合わせにより、
構成される音楽はジグソーパズルのようで、
ぶつ切りされた音の断片が次々と聴こえてくるという印象である。
最後も音楽が終わる感じではないところで突然終わる。
前衛的な音楽を紹介続けた柴田南雄らしい曲である。
「カドリール」は、1975年に作曲された作品。
日本的なものを取り入れる作風に転換し始めた時期の作品である。
解説書によると明治初めの鹿鳴館などで踊られた舞曲の「カドリール」が、
4人で踊ることから、この曲の名称の由来となっているが、
作曲者が自ら語るようにその4という数字が、
マリンバ奏者が示す西洋音楽様式のリズムと、
小鼓奏者が示す日本音楽のリズムと、
マリンバ奏者の心音である生体のリズムと、
全体を通じて、音楽的諸要素を決めるための、
ある数式から導かれた非周期的なリズムという
4つのリズム層の4の数字に呼応している。
音楽はそれら4つのリズム層によって構成されるようだ。
途中小鼓の音とともに小鼓奏者の掛け声の音まで聴こえ、
その小鼓奏者の音を録音されたテープと、
小鼓奏者の心音のテープの音も一緒に再生され、
聴いてみると実験的で意欲的な作品に仕上がっている感じである。
途中聴いたのは、1916年東京生まれの柴田南雄の作品。
彼は作曲を諸井三郎に師事し、1950年代から入野義郎と
12音技法の研究を開始し、「20世紀音楽研究所」を創設し、
ヨーロッパの前衛音楽の紹介したようだ。
1960年代終わりには日本の中の民謡を採集し、
作風も日本の民俗芸能を含んだ音楽に変化したようだ。
金管六重奏のためのエッセイは1965年に作曲された作品。
20世紀音楽研究所主宰の第6回現代音楽祭のために作曲された。
低音の持続音を響かせ静かに始まる冒頭は、
チベット仏教の音楽を想起させる感じである。
第1部のカップ・ミュートを使った金管による音楽は、
点描的に音を散らばせ、それぞれの楽器の存在感を示す。
第2部は動きのあるリズミカルな音楽であり、
不協和音を響かせながらクライマックスを築き、
その持続和音の中で華々しく終わる。
ピアノのためのインプロヴィゼーション第二は、
1968年に作曲され、第2回日独現代音楽祭で初演された。
「A音列」とよばれる4つの短い断片と、
「B音列」とよばれる4つの長い断片の組み合わせにより、
構成される音楽はジグソーパズルのようで、
ぶつ切りされた音の断片が次々と聴こえてくるという印象である。
最後も音楽が終わる感じではないところで突然終わる。
前衛的な音楽を紹介続けた柴田南雄らしい曲である。
「カドリール」は、1975年に作曲された作品。
日本的なものを取り入れる作風に転換し始めた時期の作品である。
解説書によると明治初めの鹿鳴館などで踊られた舞曲の「カドリール」が、
4人で踊ることから、この曲の名称の由来となっているが、
作曲者が自ら語るようにその4という数字が、
マリンバ奏者が示す西洋音楽様式のリズムと、
小鼓奏者が示す日本音楽のリズムと、
マリンバ奏者の心音である生体のリズムと、
全体を通じて、音楽的諸要素を決めるための、
ある数式から導かれた非周期的なリズムという
4つのリズム層の4の数字に呼応している。
音楽はそれら4つのリズム層によって構成されるようだ。
途中小鼓の音とともに小鼓奏者の掛け声の音まで聴こえ、
その小鼓奏者の音を録音されたテープと、
小鼓奏者の心音のテープの音も一緒に再生され、
聴いてみると実験的で意欲的な作品に仕上がっている感じである。