アライバル

2011-09-04 15:16:27 | 

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美しい絵が話題になっていた絵本「アライバル」を買いました。この絵本には、言葉がひとつも出てきません。絵だけで物語が進んでいくのです。小さなコマ、大きなコマ、それらが物語の気分の抑揚に合わせるかのように使い分けられ、ぐいぐいと引き込まれていきます。

ある男性が、家族を残して見知らぬ国に行くのだが、そこでは・・・。

鉛筆で精緻に描かれた絵は、写実的でありながらも、そのシーンから伝えたいことが胸の内にスーッとはいってくる、計算しつくされた構図とデフォルメによって描かれています。なにしろ登場する街並みの風景や動物や草花が、この世には存在しないものなのです。主人公に感情移入をしながら、読者はその世界のなかに居合わせているかのような気持ちになります。

絵本というと子供向けのもののように思われがちですが、言葉のないこの物語は、子供から大人まで、それぞれの年齢に応じた解釈をできるものだと思いました。言葉がないぶん、「説明」という野暮なものがない。映像ではないから、幻想と現実を違和感なく感じとることができる。書評では、サイレント映画のようだ・・・と書かれていることも多いようですが、圧倒的に違うのは、物語を読み進むスピードすら、読み手に任されているということ。なにしろ、一枚一枚が珠玉の美しいイラストです。美しい線の一本一本に酔いしれながら、じっくりと時間をかけて読みすすむのも素適ではありませんか。

製作に三年もの月日がかかったとのこと。それはそうだろうなあ、と素直に思えてしまうほど、切ないくらいに印象的な絵です。そして作者のショーン・タン自身も、この物語のテーマとなっている「移民」としての背景をもっているそうです。単に想像だけで楽しくつくることでは得られない、重厚さと奥行きが、この絵本には詰まっているように感じました。

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アッシジ

2011-06-26 15:58:04 | 

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学生の頃、渋谷に行くとよく寄っていたBunkamura地下の本屋さんで、一冊の心に残る写真集に出会いました。石積みの重厚な壁、階段に沿うようにしてやってくる光。奥にはいっていくような、深遠なイメージ。モノクロームのしっとりとした画面から、慎ましやかでありながら美しい、得も言われぬ感覚をいだきました。

イタリアのアッシジ。そんな地名があることを、そのときに初めて知りました。自分にとって大切な本との出会いは一期一会、無理してでも手に入れておかないと後悔する。今ではそんな風に思っていますが、その大後悔のはじまりは、この写真集でした。その写真集の作者も出版社も記憶から抜け落ち、美しい写真集であったという印象だけが記憶の底の深いところに、ずっと漂ったままでした。

その後、いろいろな場面でアッシジという場所に思いを巡らせることがありました。フレスコ画への関心から、中世の画家・ジョットに興味をいだき、それはそのままアッシジの聖フランチェスコ聖堂へと知識がつながれていきました。あるいは、大好きなイタリアの画家・ジョルジョ・モランディについての解説文などを読んでいると、その禁欲的で慎ましやかな画風を貫いた画家としての生涯と、「清貧」に生きた聖フランチェスコとを結び合わせていくような解釈などがあったりしました。もっと言えば、京都に行くとよく訪れる高山寺石水院が、聖フランチェスコ聖堂と国際的な交流があったりするとのこと。高山寺の開祖・明恵上人の人生が、聖フランチェスコの人生に重ね合わされるそうです。洋の東西は違えど、ほぼ同時代の二人。偶然ではなく、歴史の必然だったのでしょうか。

そんな風にして、僕は何かに導かれるようにしてアッシジへの思いを強めていきました。何か見たい目的物がその街にあるわけではなかったのですが、ただ漠然と、その街の雰囲気に身を置いてみたい、と思っていたのです。そして数年前のことになりますが、ついにアッシジへ行く機会を得ました。今では旅行ガイドブックに「聖地アッシジ・・・中世の雰囲気を感じよう!」みたいなノリで登場するような観光地になっているようです。思いを強めて行った分、6月の少し暑いぐらいの陽気に照らされて、山岳都市アッシジはあっけらかんとした姿で、しっとりとした陰りも何もないような印象を受けたのでした。日よけのパラソルがあちらこちらに目立つ、そう、ちょっと拍子抜けした感じにとらわれてしまったのを覚えています。

