施主であり画家のYさんからご案内をいただき、国立新美術館で開かれている春陽展にいきました。この展覧会を観るのは今年でもう数回目。Yさんの作品はもちろんのこと、他の方の作品も作風もどこかに記憶に残っていて、あ、今年はこんな雰囲気の作品になったんだ、とか、連続して見続けることによって、いろいろな楽しみ方があります。
この春陽展、とても多数の作品群で構成され、ほとんどの作品が身体よりも大きな号数の画面に描かれた、画家にとって力のはいった作品群です。でも、会場も広いとはいえ、ところせましと絵が並ぶというのは、画家にとってきっと不本意なのだろうと思います。
淡い色の木のフローリング。クロスの張られた大きな白い壁面。蛍光灯で間接的に照射された無窓の空間。そこは、展示空間としては何の味付けもなく、ニュートラルの空間です。画家の作品をジャマしない、という観点からは良いのでしょうが、作品にぐっと心が向かっていくというか、入り込んでいくための雰囲気がまったく無いのは、寂しい限りです。
そんな会場内を歩きながら、絵の背景について考えていました。抽象、具象、さまざまな作品の個々については、ぼくには優劣などわかろうはずがありません。でも、この絵には、こういう雰囲気の空間が合うんじゃないか、とか、ぜひあの空間に飾ってみたい、とか、絵の背景となるべき空間を思い描くのは、とても楽しいものです。
イタリア中世の画家、ピエロ・デッラ・フランチェスカのたった一枚の絵だけを飾っている美術館があるそうです。たしか元々教会だったところを転用していると記憶していますが、絵を観ることが、建物に入るところからの一連の体験として感じ取れたら、どんなに素晴らしいことか。
たった一枚の絵のために、というわけにはいかないけれど、家も、住居であると同時にギャラリーのような場所であっていいと思います。Yさんの家を設計しつくったときも、3階建ての細長い家のなかを、一日のなかで行ったり来たりするときに、常に絵が身近に感じられるような場所にしたいと思っていました。決して蛍光灯の無味乾燥とした光ではなく、天窓からぼんわりと降ってくる光のなかで、美しくそっと佇むように。
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