京都さんぽ.14 ~俵屋 その一~

2012-02-07 19:01:15 | 京都さんぽ

1202074

京都に「俵屋旅館」という老舗旅館があって、宿泊する機会がありました。今日の東京のように、そそと雨の降る夏の日。

良い建築というのは、晴れた日よりもむしろ、雨の日にその魅力が増してくるように思います。雨の俵屋は、そのことをあらためて感じさせてくれるような場所でした。京都市中の、市街地に建つ立地。建築家・吉村順三の手による増築デザインを重ねながら、俵屋旅館は静かな佇まいをもっています。老舗の旅館としてはさして広くない敷地の廻りをぐるりと、高い塀が囲んでいて、その上から木々が顔をのぞかせています。塀で囲いこんでしまうのは、排他的な雰囲気を出す一方で、独特の秘めやかさを感じさせてくれます。もちろん、相応の質感や間合いなどが備わってはじめて、無味乾燥としたものではなく、秘めやかさという魅力が表れるのでしょう。

そんな佇まいを見ながら、僕はメキシコの建築家ルイス・バラガンの自邸のイメージを重ね合わせていました。バラガンの住宅も、道に面して素っ気ないほどの外観を見せながら、中には室内と庭とが独特の情感をもってつながる、静けさに満たされた場所がひろがっています。遠く離れて、文化も異なる場所でありながら、そのふたつの場所にはきっと、相通ずる魅力があるのだろうと思います。

道に面して開けられた小さな入口をくぐると、折れ曲がりながら路地が奥に続きます。その細く小さな空間に現れるひとつひとつのしつらえが、簡素な美しさをもっていました。ところどころに庭を織り交ぜながら、空間が奥へ奥へと続き、街からどんどんと遠ざかっていくような、そんな感覚になります。秘めやかで、奥行きのある場所の雰囲気は、京都に多くみられる特徴のように思いますが、俵屋の空間は、その極致のように思います。

1202075

図書室の前の庭の風景。大きな左官の壁。地面に近く低く開けられた窓。雨に濡れ鮮やかな緑。広くないにもかかわらず、他のお客さんと目が合うことがないように工夫された空間のプロポーションに、思わず見入ってしまいました。

ほの暗く、包まれた感じ。

それがいかに居心地が良いものであるかを、しみじみと感じさせてくれる場所でした。敷地内に散りばめられたそんな場所の数々を、折に触れてご紹介したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ.13 ~壁の街~

2011-11-07 13:45:24 | 京都さんぽ

普段は公開されていない寺院のいくつかが特別公開になるとのことで、この機会に京都へ見学に訪れました。行先は、これまで何度も訪れている大徳寺。

大徳寺はいくつかの寺院が集まって成り立っている、いわば街のような風情をもつ寺です。そのなかにある、聚光院、孤篷庵、真珠庵といった寺院に訪れるのが、今回のぼくの目的でした。

1111071

京都の寺はたいがいの場合がそうですが、背の高い塀が巡らされていて、なかの様子をうかがい知ることができません。大徳寺も、街並みに対して高い塀で囲まれ、そのなかの寺院各々がさらに塀で囲まれています。ですが、塀の上や切れ目から、緑や庭や建物の気配が顔をのぞかせていて、それが独特の情感を醸し出しています。大徳寺境内の道は折れ曲がりながら続いていて、大げさにいえば迷路のようでもあるのですが、歩き回るごとにいろいろな風景が現れては消え、独特の見え隠れの美しさがあります。

塀のひとつひとつをよく見ると、いろいろなデザインがあることがわかります。土壁や石壁のほか、古い瓦を埋め込んだ壁などもあり、レヴィ・ストロースの言うところの「ブリコラージュ」としての表現も見られて、興味は尽きません。