僕が幸運だったのは、その後でした。とつぜん厚い雲がさーっと現れたかと思うと、たたきつけるような雨が降り始めたのでした。ちょうど聖キアラ聖堂の前にいた僕は堂内にはいり、時間を過ごしました。ほの暗い闇。浮かび上がるフレスコ画。それらが、なんとなく残念な気持ちで疲れていた心にすうっと染み入るような感じでした。

雨の気配が止み、しばらくして聖堂の外に出たとき、目の前に広がるアッシジの街並みは、別世界になっていました。浮き足だったものすべてが雨で抑制され、美しい陰りが街並みの隅々まで行き渡っていたのです。壁に積まれた石のひとつひとつが光と影を宿し、ひとつひとつが存在感を持っていました。それはまるで、目の前にある光景のその「奥」にあるものを、予感させてくれるような雰囲気でした。こじんまりとしたスケールの街中を歩き回りながら、かつて渋谷の本屋さんで見て以来、心にずっと漂っていたあの「アッシジ」の世界を、実際に垣間見ているような気分になったのです。それは僕にとって幸福な時間でした。

さらに数年後、僕は作家・須賀敦子さんのことを知りました。そのエッセイのなかで、アッシジについて書かれていることを知りました。須賀さんにとってアッシジは、かけがえのない存在だったそうです。イタリアに在住していた時分から含め何回もアッシジには足を運び、アッシジという街が、目には見えないけれど内包している何かについて、じっくりと理解をしていったようです。聖フランチェスコを慕い、自らも清貧の道を歩んだ聖キアラに、自分の思いを重ね合わせてもいたそうです。そんな須賀さんが、アッシジを撮ったある写真集について、アッシジの本質的なものを浮かび上がらせているとして絶賛しているのを見つけました。その写真集こそが、僕がかつて本屋さんで見たあの写真集、エリオ・チオル写真集「アッシジ」(岩波書店)だったのです。

「記憶」という目に見えないものについて、エッセイという短い文体のなかに濃縮し磨いていった須賀さんにとって、目の前にある姿そのものが絶対であるとは、思っていなかったのではないでしょうか。その奥にあるものをすすんで見ようとしなければ見えないものがあるし、また、そういったものを感じ取れる雰囲気がその場になければ、心眼で見ようとしても見えないことだって多いと思います。ですから、僕がアッシジに訪れた際に、一日の間に異なる「アッシジ」に遭遇したように、須賀さんにとっても、行くたびに別の趣をもつ「アッシジ」に出会っていたのかも知れません。

岩波書店刊のエリオ・チオル写真集「アッシジ」は、モノクロームを基調とした写真で、街並みを風景として見るというより、断片的な構図で切り取りながら、そのなかに深く沈んでいる何かを、ゆっくりと静かに浮かび上がらせてくれるような編集です。同じ写真集であっても、見るときの気分や環境によって感じ方は変わると思います。いえ、何も感じないときもあれば、すうっと染み入ってくるときもあるだろうと思います。

もう絶版になってしまっているこの写真集を、ようやく古本で手に入れました。この写真集を傍らに置き、時々取り出しては眺めるのを楽しみにしたいと思います。実際に訪れた記憶と、写真集や須賀さんの文体の記憶とともに、胸の内でゆっくりと熟成されて、僕にとっての「アッシジ」が芽生えていくのを楽しみにしたいと思うのです。

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和風の家

2011-05-30 11:42:26 | 

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オノ・デザインで設計した「桜坂の家」を、本に載せていただきました。ニューハウス出版刊「住まいの和モダン2」と題した、和モダンの住宅事例の特集本です。いくつかのカットを載せていただいたのですが、和室からの空間のつながりを示した写真を、大きく載せていただいています。

