読書力, 齋藤孝, 岩波新書(新赤版)801, 2002年
「読書量減少が諸悪の根源」、
「読書せぬ者は人に非ず」
とでも言わんばかりの熱い主張が繰り広げられます。断定口調がなかなか爽快です。出版当時のことは知りませんが、なかなか話題の本だったのではないかと想像される勢いがあります。著者は70代ぐらいのじーさんかと思いましたが、1960年生まれと若い方でした。『中谷彰宏』とキャラかぶってるかも。以前流行った『声に出して読みたい日本語』の作者でもある。
・本を手に取らない人間にむかって、新書から熱く呼びかける、という大きな矛盾あり。
・巻末の『文庫百選』おすすめブックリストは保存版。なにか読んでみたいけど、なにを読んだらいいかわからない、という人にオススメ。ちなみに私の場合、この100冊のうち読んだのが18冊。持ってるけどまだ読んでないのが5冊でした。さっぱり重ならないものですね。それとも重複が多いと言えるのかな?
・「読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと頑固に考えている。」p.i
・「「単なる娯楽のための読書ではなく」、「多少とも精神の緊張を伴う読書」が、この本のテーマだ。」p.ii (とじカッコ位置間違い)
・「本当に、「本を読む読まないは自由」なのだろうか。 私はまったくそうは思わない。少なくとも大学生に関しては、百パーセント読書をしなければ駄目だと考えている。」p.3
・「本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。」p.5
・「書くことは読むことの氷山の一角だと私は考えている。」p.6
・「読書好きと「読書力がある」は違う。もちろん一致する場合も多いが、好きな推理小説作家の作品だけを読み続けている人は、読書好きとは言えるが、読書力があるという保証はない。」p.7
・「さて、私が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものだ。」p.8
・「「読書力がある」ということは、読書習慣があるということでもある。読書が苦にならずに日常で何気なくできる力、これが読書力である。」p.9
・「もちろん現在の子どもたちは情報処理能力は高いので、新書を読むことも十分あり得る。」p.13 ひっかかる記述。昔に比べて今の子どもは頭がいい、と言ってるように読めるが、どういう根拠なのか?単に学校教育が行き届いているということ?
・「一人で大家の凝縮した話を聴く贅沢な時間、というイメージさえ持てれば、新書読書は、もったいなくてどうしてもやらずにはいられなくなる。」p.16
・「私の基準としては、本を読んだというのは、まず「要約が言える」ということだ。」p.18
・「大学で教える立場からすれば、高校卒業時には高度な読書力さえあればいいと言ってもいい。」p.31
・「次にステップとして、推理小説や歴史小説、エンターテインメントもの、雑誌やショートショートなど、わかりやすく読みやすい読書がある。これはいわば乳歯レベルの読書だ。」p.38
・「多くの読書を推奨するのは別に日本ばかりではないが、聖書にあたる本がない事情は、より切実に多量の読書を推奨する背景となっている。」p.48
・「「本はなぜ読まなければいけないのか」という問いに対する私の答えは、まず何よりも「自分をつくる最良の方法だからだ」ということだ。」p.50
・「読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。教養があるということは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということだ。」p.51
・「人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。」p.59
・「読書をたくさんしている者ほど、単独者となりやすい。自分自身の世界を持っているからだ。」p.63
・「言葉をたくさん知るためには、読書は最良の方法である。」p.67
・「しばらく前に、「自分探し」という言葉が流行したが、私にとっては「自分をつくる」という表現の方がしっくりくる。(中略)自己や自分というものは、自分ひとりでつくるものではない。他者との関係の中で作られていくものだ。」p.68
・「読んでいると「そうそう、自分も実はそう考えていった」と思うことがよくあるが、多くの場合、そこまで明確に考えていたわけではない。」p.86
・「生きる力は、自分を肯定するところから生まれてくる。少年院関係者の話によると、少年犯罪を起こす者のほとんどが、幼い頃からあまりほめられた経験がないということである。ほめられるということは、自己を他者から肯定されるということだ。肯定が積み重なれば、自分がこの世に存在することに自信を持つことができる。」p.89
・「ひどい場合には、「やさしく書けないのは、著者が本当にはわかっていないからだ」といった聞いた風な論を悪用して、自分の読解力や知識のレベルを上げる努力を怠る者も多い。」p.107
・「本を自分のものにするということは、具体的には、その本の中に重要な自分にピンとくる文章を見つけるということだ。」p.136
・「読書に関しては、狭く深くか広く浅くかということもほとんど無意味な選択肢だ。広く読んでいる方がある本を深く読める。」p.147
・「本を複数並行的にギアチェンジしながら読む練習を続けていると、脳の器が大きくなって、思考に余裕が生まれる。」p.149
・「しかし、私の場合は、その人の知力に応じてではあるが、できるだけ「凄み」のある作品から入るように努めている。」p.194
・「最後に全人類必読の一冊をプラス。『いしぶみ――広島二中一年生全滅の記録』(ポプラ社文庫)。」p.210 究極のキャッチ・コピー。
「読書量減少が諸悪の根源」、
「読書せぬ者は人に非ず」
とでも言わんばかりの熱い主張が繰り広げられます。断定口調がなかなか爽快です。出版当時のことは知りませんが、なかなか話題の本だったのではないかと想像される勢いがあります。著者は70代ぐらいのじーさんかと思いましたが、1960年生まれと若い方でした。『中谷彰宏』とキャラかぶってるかも。以前流行った『声に出して読みたい日本語』の作者でもある。
・本を手に取らない人間にむかって、新書から熱く呼びかける、という大きな矛盾あり。
・巻末の『文庫百選』おすすめブックリストは保存版。なにか読んでみたいけど、なにを読んだらいいかわからない、という人にオススメ。ちなみに私の場合、この100冊のうち読んだのが18冊。持ってるけどまだ読んでないのが5冊でした。さっぱり重ならないものですね。それとも重複が多いと言えるのかな?
・「読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと頑固に考えている。」p.i
・「「単なる娯楽のための読書ではなく」、「多少とも精神の緊張を伴う読書」が、この本のテーマだ。」p.ii (とじカッコ位置間違い)
・「本当に、「本を読む読まないは自由」なのだろうか。 私はまったくそうは思わない。少なくとも大学生に関しては、百パーセント読書をしなければ駄目だと考えている。」p.3
・「本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。」p.5
・「書くことは読むことの氷山の一角だと私は考えている。」p.6
・「読書好きと「読書力がある」は違う。もちろん一致する場合も多いが、好きな推理小説作家の作品だけを読み続けている人は、読書好きとは言えるが、読書力があるという保証はない。」p.7
・「さて、私が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものだ。」p.8
・「「読書力がある」ということは、読書習慣があるということでもある。読書が苦にならずに日常で何気なくできる力、これが読書力である。」p.9
・「もちろん現在の子どもたちは情報処理能力は高いので、新書を読むことも十分あり得る。」p.13 ひっかかる記述。昔に比べて今の子どもは頭がいい、と言ってるように読めるが、どういう根拠なのか?単に学校教育が行き届いているということ?
・「一人で大家の凝縮した話を聴く贅沢な時間、というイメージさえ持てれば、新書読書は、もったいなくてどうしてもやらずにはいられなくなる。」p.16
・「私の基準としては、本を読んだというのは、まず「要約が言える」ということだ。」p.18
・「大学で教える立場からすれば、高校卒業時には高度な読書力さえあればいいと言ってもいい。」p.31
・「次にステップとして、推理小説や歴史小説、エンターテインメントもの、雑誌やショートショートなど、わかりやすく読みやすい読書がある。これはいわば乳歯レベルの読書だ。」p.38
・「多くの読書を推奨するのは別に日本ばかりではないが、聖書にあたる本がない事情は、より切実に多量の読書を推奨する背景となっている。」p.48
・「「本はなぜ読まなければいけないのか」という問いに対する私の答えは、まず何よりも「自分をつくる最良の方法だからだ」ということだ。」p.50
・「読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。教養があるということは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということだ。」p.51
・「人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。」p.59
・「読書をたくさんしている者ほど、単独者となりやすい。自分自身の世界を持っているからだ。」p.63
・「言葉をたくさん知るためには、読書は最良の方法である。」p.67
・「しばらく前に、「自分探し」という言葉が流行したが、私にとっては「自分をつくる」という表現の方がしっくりくる。(中略)自己や自分というものは、自分ひとりでつくるものではない。他者との関係の中で作られていくものだ。」p.68
・「読んでいると「そうそう、自分も実はそう考えていった」と思うことがよくあるが、多くの場合、そこまで明確に考えていたわけではない。」p.86
・「生きる力は、自分を肯定するところから生まれてくる。少年院関係者の話によると、少年犯罪を起こす者のほとんどが、幼い頃からあまりほめられた経験がないということである。ほめられるということは、自己を他者から肯定されるということだ。肯定が積み重なれば、自分がこの世に存在することに自信を持つことができる。」p.89
・「ひどい場合には、「やさしく書けないのは、著者が本当にはわかっていないからだ」といった聞いた風な論を悪用して、自分の読解力や知識のレベルを上げる努力を怠る者も多い。」p.107
・「本を自分のものにするということは、具体的には、その本の中に重要な自分にピンとくる文章を見つけるということだ。」p.136
・「読書に関しては、狭く深くか広く浅くかということもほとんど無意味な選択肢だ。広く読んでいる方がある本を深く読める。」p.147
・「本を複数並行的にギアチェンジしながら読む練習を続けていると、脳の器が大きくなって、思考に余裕が生まれる。」p.149
・「しかし、私の場合は、その人の知力に応じてではあるが、できるだけ「凄み」のある作品から入るように努めている。」p.194
・「最後に全人類必読の一冊をプラス。『いしぶみ――広島二中一年生全滅の記録』(ポプラ社文庫)。」p.210 究極のキャッチ・コピー。