見えないことで喚起される、秘めやかで予感めいた雰囲気が、大徳寺の境内には満ちています。そして、それを形づくるひとつひとつの塀や敷石、樹木のひとつひとつに至るまでが、簡素でありながらもしっとりとした質感をもっていることも魅力的です。大徳寺境内へは、誰でもはいることができるので、観光客のみならず、地元の方々、それこそ買い物袋を自転車カゴに入れて走る姿や部活帰りの学生の姿も見られます。でも空き缶もゴミもひとつも落ちていません。日々の生活空間に溶け込んでいながらも、そんな清々しい感じが素敵です。

1111072

寺院のひとつ、聚光院を訪れました。この寺院には「閑隠席」という茶室があります。ぼくが会社に勤めていた頃、資料室の奥に埋もれるようにしてあった茶室関連の本を見つけました。大きなビルを設計するのが主な仕事だった会社では、小さな茶室は専門外といったところだったのでしょう、古く、あまり読まれていなさそうだったその本には、印象的な茶室の写真と図録が数多く掲載されていました。

監修・千宗室、写真・田比良敏雄によるその本のいくつかのページをコピーし、資料として大切に持ち、よく眺めていました。そのなかに「閑隠席」の写真が載っていたのですが、それは、ぼくにとって茶室への興味を決定的にするものでした。躙り口周りの外部を撮ったモノクロの写真。木や石といった素朴な材料が陰影のなかでもたらす独特の情感。深く、印象に残りました。

閑隠席は江戸中期につくられた、利休好みの三畳敷の茶室。室内の天井はぐっと低く抑えられ、どうということのない意匠のなかに、揺るぎないプロポーションと構成が感じられ、気圧される思いでした。太目の床柱のある空間の、深い落ち着き。数年前の特別公開の折に訪れたときは、そんな風に感じることがありませんでした。この数年で少しは成長した、ということであれば嬉しいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西陣織

2011-03-04 00:26:07 | 京都さんぽ

京都で小学校に通っていた頃、同級生のご両親の仕事はさまざまでしたが、土地柄か、会社員であるよりも、お店をやっている、ということが多かったように記憶しています。なかでも、家が呉服屋さんだとか和装関係の仕事をしているという同級生もちらほらといました。

小学校の同窓会の幹事をやってくれているK君もその一人です。K君の家は西陣織の帯屋さんだそうです。家業を継いだK君が、横浜の赤レンガ倉庫のイベントに出展するとのことで、立ち寄りました。西陣織を使った小物を中心とした出展でした。西陣織は、その独特の繊細な立体感も特徴で、単色のなかにあしらわれた模様が、光を受けて繊細な表情として表れます。K君によると、その織り機は、職人それぞれによって工夫と手が加えられ、同じ服飾関係の人が見ても、扱い方がわからないほどだそうです。

西陣織の名前は、小さい頃から慣れ親しんでいたものの、身近な日用品というわけではありませんから、やはり遠い存在でした。小中学生の頃の生活の足は、もっぱら自転車。もともと小さな街ですから、堀川通りの西に広がる西陣界隈も、よく自転車で走りました。かしゃかしゃ・・・という音だったか、姿は見えないけれど壁の中から織り機の音が聞こえてきたのを思い出します。世界に誇る伝統産業。近くて遠い存在。そんな世界をK君が継いでいることに、誇らしさのようなものも感じます。

110303

西陣織の名刺入れをひとつ、購入しました。

表は洗練された黒。開くと、伝統的な西陣の文様のあしらわれたものです。

110303_2

美しいものが、形式だけにとらわれず、いろいろな形で受け継がれていくといいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ11 ~待庵~

2010-03-22 17:26:19 | 京都さんぽ

待庵。その小さな茶室を訪れたときは、しとしとと春先の雨が降っていました。千利休がつくったとされる、現存する唯一の茶室。二畳台目のその小さな空間は、これ以上ない美しい緊張感をもつ極小空間として、洋の東西を問わず多くの書籍で紹介されてきました。