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「桜坂の家」は、5年前に竣工した住宅です。師匠である故・村田靖夫さんの事務所から独立して、最初に設計を手がけたものでした。特に和風であることを意識したわけではなかったですし、茶室をつくったわけでもないのですが、ご近所から、茶室のある家らしい、とウワサがあったようです。たしかに、低く抑えられた窓の位置や、壁が大きく窓が小さく見える外観を見ていると、茶室のある家という風に思われても不思議ではないかも・・・とも思います。

もともと大学や村田さんの事務所で、和風の造作を専門的に勉強したわけでもない僕が、なぜ和風の気配をもつ住宅をつくったのか、はっきりとはわかりません。ただ、穏やかで、静かで、奥行きのある場所をつくりたいと考えていたときに、和風の造作がしっくりと感じられたのは事実です。低く開けられた窓。障子からの柔らかい自然光。襖紙の、塗装では得られない色と質感、など。この住宅は、それらを大切にそっと作り込むことができた住宅でした。今は外の緑もさらに大きくなって、独特の陰りを室内にもたらしてくれていることと思います。

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オキーフの家

2010-02-17 20:31:57 | 

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ジョージア・オキーフという20世紀を代表する女性の画家がいます。彼女はアメリカ・ニューメキシコ州の荒涼とした土地で、日干しレンガの家に暮らしながら、素晴らしい絵画を次々に描き残しました。ニューヨークに暮らしていた彼女は42歳でこの土地を訪れるや、ひとめで魅せられてこの土地に移住し、98歳で亡くなるまでの実に40年もの間、ここに暮らしたそうです。

オキーフが暮らした家を、美しい写真と文章で綴った一冊の本。「オキーフの家」と題されたこの本に僕が出会ったのは、僕がまだ師・村田靖夫のアトリエで所員として仕事していた頃でした。
 思い切って端的に言ってしまえば、この本は、僕にとって理想の住まいを表したもの、そんな風なものでした。学校でずっと教わってきた学問としての建築や、あらゆる理念やデザインの潮流などとは価値を異にしながら、僕の心の深いところにずっと居座っていたのは、カタルニア・ロマネスクとよばれる素朴で初源的な古びた教会堂のある風景・・・。写真家・田沼武能さんの写真集をくりかえし眺めながら、僕自身にとって本当に大切にしたいことがらを、ひとつひとつ確かめるように考えてきました。

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生活のなかの、たんなる断片。それらのなかには、おのずと美しさと、かけがえの無さが含まれているはずだと、そんな風に僕は思っています。他人の目にはそう映らなくとも、ある個人にとってはかけがえの無い存在や場所。そういうことに、僕は心惹かれます。そして、この「オキーフの家」には、それがぎっしり詰まっている、そんな風に思うのです。

オキーフがこの家でとりわけ気に入っていた、黒いドア。その前に咲き乱れるサルビア。強烈な日差し。ゆらめく影。砕け散る光。家のなかの簡素な事物。ささいな生活のシーンの断片ひとつひとつが、まるでオブジェのように美しく、何かを物語り、かけがえのないもののように感じられます。そんな在りようを、僕は望みたいと思っています。

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村田さんのアトリエで僕が最初に設計を担当した、老夫婦Mさんの終の棲家。これまでにいくつか集めてきた、優雅な様式の家具。アーチのある南欧の風景の記憶。長年住み慣れた家にあった、古びた荘重な照明器具、どっしりとした木製の玄関ドア。できればそれらを新しい家に活かせないだろうか。そんなMさんの思いは、僕にとって願ってもない素晴らしいご要望でした。まさに、オキーフの家のような、そんな予感がしたのです。
 モダンでシンプルなデザインを信条としてきた村田さんにとっては、それらの存在は願わしいものではなかったようです。それらの存在を空間のなかで印象的に取り扱いたいと僕は主張し、村田さんにはものすごく叱られました。そのようなこともあって紆余曲折を経てできあがったプランは、もちろんモダンでシンプルな村田さんの作品のテイストに落ち着いたのだけれども、吟味して選ばれた箇所に配置された、それらの記憶の断片は、それ自身がかけがえのない存在感をもたらしていたように思います。
 古びた愛着のある玄関ドアは、新しい家のキッチンの勝手口に据えられました。そのドアを開けると、Mさんが楽しみにしていた、薔薇を育てる小さなキッチンガーデンを見晴らせます。「ここを開けて座ってる時間が好き。ちょっと行儀悪いかもしれないけど」と笑顔で話されるMさんを見ながら、オキーフの家をつくることができたのだと、僕はこっそり胸の内で思っていました。

