丸の内の三菱一号館美術館で開催中の、「ルドンとその周辺」展に行きました。数年前に観たルドン展では、リトグラフでの制作にスポットをあてた、いわば白黒だけの作品を集めたものでした。
笑う蜘蛛。宙を漂う眼球。奇妙な生物。安定を欠いた空間。19世紀末の世紀末感を一身に背負い、メランコリックで退廃的な雰囲気が支配する、数々の画面。それが、息子の誕生を契機に、画面は色彩を帯びていきます。黒の世界から、色彩の溢れる世界へ。そのような作家の作風の変化を追体験することは、感動的ですらあります。
この世のものではない、イメージのなかのメランコリックな世界を、細密で繊細な線で描き切った初期のルドンの絵を観ていると、不思議な気持ちになります。なんと言うべきなのでしょうか、内側からじわっと美しさがにじみでてくるような感じなのです。それも決して「美しい絵」を描いているはずではないのですが。あるのは仄かな光と、限りなく黒く深い、沈黙。
ルドンはそれまで使い慣れた木炭に質が近いということもあり、色彩表現にパステルを多用しました。油彩と異なりパステルの表現は、素朴さと華やかさが渾然一体となって明滅するような印象で、いつまでも観ていたくなります。明るい色は限りなく鮮やかに。色の生まれた瞬間に立ち会っているかのよう。
モノクロームの時代であっても、カラーの時代であっても、ルドンの絵に共通しているのは、その静謐さ。特に女性の横顔を描いた作品は、素描であってもリトグラフであってもパステルでも油彩でも、静けさに誘う独特の雰囲気をもっています。そのタッチのあり方に、ルドンそのものが表れているのでしょう。そしてそれはあくまでも、内側から滲み出る美しさである、ということが、僕の印象です。美しく演出するのではなく、自ずと表れる美しさや静けさ。
ルドンは若い頃、建築家を志望してエコール・デ・ボザールを受験するも不合格となり、建築家への道を諦めたのだそうです。ルドンが建築家になっていたら、どんな建物をデザインしていたのか、見てみたかった気がします。絵画と同様、内側に光を秘めたような、そんな建築になっていたのでしょうか。
兄の代わりに末の弟が建築家になりました。
不思議なデッサンを多く描いています。