昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1829年生まれのゴットシャルクの交響曲。
彼はニューオリンズで生まれ、
父はロンドン出身のユダヤ商人だったようだ。
幼い頃からピアノの才能があった彼は、
13歳のときに勉強のためにパリに渡り、
パリ音楽院への入学を目指したが拒否されたようだ。
1853年にはアメリカに戻り、そのあと中南米各地を回った。
彼の作風はショパンなどからの影響であるロマン的な音楽と、
国民楽派的なアメリカや中南米の音楽要素を採り入れた、
当時としては斬新な側面がみられるようである。
ロマンティック交響曲「熱帯の夜」は、1859年に作曲されたようだ。
今回は彼自身による管弦楽によるスコアに基づき、
CDの指揮者リチャード・ローゼンバーグが手を加えた完成版で聴いた。
第一楽章「熱帯の夜」は、ホルンの吹奏などにより始まり、
のどかな曲で、ヨーロッパのロマン派的な音楽である。
曲の作り方はドイツ風で堅実な感じではあるが、
オペラの間奏曲を思わせるフランス的な雰囲気もある。
したがって、アメリカらしさというよりは、
ヨーロッパの伝統的な音楽の要素を感じる。
途中、金管楽器が加わり壮大で華麗な音楽になり、
最後はトランペット・ソロが主題を堂々と吹き静かに終わる。
第二楽章「クリオーリョの祭り」は、軽快な曲で、
陽気なシンコペーションのリズムが中南米を思わせる。
打楽器群が加わると途端にキューバ風に聴こえてくる。
ヨーロッパの伝統的クラシック音楽の手法と
中南米の音楽の見事な融合といった感じだろう。
題名の通り、最後は打楽器が再び加わり、
お祭り気分の中で、華やかに終わる。
途中聴いたのは1829年生まれのゴットシャルクの交響曲。
彼はニューオリンズで生まれ、
父はロンドン出身のユダヤ商人だったようだ。
幼い頃からピアノの才能があった彼は、
13歳のときに勉強のためにパリに渡り、
パリ音楽院への入学を目指したが拒否されたようだ。
1853年にはアメリカに戻り、そのあと中南米各地を回った。
彼の作風はショパンなどからの影響であるロマン的な音楽と、
国民楽派的なアメリカや中南米の音楽要素を採り入れた、
当時としては斬新な側面がみられるようである。
ロマンティック交響曲「熱帯の夜」は、1859年に作曲されたようだ。
今回は彼自身による管弦楽によるスコアに基づき、
CDの指揮者リチャード・ローゼンバーグが手を加えた完成版で聴いた。
第一楽章「熱帯の夜」は、ホルンの吹奏などにより始まり、
のどかな曲で、ヨーロッパのロマン派的な音楽である。
曲の作り方はドイツ風で堅実な感じではあるが、
オペラの間奏曲を思わせるフランス的な雰囲気もある。
したがって、アメリカらしさというよりは、
ヨーロッパの伝統的な音楽の要素を感じる。
途中、金管楽器が加わり壮大で華麗な音楽になり、
最後はトランペット・ソロが主題を堂々と吹き静かに終わる。
第二楽章「クリオーリョの祭り」は、軽快な曲で、
陽気なシンコペーションのリズムが中南米を思わせる。
打楽器群が加わると途端にキューバ風に聴こえてくる。
ヨーロッパの伝統的クラシック音楽の手法と
中南米の音楽の見事な融合といった感じだろう。
題名の通り、最後は打楽器が再び加わり、
お祭り気分の中で、華やかに終わる。