昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1938年生まれのコリリアーノの交響曲。
父はニューヨーク・フィルのコンサートマスターを23年間つとめ、
母はピアニストであったということだから、
音楽家の環境の中に育ったということになる。
コロンビア大学、マンハッタン音楽大学で学び、
ポール・クレストンなどに師事したようだ。
バーンスタインの「ヤング・ピープル・コンサート」の
助監督をつとめたりし、キャリアをつみあげていった。
交響曲第1番は1988年から89年にかけて作曲された。
シカゴ交響楽団の委嘱作品であり、
エイズで命を失った友人の思い出に捧げられた作品だ。
第一楽章アポローグ(憤怒と回想による)は、
鐘の音とともに始まる長い弦楽器の持続音が印象的である。
打楽器が加わり、突然激しい音楽になったかと思うと、
静寂で幻想的な音楽になり、また激しい音楽になる。
そこには感情の変化があり、友人を失ったことへの
やりきれない怒りの気持ちと悲しい気持ちが、
絶えず交錯しているかのようである。
途中ピアノによって奏されるアルベニスの「タンゴ」は、
失った友人がよく好んでいた曲ということであり、
友人の思い出が彼の脳裏に現れては、
消えることを表現しているみたいだ。
第二楽章タランテラは、狂気と幻影の音楽で、
軽快なタランテラの音楽は、徐々に狂気を帯びていく。
避けられない死に直面しながら、その恐怖と戦い、
その苦しみに耐えながら、不安な気持ちにもなる患者の
心情を表現しているみたいに聞こえる。
最後は残酷な運命の中での悲鳴のように聞こえ、
その狂乱の中で音楽は突然終わる。
第三楽章シャコンヌ(ジュリオの歌)は、
アマチュアのチェロ奏者であった友人を思い起こさせる曲で、
独奏チェロによる演奏がそれを象徴させているのだろう。
その友人の死と同じようにして亡くなった人々への思いとして、
慰め、いたわるかのように優しく静かな音楽である。
最後音楽は徐々に荒々しくなるが、
それは刻々と迫る死を表現しているかのようである。
第四楽章エピローグは、前楽章から切れ目なく続く短い楽章で、
第一楽章のアルベニスのタンゴなど各楽章の部分を再現していく。
亡くなった友人たちの過去の思い出にとらわれながらも、
友人たちの死をいたく悼む作曲者の祈るような音楽で終わる。
途中聴いたのは1938年生まれのコリリアーノの交響曲。
父はニューヨーク・フィルのコンサートマスターを23年間つとめ、
母はピアニストであったということだから、
音楽家の環境の中に育ったということになる。
コロンビア大学、マンハッタン音楽大学で学び、
ポール・クレストンなどに師事したようだ。
バーンスタインの「ヤング・ピープル・コンサート」の
助監督をつとめたりし、キャリアをつみあげていった。
交響曲第1番は1988年から89年にかけて作曲された。
シカゴ交響楽団の委嘱作品であり、
エイズで命を失った友人の思い出に捧げられた作品だ。
第一楽章アポローグ(憤怒と回想による)は、
鐘の音とともに始まる長い弦楽器の持続音が印象的である。
打楽器が加わり、突然激しい音楽になったかと思うと、
静寂で幻想的な音楽になり、また激しい音楽になる。
そこには感情の変化があり、友人を失ったことへの
やりきれない怒りの気持ちと悲しい気持ちが、
絶えず交錯しているかのようである。
途中ピアノによって奏されるアルベニスの「タンゴ」は、
失った友人がよく好んでいた曲ということであり、
友人の思い出が彼の脳裏に現れては、
消えることを表現しているみたいだ。
第二楽章タランテラは、狂気と幻影の音楽で、
軽快なタランテラの音楽は、徐々に狂気を帯びていく。
避けられない死に直面しながら、その恐怖と戦い、
その苦しみに耐えながら、不安な気持ちにもなる患者の
心情を表現しているみたいに聞こえる。
最後は残酷な運命の中での悲鳴のように聞こえ、
その狂乱の中で音楽は突然終わる。
第三楽章シャコンヌ(ジュリオの歌)は、
アマチュアのチェロ奏者であった友人を思い起こさせる曲で、
独奏チェロによる演奏がそれを象徴させているのだろう。
その友人の死と同じようにして亡くなった人々への思いとして、
慰め、いたわるかのように優しく静かな音楽である。
最後音楽は徐々に荒々しくなるが、
それは刻々と迫る死を表現しているかのようである。
第四楽章エピローグは、前楽章から切れ目なく続く短い楽章で、
第一楽章のアルベニスのタンゴなど各楽章の部分を再現していく。
亡くなった友人たちの過去の思い出にとらわれながらも、
友人たちの死をいたく悼む作曲者の祈るような音楽で終わる。