昨日は急な飲み会が入り、ウォーキングを休みました。
途中で聴いたのは1915年生まれのリルバーンの作品。
ニュージーランドの代表的な作曲家である彼の経歴については、
以前触れたので、ここでは省略したい。
交響曲第2番は1951年に作曲され、1959年初演された。
第1楽章前奏曲(モデラート)は、ゆったりとした曲で、
幻想的であり、北欧風のところは、ニールセン風ともいえる。
交響曲は、雄大なニュージーランドの風景を描写しているようだ。
第2楽章スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、
軽快で素朴な民謡風の主題が色々な楽器に引き継がれ、
金管楽器によりアクセントが付けられ、歯切れのいい曲である。
底抜けに明るい音楽は聴きやすいが、中間部のやや暗い音楽が、
対照的な感じでいいし、最後も歯切れよく終わる。
第3楽章導入(ポコ・レント)は、深い悲しみに包まれた曲で、
哀愁漂う旋律は弦楽器と木管楽器を中心に展開されていく。
北欧らしさを感じるような幻想的な楽章である。
第4楽章フィナーレ(アレグロ)は、雄大な自然を描写した曲で、
シベリウスを思わせる作品で、堂々とした主題が提示され始まる。
急な坂や急峻な岩場や日の出のときの雄大な河と平原と地平線、
輝く海がパノラマのように展開する風景を描写した作品である。
ニュージーランドの自然をこよなく愛したリルバーンらしい作品である。
交響曲第3番は1961年に作曲された。
単一楽章制を採り、モデラートからヴィヴァーチェ、
アレグロ、そしてアンダンテ、
アレグロの5つの部分から構成されている。
幻想的な感じで始まる曲は、第2番に比べると現代的で、
聴いてみるとニールセン風なところもあり、
荒々しい部分や木管楽器の扱いなどを注目すると、
さらに円熟した彼の作曲技法を感じ取ることができる。
とはいえ、そこにイメージされるのは自然である。
彼は自然を愛した作曲家なんだなあと感じるのである。
途中で聴いたのは1915年生まれのリルバーンの作品。
ニュージーランドの代表的な作曲家である彼の経歴については、
以前触れたので、ここでは省略したい。
交響曲第2番は1951年に作曲され、1959年初演された。
第1楽章前奏曲(モデラート)は、ゆったりとした曲で、
幻想的であり、北欧風のところは、ニールセン風ともいえる。
交響曲は、雄大なニュージーランドの風景を描写しているようだ。
第2楽章スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、
軽快で素朴な民謡風の主題が色々な楽器に引き継がれ、
金管楽器によりアクセントが付けられ、歯切れのいい曲である。
底抜けに明るい音楽は聴きやすいが、中間部のやや暗い音楽が、
対照的な感じでいいし、最後も歯切れよく終わる。
第3楽章導入(ポコ・レント)は、深い悲しみに包まれた曲で、
哀愁漂う旋律は弦楽器と木管楽器を中心に展開されていく。
北欧らしさを感じるような幻想的な楽章である。
第4楽章フィナーレ(アレグロ)は、雄大な自然を描写した曲で、
シベリウスを思わせる作品で、堂々とした主題が提示され始まる。
急な坂や急峻な岩場や日の出のときの雄大な河と平原と地平線、
輝く海がパノラマのように展開する風景を描写した作品である。
ニュージーランドの自然をこよなく愛したリルバーンらしい作品である。
交響曲第3番は1961年に作曲された。
単一楽章制を採り、モデラートからヴィヴァーチェ、
アレグロ、そしてアンダンテ、
アレグロの5つの部分から構成されている。
幻想的な感じで始まる曲は、第2番に比べると現代的で、
聴いてみるとニールセン風なところもあり、
荒々しい部分や木管楽器の扱いなどを注目すると、
さらに円熟した彼の作曲技法を感じ取ることができる。
とはいえ、そこにイメージされるのは自然である。
彼は自然を愛した作曲家なんだなあと感じるのである。