昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1510年頃に生まれたオルティスの作品。
ただ、彼の生涯については、わからないことが多く、
生まれた年を1500年頃とか1510年頃とか、
1525年頃と書いているものそれぞれある。
没年については1570年頃とか1570年以降となっているので、
この没年についてはだいたい一致する。
トレドに生まれた彼は、優れたヴィオラ・ダ・ガンバ奏者であり、
1553年にローマで「変奏論」という主著を出版したことで知られる。
ナポリ総督の宮廷で聖歌隊長を務め、
ヴィオラ・ダ・ガンバの作品のみならず、宗教曲も作曲したようだ。
「バッソ・オスティナートをもつ3つのレセルカーダ」などは、
1553年に出版された「変奏論」の中に収められている作品の一つである。
今回聴いたCDは、ジョルディ・サバールのヴィオラ・ダ・ガンバ、
ヘノベーバ・ガルベスのハープシコード(またはポジティフ・オルガン)、
セルジ・カサデムントのテノール・ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏である。
「バッソ・オスティナートをもつ3つのレセルカーダ」の中の、
最初の第8番はフォーリアによるもので、
ハープシコードが弾く伴奏の上で、
ヴィオラ・ダ・ガンバがのびやかな旋律を奏し、
主題に基づく変奏を展開していく。
2曲目の第1番は、古いパッサメッツォによるもので、
やはりヴィオラ・ダ・ガンバがのびやかな旋律による変奏が心地よい。
3曲目の第2番は、新しいパッサメッツォによるもので、
変奏の中でヴィオラ・ダ・ガンバの技法が発揮される。
舞曲風の優雅な曲で、楽しい感じの作品である。
「マドリガーレ『おお幸せな私の眼よ』による4つのレセルカーダ」の、
第4番は、ポジティフ・オルガンとヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏。
歌うような旋律が対位法的な展開を見せながら、やさしく奏される。
第1番以降は、ハープシコードとヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏。
ハープシコードの繰り返される伴奏に乗って、
即興風にヴィオラ・ダ・ガンバが流れるような旋律を奏でていく。
第2番も同じだが、ヴィオラ・ダ・ガンバが奏する旋律は、
低音ではなく、高音部が中心となった主題で変奏が展開される。
第3番は、低音部から始まり、同じような変奏が展開される。
途中聴いたのは1510年頃に生まれたオルティスの作品。
ただ、彼の生涯については、わからないことが多く、
生まれた年を1500年頃とか1510年頃とか、
1525年頃と書いているものそれぞれある。
没年については1570年頃とか1570年以降となっているので、
この没年についてはだいたい一致する。
トレドに生まれた彼は、優れたヴィオラ・ダ・ガンバ奏者であり、
1553年にローマで「変奏論」という主著を出版したことで知られる。
ナポリ総督の宮廷で聖歌隊長を務め、
ヴィオラ・ダ・ガンバの作品のみならず、宗教曲も作曲したようだ。
「バッソ・オスティナートをもつ3つのレセルカーダ」などは、
1553年に出版された「変奏論」の中に収められている作品の一つである。
今回聴いたCDは、ジョルディ・サバールのヴィオラ・ダ・ガンバ、
ヘノベーバ・ガルベスのハープシコード(またはポジティフ・オルガン)、
セルジ・カサデムントのテノール・ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏である。
「バッソ・オスティナートをもつ3つのレセルカーダ」の中の、
最初の第8番はフォーリアによるもので、
ハープシコードが弾く伴奏の上で、
ヴィオラ・ダ・ガンバがのびやかな旋律を奏し、
主題に基づく変奏を展開していく。
2曲目の第1番は、古いパッサメッツォによるもので、
やはりヴィオラ・ダ・ガンバがのびやかな旋律による変奏が心地よい。
3曲目の第2番は、新しいパッサメッツォによるもので、
変奏の中でヴィオラ・ダ・ガンバの技法が発揮される。
舞曲風の優雅な曲で、楽しい感じの作品である。
「マドリガーレ『おお幸せな私の眼よ』による4つのレセルカーダ」の、
第4番は、ポジティフ・オルガンとヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏。
歌うような旋律が対位法的な展開を見せながら、やさしく奏される。
第1番以降は、ハープシコードとヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏。
ハープシコードの繰り返される伴奏に乗って、
即興風にヴィオラ・ダ・ガンバが流れるような旋律を奏でていく。
第2番も同じだが、ヴィオラ・ダ・ガンバが奏する旋律は、
低音ではなく、高音部が中心となった主題で変奏が展開される。
第3番は、低音部から始まり、同じような変奏が展開される。