京都さんぽ6~素朴で雅な家~

2009-03-25 12:52:38 | 京都さんぽ

先日、京都に行ってきました。参観許可をもらって、いくつかの古建築~京都御所、桂離宮、修学院離宮、茶室「待庵」~を見学しました。これら4つの古建築は、最近の再開発問題で話題になっている東京中央郵便局の設計者・吉田鉄郎が、こよなく愛した建築でした。彼の何十年も前の著書にも、これら4つの建築が美しい写真とともに紹介されています。東京中央郵便局は破壊されつつあるけど、彼の創作の源泉となったこれらの古建築は、国の所有になりしっかり保存・手入れされています。ありがたいことですね。

「建築」という言葉で書き始めましたが、これは的を得た言葉ではないかもしれませんね。建築というとどうしても、工事でつくる床・壁・天井のことをイメージしてしまいますが、これらの古建築はむしろ、自然を人間が住む環境として整備し直し、そのなかに溶け込むようにして住み処を築いています。ここから、「建築」あるいは「住宅」ではなく、「住環境」としての在り方が見えてくるように思います。これからの時代に、より重要になっていく観念ではないでしょうか。

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上の写真は修学院離宮内にある建物。全体像を見せぬまま、地形と呼応するようにそっと置かれた壁や屋根。そのなかに映える障子の白。緑とうまく補色になっている左官壁の色。吟味を重ねたことがわかりますが、そのセンスは、慎ましやかで素適だと思います。

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これは桂離宮内にある、池に面したパビリオン。現代の住宅のインテリアは、ホワイトがベースカラーになることが多いのですが、この時代は、障子と漆喰以外は、ほとんどホワイトという色がありません。その分、窓辺から見る外の風景が鮮やかで、情緒がありますね。

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「住環境」というテーマからすると、家の内部だけに居場所があるのでは物足りません。家の外に生活を導き出すような仕掛けがあると、暮らしが楽しく豊かなものになります。この燈籠は鑑賞用ではなく、池の周りで過ごすことをうながすようにして立っています。もうすっかり黒ずんでしまった、ずんぐりとした愛らしい表情。時を超えていく形というのは、シャープでカッコイイだけではダメなんですね、きっと。

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窓からはいってくる光や風景が美しいと、穏やかな気持ちになります。そしてそこでお茶を飲めるスペースになっていたら、素適だなあと思います。素朴な感覚かもしれませんが、コーヒーを飲んだり、ふうふう言いながらおそばやうどんをすするのが心地いいスペースをしっかりと、でも慎ましやかにつくる努力が必要なんだろうと思います。

今回見た古建築は、手入れされた庭と共にあるものでした。でもそれは、いわゆる和風庭園として眺めるものではなく、生活の一部として積極的に入り込み、そのなかで過ごし、楽しむためのものでした。それは、里山の雑木のなかで遊んでいるような感覚にも近いかもしれません。家の内と外の両方を、生活の場として楽しむ。京都にはそんな住まい方を楽しむ「住環境」が、他にもいくつも残されています。それらに多くを学びながら、現代の都市部のように、狭くまとまった庭がとれないよう土地でも、「住環境」として家の内外の生活を考え抜く努力が、これからますます必要なんだと思います。

コメント
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