風景を切り取る

2020-12-08 22:11:54 | 大磯の家


「大磯の家」ができあがり、お引渡しとなりました。この日は朝から小雨で、家の背後の地山は雨に煙っていました。
東京から離れ、このように山が身近に見える環境は、その日その時に一期一会の風景の見え方があります。
端的に言えば、この家の設計は「一期一会」の風景をいかに楽しむか、ということにあったように思います。
朝起きて最初に見る風景であるとか、顔を洗っている時とか、昼間に和室で新聞を読んでいる時とか、一日のなかにありふれているごく些細な時間が、豊かなものであるように。



庭と建物が一体となった家。それが家づくりの当初からのコンセプトでしたので、計画の初期段階から造園家を交えて庭づくりの打合せも重ねてきました。
こうして建物はできあがったけれども、庭がこれからだから、まだできあがった感じはしません。
年明けから始まる庭づくりが楽しみです。

そんなことを、東京で建設中のお施主さんとお話しした際に、「家ができあがってもまだ楽しみが残ってるなんて、いいですね」と言われたのが印象的でした。
完成した時が一番良いのではなくて、だんだんと良くなっていく家って、いいですね。
そうすると、家のなかで使う道具や器も、気に入ったものを選びたくなる。
良い道具や器は、長く使うのに耐えるだけの質感があります。
身の回りの身近なものが、じんわりと趣きをもって感じられるような場所。
そういう場所をつくりあげるのが理想です。


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和室の造作

2020-10-22 22:26:36 | 大磯の家


現場の話が続きます。今回は「大磯の家」。
大工さんの作業も大詰めを迎えています。
本丸ともいうべき、和室の造作がほぼできあがりました。

杉の磨き丸太に、フスマや障子の枠が別方向から絡んでくる納まり。
図面で描くとあっさりしたものですが、実際に造作するとなると、とても手間がかかります。

それもそのはず、というのも、丸太は根元と上の方で太さが違います。
枠材には溝が彫られていて、それが上下で少しでも位置が狂えば、戸の開け閉てがうまくいきません。



素材がそのまま仕上がりになりますので、失敗はできません。
「間違って切っちゃったりとかないんですか??」なんてバカでヤボな質問を大工さんに投げかけてみたところ、「そりゃ、トリプルチェックだよ!」との答え。
3歩すすんで2歩下がるような地道な調整の果てに、ようやくできあがる造作。
でもできあがったら、あっさりすっきり見えてしまう。
本当に質の高い仕事は、そういうものなのだと思います。

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現場にて

2020-10-03 22:13:05 | 大磯の家


大磯の現場では大工さんの仕事が佳境を迎えています。
木で作る窓枠や家具が多いのも、この家の特徴。それを実現するためには事前の入念な設計検討と、工事にあたっての調整や打ち合わせが欠かせません。
工事監督さん、大工さん、建具屋さん、板金屋さんとの協働で、一か所ずつできあがっていきます。
これみよがしなデザインの設計ではないけれど、既製品の組み合わせでは絶対にできないような空間の質を、じんわりと確実に伝わるように表現したいと思います。



大工さんが加工している材料はシナランバーコアという名で、榀の木を加工した板材です。
現在の日本では流通の状況がよい材料で、オリジナルに家具などを作るときの基本材料です。
伐採規制等で、安価な木の建材は徐々になくなってきたので、シナランバーコアは最後の砦のような存在。これがなくなると、きっと家づくりの在り方も変わってしまうのではないかと思います。
シナランバーコアは便利な材料だけれど、切断時にとにかく多量の粉が出るので、大工さんにもご苦労をおかけしながらの作業が続きます。

現場では細かな問題解決を重ねながら、一歩一歩ゴールに近づいている感じです。
緊張感と楽しみと。
両方の感情が交錯する時間が続きます。


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母の家

2020-09-22 22:59:34 | 大磯の家


現場の帰りに大磯の海に立ち寄ったとき、ふとあるひとつの住宅作品のことが思い浮かびました。
フランスの建築家ル・コルビュジエが、母親のためにつくった小さな家のことです。

