四条大橋より

2007-08-12 20:03:08 | 京都さんぽ

先日、京都の小学校時代の同窓会がありました。今は東京暮らしで京都から離れているとはいえ、旧友に会うこういう機会は大切です。日帰りで強行出席(!)してきました。

会場は、祇園の料亭。幹事の知り合いがオーナーだそうで、その縁でその店に決まりました。その店は、いわゆる祇園らしい風情が残る一角にあり、のれんをくぐるのがちょっと勇気がいる感じ(笑)でした。比較的新しい店だそうですが、和室の内装など処理が上手で好ましい雰囲気でした。単に古く由緒正しいことを売りにするのではなく、料理・内装ともに質が高いことが、何よりいいですね。

070812

写真は会場に向かう途中、鴨川・四条大橋の上から撮ったもの。真夏の夕暮れ時も、独特の風情がありますね。僕が小さい頃、誰かに「賀茂川(鴨川)は日本のセーヌ川や」と教え込まれた記憶がありますが、きっとそれは京都人の誇りの表れのようなものでしょう。

070812_1

実際に比較すると、ふたつの川はずいぶん異なります。ただ、セーヌ川の岸壁が石で徹底的に人工的につくられた雰囲気がシックで美しいのに対し、賀茂川(鴨川)は植生が多く残されのどかな雰囲気があります。川を北方向を望むと北山の風景が印象的で、これが僕の原風景のひとつになっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ 3 ~終バス、深泥池ゆき・・・~

2007-02-27 17:44:54 | 京都さんぽ

070227

京都市の北の方、碁盤の目が終わるところに、底なし沼があります。その名は深泥池。「みぞろがいけ」と呼びます。曲がりくねった道の向こう側に、華奢でたよりない柵越しに、その池は静かに広がっています。なんでも太古の時代からの植生が続いているとのこと。しかし、そのような学術的な価値とは無関係に、付近の小学生の間では、深泥池にまつわる「怖い話」の方がよっぽど興味の対象だったのです。

そのなかの話のひとつ。

夜、市バスの最終便は、行先表示板を真っ赤なライトで染めて走ります。書かれた表示は「深泥池ゆき」。そのバスに乗った人が、二度と帰ってこなかった、という話が多くあるというのです。

現在、実際には「深泥池ゆき」という便はないそうです。ですが、僕の記憶のなかのどこかに、たしかに見たように思うのです。赤く「目」を腫らした終バスが、池にむかって、ぬうっと現れるシーンを。観光で行かれた方は、ご自身の目でぜひ確かめてみてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ 2 ~比叡山のある風景~

2007-02-06 21:27:52 | 京都さんぽ

070206_3

京都と滋賀にまたがって、比叡山という山があります。京都市中からもいろいろな場所で、比叡山を望むことができます。僕の生まれ育った家からも、比叡山を眺めることができました。最初の写真は、かつて暮らした家の前からのシーンです。手間にすこし隠れた山が五山の送り火で有名な「妙法」の山、そしてその奥に見えるのが比叡山です。市中から距離の離れた比叡山は、青みがかったシルエットとして見えるのです。江戸時代、後水尾天皇は20年もの長きにわたって、比叡山の最も美しく見える場所を探し歩いたといいます。そして見つけたのが、北山のふもと、岩倉幡枝の地でした。そこに造営したのが円通寺。借景庭園で有名な小寺です。いくら美しいとはいえ、高校生ぐらいまでの時分にはまったく興味がなかったのも事実。すぐ脇を自転車で通りながらも、その塀と生け垣のなかに秘められた光景を、知る由もありませんでした。

大人になり、その価値がわかるようになって時折たずねるようになったときには、もう近隣のマンション開発が決定され、比叡山を望む借景はもう間もなく失われる、そういう時期でした。住職は低い声で滔々と語ります。「事が事であり続けようとするならば、共生という考え方が必要なのだろうけれども、なかなかそうもいかなくなってしまったのが、今のご時世というものです。物事を点として捉えるのではなく、線として、面として、捉えていきたいものです・・・」なるほど。類い希な個性、類い希な点が尊重されるのは、近代以降の考え方ですが、これからの時代には共生という概念を、もう一度よくかみしめる必要があるようにも思います。

070206_4

円通寺庭園の写真を撮ったときには薄雲が山周辺にかかり、比叡山は姿を隠してしまいました。この庭からの眺めは、住職いわく「一期一会」。いずれにしても、京都の街から、もうこの美しい光景が永遠に失われようとしています。大切にすべきことはなんだったのか。市の中心部からすこし距離を置いた北山の小寺に、大きな疑問符が横たわっているのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都さんぽ 1 ~洛北の地から~

2006-12-17 18:52:03 | 京都さんぽ

061217 僕は京都に生まれ育ちました。京都市は東北西の三方を山で囲まれ、南側に開けていく地形をしています。僕が生まれたのはその北側にある山の近く。北山といわれる地域のなかにありました。そこから南にむかって市街がひらけていき、洛北とよばれる地区になっています。小学校、中学校をふくむ洛北地区一帯が、僕の幼き頃の原風景をかたちづくりました。時をへだててその記憶は、今の僕の価値観・美徳に大きな影響をおよぼしているし、むしろそこに還っていっているような気さえします。

現在では実家も京都からなくなり、地縁はなくなりました。失ってはじめて、かけがえのなさもわかるというものです。僕はけっして京都全般について詳しいわけではありませんが、僕の断片的な記憶と、その舞台のいまむかしをエッセイにまとめることで、あるひとつの京都像を描いてみたいと思いました。なので、紀行文でも解説文でもなく、「京都さんぽ」と題したゆるゆる談をこのカテゴリに綴っていこうかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする