(下)内側から見た神護寺の楼門。楼門のすぐ右手に唐門がある。唐門を越えると和気公霊廟である。
2010年2月5日(金)、平家物語ゆかりの地を巡る旅の2日目。京都市右京区梅ケ畑高雄町にある高雄山神護寺の楼門に全員が揃ったのは11:17時。見学予定時間は10:40~12:00時。次の目的地「鞍馬寺」前の食事処に昼食の予約をしているので時間が少ない。それぞれが境内案内図を頼りに散策。
この寺は、頼朝に挙兵を促した文覚上人が再興したお寺(「平家物語」巻5)だが、神護寺の前身は、この地に古くからあった和気(わけ)氏の氏寺である高雄山寺で、草創は不明とのこと。唐から帰朝した空海(弘法大師)が大同4年(809)から東寺を拝領するまでの14年間、ここを真言密教布教の拠点とした由来のある寺院である。
鐘楼がある建物。コメツガ(米栂)と思われる樹木が、実を沢山つけていた。
(上)金堂から見た五大堂(手前)と毘沙門堂(奥)。
大師堂:毘沙門堂、五大堂のさらに奥にある入母屋造り、柿(こけら)葺きの住宅風の仏堂。江戸時代に空海(弘法大師)の住坊であった「納涼房」を復興したのがこの「大師堂」(重要文化財)で、唐から帰朝した空海が、真言密教布教のため14年間暮した所とのこと。内部の厨子に正安4年(1302)作の板彫弘法大師像(重文)を安置するとのこと。
(上)五大堂:毘沙門堂の右側に建つ。元和9年(1623)の建築。
(上)金堂へと上る石段の下に建つ。左が毘沙門堂で右が五大堂。
(上と下)毘沙門堂:金堂へと上る石段の下に建つ。金堂が建つ前はこの堂が「金堂」であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていたとのこと。元和9年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置するとのこと。
(下5枚)金堂:楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。入母屋造り、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたもの。金堂に安置する本尊の薬師如来像は。無病息災。鎮護国家の仏とのこと。
(下)木々の後ろの方に見えているのは多宝塔:金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様、昭和9年(1934)、実業家山口玄洞の寄進で立てられたもの。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置する。但し、拝観は事前に往復ハガキによる申し込みが必要とのこと。
下の画像のシダは、セイヨウタマシダ’テディ・ジュニア’(ツデータマシダ)と呼ばれているものではないかと思われますが、断定はできません。
シノブ科 タマシダ(ネフロレピス)属 Nephrolepis: 世界の熱帯、亜熱帯に約30種がある。地生あるいは岩や樹木に着生する。根茎は匍匐し、種によっては塊茎をつける。葉は単羽状で、羽片の数は多い。ソーラス(胞子嚢群)は葉縁、またはその近くにつき、包膜は円形または腎円形となる。エクサルタタに多くの園芸品種があり、観葉植物とされる。
タマシダは、世界の熱帯、亜熱帯に広く分布し、日本にも伊豆半島以西の暖地に3種ほど自生している。匍匐枝は鱗片に覆われ、芽と塊茎をつける。芽には子株をつけ、塊茎は径1~2㎝で球状となる。葉は直立し、羽片は全体に短いが中央部はやや長い。エクサルタタN.exaltataは熱帯アメリカ原産で、タマシダに似るが、匍匐枝に塊茎をつけず、葉幅が広い点が異なり、セイヨウタマシダの和名がある。多くの園芸品種があり、これらのほとんどは突然変異によりできたものである。ボストンタマシダcv.Bostonieensisは葉は柔らかく、長さが1mにもなって垂れ下がり羽片は縁が波打っている。’ボストンタマシダ’から出た個体に’ファン・ダンサー’cv.Fan Dancerがある。葉が淡緑色~淡黄色となる’テディー・ジュニア’Nephrolepis cv.Teddy Juniorはコンパクトな葉となり、羽片は波打つ。一般に’ツデータマシダ’と呼ばれ、最も多く栽培されている品種。[以上、山と渓谷社発行「山渓カラー名鑑・観葉植物」より]
栽培管理:直射日光を避けた、やや明るい日陰に置く。夏には根もとが蒸れることが多いので、風通しのよい場所に置く。冬にはレースのカーテン越しの日光に当てる。夏には毎日たっぷりと水やりする。それ以外の季節には、鉢土の表面が乾いたら水を与える。乾燥時には霧吹きで葉水を行う。5~9月に、2~3ケ月に1回、緩効性の化成肥料を置き肥する。病害虫については、カイガラムシに注意する。越冬温度は5~8℃だが、タマシダは凍らない程度であれば越冬可能。[以上、池田書店発行「観葉植物事典」より]