大学の建築学科に入学すると、啓蒙活動のようにル・コルビュジエこそが巨匠だとの授業を受けることになります。
白い豆腐のようなかたちで、細長いリボンのような窓が連なっていて、云々・・・。
うーんよくわからないけれど、どうやらすごいらしい。すごいと思えない自分はダメなんだろうか・・・。
そんなフレッシュな学生に畳みかけるようにコルビュジエの作品を紹介され、「母の家」とよばれるちいさな家も、名作として教え込まれるのでした。

レマン湖を前にして建つ、26坪の広さの平屋の家。
住人は母上ひとり。じつに100歳を超えるまでこの家で過ごしたそうです。
居心地がよかったんですね。

授業ではこの家について「近代建築の5原則が詰まっているのだ!!」と声高らかに教え込まれるわけですが、見た目はいたってシンプルで素朴にさえ見えます。
レマン湖に沿うように細長い間取りがあって、湖に向けて細長い窓が続く、ただそれだけの家。
レマン湖に面しているんだから、ドーンとフルオープンの窓でもあれば華やかだったでしょうに、コルビュジエはそのようにしませんでした。
ダイニングテーブルよりもちょっと高いぐらいまで腰壁を立ち上げ、窓の高さもせいぜい数十センチ程度。そこからレマン湖が切り取られるように見えます。

プロの建築家として設計の仕事をするようになって、この窓の高さが絶妙だったんだな、とジワジワ感じるようになりました。
晴れた日はもちろん、雨の日も、風の日も、居心地よく窓辺に寄り添いたくなる、ひとりでも安心感のある暮らし。
丸眼鏡に蝶ネクタイのいつものキザなコルビュジェが、母上の傍にやさしく寄り添っている写真があります。
「近代建築の理念にしたがったデザインだ」とコルビュジエは理屈っぽく説明するのでしょうが、実のところ、母への愛情に満ちた家だったんだなあと思います。

好きな住宅は?と聞かれて「コルビュジエの母の家です」なんて答えたら、学生さんみたいだねと笑われそうだから大きな声では言いませんが、やはり内心では、とても好きな住宅です。
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海で考えること

2020-09-03 21:56:09 | 大磯の家


今日は大磯の現場で工事打合せ。工事が始まる事前に、詳細に至るまでよく検討しておいたので、現場でこれといった問題が生じるわけではないですが、それでも、検討が足りていなかったと思うことはやはりあるものです。
大工さんや工事監督さんから指摘を受けて気づくこともあり、現場でよく考えて対処していきます。
どのような場合でも絶対に大事なのは、どのようにしたいか、という意思表示。それがないと物づくりはできないとつくづく思います。

上の写真は天井の下地材が作られたところ。この家の一番奥にあるこの部屋で、平らにずっと続く天井が斜めに切れ上がっていきます。
その天井の形状にうながされるように視線を向けると、大磯の地山の風景が目に飛び込んでくる、という趣向です。
「敷地を満喫する」ための工夫を随所に散りばめながら設計しました。




誰もいない海。
工事の打ち合わせが終わった後、ぶらっと大磯の海岸に立ち寄るのが習慣になってきました。
京都で生まれ育ったぼくは、海水浴といえば琵琶湖に行くのが常でした。
淡水ですから、目に海水が染みるということはないし、果てしなく続く水平線、という感覚もありません。
ぼくにとって海は、遠い存在でした。

現場にいると目の前の光景の印象が強く、その後のできあがった状態をイメージするのはちょっと難しいもの。
そこで少し距離を置いて、海辺に座って静かに現場を思い返すと、これから向かっていく完成形が頭のなかにじわじわと浮かんできます。
お昼のお弁当を食べながらそんなことに思いを巡らせる時間もいいものです。

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