peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都29:鞍馬寺奥の院へ

2010年02月20日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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本殿金堂(ほんでんこんどう):千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊の三尊尊天(そんてん)を祀っている。標高410mの所にある。

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閼伽井護法善神社:本殿金堂の右(東)側にある水の神社。

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 (上)参拝者御休息所

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 光明心殿(こうみょうしんでん):本殿金堂の左隣(西側)にあるお堂で、護法魔王尊が祀られており、護摩供を修する道場。大地の力・護法魔王尊とは、650万年前に人類救済の使命を帯びて金星から天下ったとも伝えられている。古くは2億数千年前、新しくとも7000万年も前の地質で成り立つ鞍馬山は、有史以前から、護法魔王尊が素晴らしい波動を発しつづける霊山とされ、この波動を感じて鑑禎上人(がんちょうしょうにん)や藤原伊勢人(ふきわらのいせんど)、それ以前の密教的修行僧たちが鞍馬山へとめざしたとのこと。

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(上)本坊金剛寿命院:鞍馬寺寺務所、鞍馬弘教宗務本庁がある。この建物は、本殿金堂側から見ると、1階建てに見えるのが、4階建て。

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 本坊金剛寿命院:この入り口は実は4階で、玄関前にあるのが、瑞風庭(ずいふうてい)

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(上)瑞風庭(ずいふうてい):奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現しているとのこと。

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瑞風庭:この庭は650万年前人類救済の大使命を帯びた護法魔王尊が金星より「焔の君たち」を従えて、今まさに聖地・鞍馬山に降臨せんとする相を形象化したものである。北庭の白砂盛は魔王尊の乗物「天車」を意味する。南庭は、組井筒と大刈込によって鞍馬山を表現し石組は魔王尊を表わすと共に奥の院の盤座を象徴している。

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 本坊金剛寿命院の右方向へ進むと「奥の院」への参道入り口がある。

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奥の院参道800m、霊宝殿(鞍馬山博物館)100mの看板。

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(上)奥の院遥拝所:奥の院に行けない人のために設けられている遥拝所。

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 (上)鐘楼:奥の院参道入り口を過ぎると石段があり、登ってすぐ右に鐘楼登り口がある。

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 上の「奥の院」道の石段を登りきった所に、与謝野寛(鉄幹)・晶子歌碑がある。

(下)与謝野鉄幹(寛)・晶子歌碑

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何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな 晶子

遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なほ明日を待つかな 寛

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霊宝殿(鞍馬山博物館):鞍馬山の文化財・動植物の標本を展示。

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(上)冬柏亭(とうはくてい):与謝野晶子さんの書斎で、東京の与謝野邸にあったもの。霊宝殿の前、御山(奥の院)に入る門の階段下左側。

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「これより奥の院へ」の標柱がある所で14:00時になった。(参詣予定時間は14:30時)。同行の仲間も気が付いたら1人だけだったので引き返してきた。

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「奥の院」までは行けませんでしたが、下記のWebサイトに「冬柏亭」「息つぎ水」「屏風坂の地蔵堂」「背比べ石」「木の根道」「大杉権現社」「義経堂」「僧正ガ谷不動堂」「奥の院魔王殿」「西門」などの画像入り記事が掲載されていますので、紹介します。

 http://www.kuramayama.net/ [京都府 鞍馬寺・鞍馬山 休日の癒し]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都28:鞍馬寺・本殿金堂

2010年02月20日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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本殿金堂(ほんでんこんどう):宇宙エネルギーである尊天の働きを象徴する千手観音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊を奉安する鞍馬山信仰の中心道場。

 受付で頂いたパンフには”尊天とは、「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギーであって、そのはたらきは愛と光と力となって現れる。愛を月輪の精霊ー千手観世音菩薩、光を太陽の精霊ー毘沙門天王、力を大地の精王ー護法魔王尊のお姿であらわし、この三身(さんじん)を一体として「尊天」と称するのである。「月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く」と祈り「すべては尊天にてまします」とお唱えするのである。”と書かれています。

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 閼伽井護法善神社(あかいごほうぜんじんじゃ):本堂金堂の右(東)側にある水の神様。1000年ほど昔に、修業中の峯延上人(ぶえんしょうにん)を襲った大蛇のうち、雄蛇は斃されて「竹伐り会式」の由来となり、雌蛇は本尊に捧げるお香水を永遠に絶やさぬと誓って、ここに祀られたという。

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2010年2月5日(金)、総本山鞍馬寺(京都市左京区鞍馬本町1074)を参詣した。可愛い「牛若号Ⅲ」というケーブルカーに乗って「山門駅」から「多宝塔駅」まで上り、そこから本殿金堂(ほんでんこんどう)まで歩いた。

ケーブルカーが無かった時代には、仁王門から50mの高さの所にある由岐神社まで267mを歩き、九十九折(つづらおり)になっている参道を仁王門から160mの高さの所にある本殿金堂まで791mも歩いたことから、この道は「九十九折参道」と呼ばれている。清少納言が「枕草子」の「近うて遠きもの」の中に「くらまの九十九折といふ道」と記したのがこの道である。

