第一駐車場に駐車したバスから降りると、前方に無料休憩所や売店がある入場口。すぐ近くにあるのは「国宝殿」。
2010年2月4日(木)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の最初の目的地は比叡山延暦寺。時間の関係上、中に入って見学できるのは根本中堂だけ。13:30~14:40の予定通り進行しました。比叡山延暦寺は、標高878mの比叡山全域を境内とする寺院。平安初期の僧侶最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院。
比叡山国宝殿:比叡山には、宗祖伝教大師の真筆をはじめ、仏像、仏画、書跡、美術工芸品及び考古学資料等、63点の国宝・重要文化財を含む数百点にのぼる寺宝がある。その中から選び抜いたものを展示し、多くの人々に広く比叡山の歴史について理解してもらうために建てられたのが、比叡山国宝殿である。”国宝殿”の名称は、伝教大師の「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉より名付けられた。[以上、比叡山延暦寺発行冊子「比叡山」より]
大講堂:重文。天台座主第一世義真和尚の建立によるもので、経典の講義や僧侶が学問研鑽のため論議するお堂(道場)です。ことに、慈恵大師が始修され、4年目ごとに行われる比叡山の古儀「法華大会(ほっけだいえ)広学堅義(こうがくりゅうぎ)」は、一人前の天台僧となる為の重要な儀式。階梯として現在につづいています。
現在の建物は、昭和31年の旧堂焼失後、山麓坂本にあった讃仏堂を移築したもので、堂内には、本尊に胎蔵界大日如来を祀り、比叡山で修行された法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの各宗祖師の木像が安置されています。
吉川英治 小説「新平家物語」より 大講堂:国を揺り動かした、僧兵たちの誇りが息づく、
”三堂十六谷に住む叡山の法師たちは、まだ勤行にもつかない。未明の夢をふいに醒まされた。「大講堂の鐘が鳴るぞぅつ…。大講堂に集まれいっ」誰かは知れぬがどこかで、雲を呼ぶようにどなっている。-ごうん ゴウうん、ごうウウん…。鳴りやまない鐘の音を耳にしながら、法師たちは、下に鎧を着こみ、上に法衣をまとひ、太刀を帯び、薙刀をもちー老師の場合は、竹の入堂杖をつきーわれ先にと谷々から雲の湧くように登ってゆく。”
山門の名で関白忠通、鳥羽院へ使者を立て、清盛父子を糾弾したが受け入れられず、強訴することになった僧兵たちの様子です。山中にこだまする鐘の音とともに、大講堂に集まった僧兵たち。彼らに代表される比叡山延暦寺の力が、かつては日本の政治や社会にも影響を及ぼしていたことがよくわかる一節です。
大講堂の前庭にある鐘楼には、「開運の鐘」と呼ばれる鐘が吊り下げられているが、この場所から更に一段低い平地に下りる坂が「己講坂」。
比叡山の教え~世界文化遺産・比叡山延暦寺「諸堂めぐり」より
1,200年前伝教大師最澄は、日本の国の安泰と国民の幸せを祈って日本人に合った仏教を比叡山に開きました。その教えの根本をなすものは、「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」すなわち、一人ひとりが相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行うことが、周りが良くなっていくことにつながると言うことです。後世、この様な教えに基づいて、様ざまな高僧が集い、特に鎌倉時代には、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮などと言った祖師方が比叡山で修行されました。
http://wadaphoto.jp/japan/ei3.htm [夏の叡山延暦寺(西塔)]