(上)「吉岡宿本陣案内所」から浅野屋跡などの前を通って直進すると、広い道(奥州街道)は直角に
曲がります。狭い道を真っ直ぐに進めば「龍泉院」や「九品寺(くほんじ)」に至ります。
(上と下)「奥州街道」は「矯正歯科」の所を直角に右に曲がり、直ぐに直角に左側に曲がっています。
(上と下)広い道(「奥州街道」)を左に曲がらず、真っ直ぐ進むと「不動堂」や「五間堀」があります。
(下)「奥州街道」を進んで行くと、間もなく国道4号線にぶち当たります。
(上)蓮台山九品寺(くほんじ):元和2(1616)年、伊達宗清公が居城を吉岡に移すのに伴い、
現在地に移され建立されました。境内には、江戸時代の吉岡宿窮民救済事業を伝える「国恩記顕彰碑」が
あります。
(下)山門を潜ってすぐ左側に「國恩記顕彰碑」が建てられていました。
(上)菅原屋篤平治の墓碑(左)と国恩記顕彰碑(右)。(下)国恩記顕彰碑(アップ)
(上)「國恩記とは」:江戸時代後期、吉岡で行われた窮民救済事業のおこり、
組織、運営、実態などに関わる諸資料をまとめたもので、宝珠山龍泉院八世栄洲
端芝(えいしゅう・ずいし)禅師=大和尚によって記されたもの。
(上)法名碑には9名の篤志家の名前が記載されています。①穀田屋 十三郎(こくだや・じゅうざぶろう)=高平十三郎、②穀田屋 十兵衛(こくだや・じゅうべい)=高平十兵衛、③穀田屋 善八(こくだや・ぜんはち)=高平善八元長、④早坂屋 新四郎(はやさかや・しんしろう)、⑤菅原屋 篤平治(すがわらや・とくへいじ)、⑥遠藤 幾右衛門(えんどう・いくえもん)、⑦浅野屋 甚内(あさのや・じんない)=遠藤周右衛門(えんどう・しゅうえもん)、⑧千坂 仲内(ちさか・ちゅうない)、⑨遠藤 壽内(えんどう・じゅない)。
http://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/kokuonki.html [国恩記(こくおんき)の人々:宮城県大和町公式ホームページ]
(上)この道を真っ直ぐ進めば龍泉院の境内を通って、(下)の歯科医院の所に出ます。