妙喜庵という寺の中を案内されて書院のなかを少し歩をすすめると、そこにはすぐに写真で見慣れた光景がありました。書院にはり付くようにして、小さな箱がポンと地面に置かれているような、そんな 印象でした。

雨に濡れる緑。

寡黙な土壁。

小さく開けられた下地窓。

すべての事物はあるがままに、でも、暗示的に。

それらを確かめるようにして一歩一歩すすむたびに、注意深く守られた「奥」に入っていくような、そんな印象がありました。

土門拳が、待庵を撮影したときのことをエッセイに書いています。大柄な土門が壁を傷つけないようにソロリ、ソローリと入っていくのはとても気をつかったけれど、入って床の間をずっと見ていると、無限な宇宙的な広がりを、確かに感じた、と。

ただの見学者である僕には入室は許されなかったけれど、にじり口から中をのぞくことはできました。壁で囲まれた、ほの暗い室内。所々に開けられた下地窓からの光は、人の所作と心の機微を映したように、吟味された位置に配されています。しとしとと降る雨の音が室内にもはいりこみ、内と外の境界を、意識のなかで溶解していきます。薄い土壁に囲まれた小さな世界は、決して外の世界を拒絶するのではなく、外の気配をやんわりと室内に滲ませながら、平穏な静けさを秘めていました。

簡素で、慎ましやかで、秘めやかな奥をつくること。僕が住宅設計の仕事の上でも大切にしたいと思っていることは、待庵での記憶が大きく影響しているような気がします。

中で撮影は許されないので、受付でモノクロの写真を購入しました。下はその一枚。写真がモノクロだからこそ、記憶のなかで、緑や光の色、そして雨の音が蘇ります。

100322

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ10 ~しもじんかもじん~

2009-12-08 19:07:34 | 京都さんぽ

京都の下鴨神社に、イタリア人の巫女さんがお目見えするというニュースがありました。アルバイトということですが、巫女としての礼儀作法や言葉使いを学んだり、下準備が大変そう。でも、このような形で、古来の文化が広く伝えられていくのは素晴らしいですね。

 下鴨神社は、「糺の森」という森のなかにあり、京都市中にありながら日中でも幽玄な雰囲気を漂わす、不思議な場所です。この神社に対になるように、さらに北に上賀茂神社があります。僕は学区が下鴨の地域に属していたので、友達との遊び場はもっぱら下鴨神社の境内でしたが、家から近いのは上賀茂神社でした。近いけれども、普段は行かない場所。そこに行くことは、小さな僕にとっては特別の感情がありました。

091208_3

 上賀茂神社界隈に、社家町という景観保存区域があります。いぶし銀の瓦と土塀。そこからのぞく和風の木の風情。脇を流れる疎水。そんな秘めやかな情感は、僕にとって強い原風景になっていて、今の自分の物事に対する好みにもつながっているように思います。
 そんな地域にある上賀茂神社は、鳥居をくぐると一変、大陸的な広がりのある雰囲気になります。土塀がもたらす秘めやかさとは逆に、ここでは舞台や神殿が自由に舞うように配され、訪れる度に不思議な気持ちになりました。自分の身近にある存在でありながら、どこかずっと遠いところに来たような。

091208_2

 下鴨神社も上賀茂神社も世界遺産に登録され、観光客もずいぶんと増えたそうですが、観光だけでなく、地域の人々に「しもじん」「かもじん」と親しみを込めてよばれ、子供の遊び場や犬の散歩、あるいは合唱コンクールの練習に至るまで、日々の暮らしに密接に関わる場所としてあり続けているのが嬉しいところ。なにしろ、一見さんお断りの文化、良きものを「隠す」のが京都の風習ですからね(笑) 

 ところで最近入手した茶室の本によれば、この上賀茂社家町のなかに、とても雰囲気のある茶室があるとのこと。土塀の裏側に隠された狭い茶庭と露地は幽玄の気に満ち、古き物がやすらぐ静かな場所であることが見てとれました。さーて、どこだ・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする