「モートンイトトンボ」(本日の画像)がワサワサい
る畦道伝いに、田圃を覗き込む。
一見、水生昆虫の姿は見えない。
予想では、もっと一杯いると思っていたので、ちょっ
と意外というか残念であった。
が、じっくり腰を落ち着け観察すると、いるいる。
昔の田圃を思い起こせば、ちょうどこんな感じだった
ろう。
当時だって、例えば「ゲンゴロウ」(ナミゲンゴロウ)
がうじゃうじゃ田圃にいたわけではなかった。
今回確認したのは、「コガムシ」(推定、幼虫も数匹)
「コオイムシ」「ヒメミズカマキリ」(ミズカマキリ
の小型)「マツモムシ」「ツブゲンゴロウ」(の仲間、
ルイスツブゲンゴロウというやつか?)「チビゲンゴ
ロウ」(の仲間)などであった。
これだけいれば、やはり大したものである。
「ガムシ」「ミズカマキリ」など、最後に見たのがい
つだったか思い出せないくらいの久しぶりの対面だっ
た。
現地についた頃には、日も出て一気に暑くなってきた
が、そんな中での観察。
小学生の頃の記憶が蘇る。
昔は、これが普通だったんだ。
自然に、これらの自然と戯れていたのが我々の子供時
代だ。
基本的には、今の子供もこういうものには興味はある
のだと思う。
人間の根源的な好奇心というものがある限り。
ところが、最近の親は特に虫を忌み嫌う。
そんな親の元にいたら、子供は親の恐怖心をそのまま
植え付けられる。
実に困ったものである。
虫あっての自然という、ミクロでマクロな世界観を植
えつけるのなら結構なことだが、見た目がきれいなの
が自然の良さという(花のきれいさのみを抽出)ある
一面のみしか見ないのは、自然という記号と戯れてい
るに過ぎない。
例えば最近だと「シバザクラ」、ちょっと前なら「コ
スモス」、それらの花がきれいなのを植えれば、自然
豊かなどと喜んでいる図式がそれだ。
結局、本来その土地にある植生に沿った、虫も含め植
物も多様な状態が望ましいのではないか。
きれいな花をつけるものばかりではない植物。
当然、そこには気持ち悪い虫だって存在している。
その全体が良いのである。