昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今回からは器楽曲・室内楽の紹介はその他の地域編に入る。
昨日途中で聴いたのは1923年生まれの中国の桑桐の作品。
桑桐という人物についての情報はCDの解説では書かれていない。
どんな経歴の作曲家についての詳細はわからないが、
上海生まれのようで、作曲家および音楽教育家として活躍した。
1941年国立音楽専門学校に入り、作曲を学び、
1947年頃から作曲活動を本格的に行い、
1949年以降は上海音楽学院で教鞭をとり、学院長にもなっている。
「内モンゴル民謡による7つの小品」は、1953年に作曲された。
中国音階による旋律中心のピアノ作品になっている。
内モンゴル民謡の原曲を崩さないような曲となっている。
第1曲「哀歌」は、哀愁に満ちた中に印象主義派風な部分がみられる。
この第1曲だけが4分ほどの曲で、他の6曲は1分程度、
もしくは1分に満たない短い曲ばかりである。
第2曲「友情」は、軽快で明るい旋律による短い曲である。
第3曲「郷愁」は、流れるような旋律によるしっとりした短い曲。
第4曲「草原の愛の歌」は、前曲と同じくおだやかでしっとりした短い曲。
第5曲「子供の踊り」は、三部形式からなる軽快な短い曲。
第6曲「悲しみ」は、第1曲と同じように哀愁ただよう曲。
第7曲「踊り」は、バルトークの舞踏組曲を思わせるような
軽快な舞踏風の短い曲で、ほのぼのとした感じで全曲を閉じる。
今回からは器楽曲・室内楽の紹介はその他の地域編に入る。
昨日途中で聴いたのは1923年生まれの中国の桑桐の作品。
桑桐という人物についての情報はCDの解説では書かれていない。
どんな経歴の作曲家についての詳細はわからないが、
上海生まれのようで、作曲家および音楽教育家として活躍した。
1941年国立音楽専門学校に入り、作曲を学び、
1947年頃から作曲活動を本格的に行い、
1949年以降は上海音楽学院で教鞭をとり、学院長にもなっている。
「内モンゴル民謡による7つの小品」は、1953年に作曲された。
中国音階による旋律中心のピアノ作品になっている。
内モンゴル民謡の原曲を崩さないような曲となっている。
第1曲「哀歌」は、哀愁に満ちた中に印象主義派風な部分がみられる。
この第1曲だけが4分ほどの曲で、他の6曲は1分程度、
もしくは1分に満たない短い曲ばかりである。
第2曲「友情」は、軽快で明るい旋律による短い曲である。
第3曲「郷愁」は、流れるような旋律によるしっとりした短い曲。
第4曲「草原の愛の歌」は、前曲と同じくおだやかでしっとりした短い曲。
第5曲「子供の踊り」は、三部形式からなる軽快な短い曲。
第6曲「悲しみ」は、第1曲と同じように哀愁ただよう曲。
第7曲「踊り」は、バルトークの舞踏組曲を思わせるような
軽快な舞踏風の短い曲で、ほのぼのとした感じで全曲を閉じる。