桜坂の家の敷地にはじめて訪れたのは、ある冬ざれの一日でした。史跡「桜坂」は東急線の沼部駅にあります。駅を降りると、駅前に人通りは少なく、静かで穏やか、そしてどこか厳かな雰囲気さえ感ぜられました。理由はすぐにわかりました。通常、都会の駅前というのは、店が建ち並び多色彩な舗装や街灯が続いているものですが、この街は一角を寺がしめていました。その外周部は左官塗りの壁が続き、その壁に沿って、用水路が流れています。この用水路は江戸時代に灌漑用水としてつくられたもので「六郷用水」と名付けられています。長い時間を重ねてきた風格のようなものが、その雰囲気のなかに感ぜられました。
過去のものを残していくことは、功利主義の世の中ではなかなか難しいものです。しかしながらこの街にとって、この穏やかで厳かな雰囲気はおそらくずっと続いてきたものであるし、これからも存続させていくべきものだと、このときにつよく思ったのです。
左官塗りの壁に映り込む、樹木の影。その凛とした雰囲気は、春、やまももをはじめ花が咲きみだれ華やかさに包まれます。界隈の桜坂の桜とともに、一年に一度、道行く人々を楽しませてくれるのです。そうして一年、また一年と、ゆっくりと時間を重ねてゆく。
桜坂の家の外観には、そんなイメージを託したいと思いました。穏やかな左官塗りの壁。その前に植えられた花木。季節ごとに、住まい手だけでなく道行く人々にも楽しんでもらえるような街角の一角をかたちづくりたいと思ったのです。この界隈にずっとあり続けてきた穏やかで厳かな雰囲気が、このちいさな街角にも宿り続けることを願いつつ・・・。