peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都12:「哲学の道」と梅

2010年02月12日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月4日(木)、平家物語ゆかりの地を巡る旅 第1日目、最後の目的地は「鹿ケ谷の陰謀」の地。バスが駐車した場所から「哲学の道」を200mほど歩き、疏水に架かる「法心橋」を渡って、法然院の前を通り、霊鑑寺まで。帰りも同じ道を通りました。梅の花が咲いていました。

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 哲学の道 由来

「哲学の道」は、明治23年に建設された琵琶湖疏水の支線沿いに若王子(しゃくおうじ)橋から銀閣寺までの1.8キロのどの道をいい、桜並木の遊歩公園となっています。夏の夜には蛍が飛び交い、秋には紅葉が彩りを添えます。

 「哲学の道」は、日本哲学で世界的に著名な京都大学教授西田幾太郎(にしだ いくたろう 1870~1945)が、研究や読書、思索の疲れを癒すために、毎日のように歩いたことで知られています。「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を 吾は行くなり」と、その心境を詠んだ歌碑が近くにあります。

 名前の由来の詳細は明らかではありませんが、京都大学教授でのちに大阪経済大学初代学長を務めた黒正巌(こくしょう いわお1895~1949)が、ドイツに留学した時、ハイデルベルクにあった「哲学の道フィロゾーヴェン・ウェヒ」を思い出し、昭和の初めころ名付けたと言われています。黒正巌は、百姓一揆の研究で有名な経済史学者であり、「道理は天地を貫く」の言葉を残しました。

 当時は「哲学の小径」と呼ばれていたらしく、近くに住む知識人・文人や住民たちの憩いの散歩道となっていました。昭和45年に京都市が遊歩公園として整備し、観光客でにぎわうようになり、「哲学の道」という呼び方が定着するようになりました。「日本の道百選」にも「哲学の道」として登録されています。

[京都市観光文化情報システム:哲学の道]

[京都市観光文化情報システム:霊鑑寺]

[霊鑑寺(京都府京都市左京区)の情報-MAPPLE観光ガイド]

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ウメ(梅) バラ科 サクラ属 Prunus mume

比較的温暖な気候を好む落葉小高木で、大きなものは高さ10mほどになる。若枝は緑色。葉は互生し、長さ4~10㎝の楕円形または倒卵形で、先は尖る。花期は普通2~3月で、葉が出る前に香りのよい花が咲く。花は直径2~3㎝。花弁は5個が基本で、白または淡紅色を帯びる。花柄はほとんどない。果実はほぼ球形で、細かい毛におおわれている。6月頃に完全に熟すと、黄色っぽくなる。

古い時代には花の観賞が主で、果実を梅干しなどに利用するようになったのは江戸時代以降である。果実を利用するウメを実梅、観賞用のウメを花梅と呼び、いずれも多くの品種がある。花も実も日本人にはなじみ深い樹木のひとつだが、もともと日本にあったわけではなく、古い時代に中国から入ってきた。万葉集にはウメを詠んだ歌が多いので、それ以前にすでに栽培されていたことになる。九州には野生種があるといわれているが、これは栽培ものが野生化したという説が有力。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]

画像の品種は、野梅系の見驚(けんきょう)と思われる。