 
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ヴェネツィアの悲しみ

2010-01-25 15:19:45 | 

先週の土曜日の朝日新聞「be」に、作曲家ビバルディのことが書かれていました。17~18世紀にかけて、ヴェネツィアに生まれ、愛され、そして捨てられた一人の作曲家として。
 ビバルディはいまだに謎の多い人物だそうで、有名な「四季」以外に、800以上の曲を生涯でつくり、いまだに毎年のように新しい譜面が発見されているそうです。
 ヴェネツィア・オペラの牽引役として一世風靡をしながら、新しいナポリ・オペラの流行に追いやられ、新天地をウィーンに求めたものの、人生の寂しい最期を迎えたそうです。そのウィーンで没した状況もほとんどわかっていない、とのこと。
 でも史実として残っている、ビバルディのもうひとつの顔。それは、ヴェネツィアの孤児院で40年以上にもわたり少女たちに音楽を教える教師だったこと。音楽という希望。その演奏会はレベルが高く、欧州中から音楽好きが集まってきたほどだったそうです。
一人の人間の影と光。それが、都市ヴェネツィアの悲しみと希望に、ゆっくりと溶け込んでいくような心持ちになります。

作家・須賀敦子さんが、ヴェネツィアについてのエッセイを遺しています。ある一つの謎を追いかけていったときに発覚した、梅毒にかかってしまった娼婦たちが押し込められた、悲しい施設の話。その窓から対岸に希望のような存在として見える、建築家パラディオがつくったレデントーレ教会のこと。

「思いがけなく、ひとつの考えに私はかぎりなく慰められていた。治癒の望みがないと、世の人には見放された病人たち、今朝の私には入口の在りかさえ見せてくれなかったこの建物のなかで、果てしない暗さの日々を送っていた娼婦たちも、朝夕、こうして対岸のレデントーレを眺め、その鐘楼から流れる鐘の音に耳を澄ませたのではなかったか。人類の罪劫を贖うもの、と呼ばれる対岸の教会が具現するキリスト自身を、彼女たちはやがて訪れる救いの確信として、夢物語ではなく、たしかな現実として、拝み見たのではなかったか。彼女たちの神になぐさめられて、私は立っていた。」  須賀敦子「ザッテレの河岸」より。

今は人工的に照明されているこの教会も、これが設計された16世紀には夜には闇に包まれていたことでしょう、月夜にだけ、その外観が治癒の約束のように白く光り輝いていたのではないか、という印象を、須賀さんは別のエッセイで語っています。須賀さんからパラディオについての話がでてくるのは想像だにしていなかったけれど、僕が学校で習った大建築家パラディオ「論」のどれよりも、はるかにパラディオの遺した建物の存在意義を感じさせられる文章でした。

数年前に僕が訪れたヴェネツィアは6月。暑く、混雑し、快活で楽しい場所でした。そんなヴェネツィアに秘められた、多くの悲しみ、そして希望。ビバルディの曲やパラディオの建築を、ただ漠然と「芸術」として楽しむのではなく、それらが背負っているものを感じ取れたら、と思います。

ヴェネツィアを撮った写真集は数多くありますが、僕が好きな写真集のひとつがこれ。F.ブローデル著「都市ヴェネツィア」(岩波書店)。たまたま手に入れたものですが、「銀残し」の風合いのある写真にメランコリックな情趣が漂い、先ほど述べたところの、悲しみや希望、そういったものがページをめくるごとに静かに織り込まれているような、そんな写真集です。

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