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(上)本殿金堂まで155段続くといわれている石段を登って行くと、福徳と智慧と財宝の神・弁財天を祀る「巽の弁財天社(たつみのべんざいてんしゃ)」や信徒の休憩所・「洗心亭(せんしんてい)」がある。

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石段の途中右側にあり、寝殿と向かい合っている建物は、転法輪堂(てんぼうりんどう):1丈6尺の阿弥陀如来が鎮座し、鞍馬寺歴代と信徒各家の「酬徳尊牌」を祀る。祖先の恩徳に感謝を捧げるお堂。「一転の南無阿弥陀仏、その功徳六万遍の称名に等し」が、この転法輪堂の名の由来。

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 (上)ここの水で、手と口を清める。

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寝殿:大正13年(1924)12月、貞明皇后さま鞍馬山行啓の際の御休息所跡。8月1日から3日間修される如法写経会(にょほうしゃきょうえ)の道場となっているが、非公開の建物。

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ケーブルカーで上ってきた身にとっても、何度か折り曲がりながら続く石段の参道は難儀なものであった。

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本殿金堂(ほんでんこんどう):三尊尊天(そんてん)を奉安。地下は宝殿と呼ばれ、松久朋琳大仏師により彫成された三尊尊天像が祀られているほか。鞍馬山の尊天信仰に生きることを誓った、信徒の清浄髪(しょうじょうはつ)奉納祈願所。

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 阿吽の虎(あうんのとら):狛犬ではなく、虎。虎は御本尊の一尊でもある毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、毘沙門天ご出現が、虎の月、虎の日、虎の刻であったことから、鞍馬山では特に大切にされている。

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本殿金堂前の広々とした石畳は「金剛床(こんごうしょう)」といい、鞍馬山の教えの理想、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するということを表現しているとのころ。

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都27:鞍馬寺とイノモトソウ

2010年02月20日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の第2日目。京都市左京区鞍馬本町1074にある鞍馬寺である。可愛らしいケーブルカーで「山門駅」から「多宝塔駅」へ登る。200mあるそうだが、時間はたったの2分ぐらい。駅を出たら、すぐ前に大きな多宝塔が建っていた。この場所に「標高364m」の標柱があった。

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多宝塔は昭和35年(1960)にこの地に再建されたもので、舎利宝塔と尊天三尊像が祀られている。「尊天三尊」というのは、この寺の本尊である千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法摩王尊の三尊。ここ鞍馬寺では、この三身を一体として「尊天(そんてん)」と呼び、近世は福や徳の神として広く信仰されているとのこと。

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(下)毘沙門天堂:「開運の毘沙門天」が祀られているが、ケーブルカー建設の工事中に発見されたとのこと。鞍馬寺は、奈良時代の宝亀元年(770)、鑑真(がんじん)和上の高弟・鑑禎(がんちょう)上人が毘沙門天像を彫し、草堂を結んだのが起こり。

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 多宝塔は仁王門から120mの高さの所にあり、160mの高さの所にある本殿金堂まで参道が456m続いている。こちらの参道は「新参道」と呼ばれている。

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ケーブルカーの多宝塔駅から290mほどの所に弥勒堂があった。

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弥勒堂には、お釈迦様の入滅後、56億7000万年を経てこの世に出現し、人類を救済すると信じられている弥勒菩薩が安置されている。

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(下)弥勒堂を過ぎ、この道しるべがある所で、九十九折(つずらおり)参道(由岐神社~仁王門からの道)と合流し、本殿金堂への155段の石段へと続く。(本殿金堂までは162mとある)。由岐神社から本殿金堂まで791m。由岐神社(仁王門から50mの高さの所にある)から仁王門まで267m。

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この弥勒寺がある右側の山の斜面にシダの仲間であるイノモトソウ(井の許草/井口辺草)が群生していた。関東地方以西の石垣や日陰の土手などに自生するシダだという。

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イノモトソウ(井の許草、井口辺草) ウラボシ科 イノモトソウ属 Pteris multifida

関東以西の人里近くの石垣や日陰の土手、道ばたなどで普通に見られる常緑性のシダ。中でも井戸端の石垣の隙間によく生えていることから「井の許(もと)草」とか「井口辺(いのもと)草」の名前がついた。葉は羽状に切れ込む。葉の中軸を中心に左右へ羽片が伸び、羽片は切れ込みがない。先端の3枚の羽片と続く2枚の羽片との間の中軸に翼(ひれ)がある。胞子葉は長さ60㎝と大きい。画像は栄養葉で、胞子葉より小さいが、羽片の幅は広い。なお、葉の先側の3枚の羽片が鳥の足形に見え、「鳥脚(とりのあし)」「鶏足羊歯(けいそくしだ)」とも呼ぶ。仲間にオオバノイノモトソウがある。[以上、山と渓谷社発行「山渓名前図鑑・野草の名前(秋冬)」&同「山渓ポケット図鑑3・秋の花」

本殿金堂から奥の院へ通じている参道の脇にも生えていた。

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