ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

▲閉店【食】らーめん 華龍 [ラーメン@苫小牧]

2008年06月06日 22時05分23秒 | 外食記録2008
▲閉店 2015年5月に閉店 [2015.7.14記]
らーめん 華龍(かりゅう)[ラーメン@苫小牧][食べログ.com]
2008.5.18(日)19:50入店(2回目)
注文 中華丼とお子様ラーメン(正油) 800円

・札幌から室蘭への帰り道、田舎では皆店じまいしてしまいそうな時間が近づいてきたので、とりあえず目についた明りのついている店に飛び込みました。
 
・苫小牧の国道36号線と苫小牧西ICを結ぶ道路沿い。片側三車線のバイパス通りより内陸部へ500mほど入った場所にあります。
  
・店内はテーブル席が椅子・座敷合わせて7卓、輪になって座る形のカウンターが14席と、結構広いです。
・数年前にも一度寄ったような気がしますが、味の記憶はまったくありません。

・ラーメンと中華丼のセット。フルサイズのラーメンはさすがに食べきる自信がなかったので、小さいサイズを注文しました。
 
・お子様ラーメン(正油):一口食べて、「あれ??」、「味が、しない??」 単に味が薄いというのではなく、味のふくらみが無いというか、奥行きが無いというか、そんな感じ。コーヒーだと思って飲んだ物が水だった、というような肩透かしを食う。疲れていて味覚がおかしくなっているのかと、何度もスープを飲み直しましたが……やはり変な感じ。思い返せば、余所でこういう味のラーメンを食べたことがあったっけ。。。

・中華丼:こちらもラーメンと同様の印象。見た目は美味しそうなのですが、胡椒の味しかしてきません。
・アルバイトらしき女の子の店員さんがかわいかったです。

   
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★2008年【外食記録】100店達成!
 こちらの店をもちまして今年100店目となりました。五月半ばにしての達成。ここまで週5店、そしてこのままいけば年間約250店のペースです。当初はここまであちこち食べ歩くつもりではなかったのですが、いつの間にやらこんな数になってしまいました。結構たくさん行っているようではありますが、気になるお店はまだまだ増える一方です。今後も楽しく食べ歩くことのできるように、日頃の食事に気をつけたいと思います。どうか体を壊すことなく無事過ごせますように。
コメント (2)
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【本】オデッサ・ファイル

2008年06月06日 08時02分02秒 | 読書記録2008
オデッサ・ファイル, フレデリック・フォーサイス (訳)篠原慎, 角川文庫 フ-6-2(4606)赤537-2, 1980年
(THE ODESSA FILE, Frederick Forsyth, 1972)

・ドイツの一介のルポ・ライターが、ちょっとしたきっかけからナチスの残党の追跡に足を踏み入れ、深みにはまっていく。わずかな手がかりをもとに、標的へ繋がる糸をひたすら手繰っていき、その行き着く先にあったものは!?
・よく聞く名ですが、同著者の作品は初見です。冒頭50ページほどは状況がよく分からずつっかかり気味でしたが、それから先はスイスイと読み進みました。話の筋はとっても単純ですが、グッと引き込まれてしまいます。ちょっとマンガチックに感じられる部分もありますが、時代の古さを感じさせない面白さです。
・本書で活躍する、主人公ペーター・ミラーの愛車『ジャガー XK150S』が気になって調べてみるとこんな車でした。
http://www.hanafusa-vc.com/cars/collection/xk150.html
・「本書のタイトルにつかわれているオデッサ(ODESSA)とは、南ロシアの町でもなければ、アメリカ、テキサスの田舎町でもない。これはドイツ語の Organisation Der Ehemaligen SS-Angehorigen (元SS隊員の組織)のイニシャルをつなぎ合わせた合成語である。  SSとは、アドルフ・ヒトラーのもと、ハインリヒ・ヒムラーによって支配されていた、軍隊の中の軍隊、国家の中の国家ともいうべき存在で、1933年から1945年までドイツを支配したナチス第三帝国で特別の任務を担っていた。その任務とは第三帝国の保安にかかわる事柄であった。なかでも最大の任務は、ドイツと全ヨーロッパから、ヒトラーが "生存に値しない" と考えたすべての要素を除去すること。(中略)これらの任務を達成するために、SSは、じつに千四百万の人間を虐殺した。その内わけは、ユダヤ人が約六百万、ロシア人が五百万、ポーランド人が二百万、ジプシーが五十万。そして、残り五十万の中には、二十万近くのドイツ人とオーストリア人が含まれていた。」p.5
・「国民全体は悪ではない。悪は個人にのみ存在する。イギリスの哲学者バークは「一国の国民を全体として問罪する方法を予は知らない」といったが、これは正しい。全体的な罪などというものは存在しないのだ。」p.47
・「「すべてを理解することは、すべてを赦すことだ」というフランスの格言もある。ドイツの人々を、彼らのだまされやすい性格や恐怖を、権力に対する欲望を、最も声高にしゃべる人間に対する無知と寛容を理解することができるなら、彼らを赦すこともできるはずである。そう、彼らが現実に行ったことさえも赦すことができる。しかし、それを忘れることはできない。」p.48
・「1933年から1945年までの間に、ドイツが犯した "人間性に対する罪" のうち、95パーセントまではSSが直接手を染めている。そして80パーセントから90パーセントは、SSの二つの部門が関与している。その二つの部門とは、国家保安本部と経済管理本部である。」p.89
・「特にドイツ人はその傾向が強い。われわれは従順な国民なんだ。それが最大の長所でもあり、短所でもあるのだがね。イギリス人が破産に瀕しているのを尻目に、奇跡の経済繁栄をなしとげたのもその民族性だし、ヒトラーのような男に盲従して墓穴に落ち込んだのも、この同じ特性ゆえなのだ。」p.131
・「なにしろソビエトが例の調子で、東の方のことは何ひとつ教えてくれなかったんだ。しかも大量虐殺のほとんどは東欧で起った事件なんだからしまつがわるい。当時西側は、人間性に対する罪の80パーセントまでは、今でいう鉄のカーテンの東で犯されたのに、その犯人の90パーセントは西側の占領地域にいるという、まことに奇妙な立場にあった。だから重要犯人で、取り逃した者がかなりたくさんいるんだ。その連中が東で何をやったのか、こっちはぜんぜん知らなかったんだから無理もないんだが。」p.190
・「婦女子、老いた年金生活者、陸・海・空軍の一般の兵士まで含めて六千万ドイツ人全体に罪があるとする考え方は、もともと、連合国で生まれたものですが、元SS隊員たちにとってまことに都合のよい理論なのです。というのは、全体に罪があるという考え方が流布されているかぎり、だれも特定の殺人者を追及しない、少なくとも真剣に努力しようとしないからです。」p.224
・「まず基本的な事実を認識してもらいたい。あんたも兵役の経験があるだろうが、現在の新ドイツ軍など、訓練の足りない、大甘の民主団体にすぎない。これが第一の事実だ。あんなものは大戦中の英、米、ソ連の第一線部隊にかかったら、十秒ともたない。しかし武装SSは、五倍の連合軍を敵にまわしてもよくこれを撃退できるだけの力を持っていた。そして第二の事実。武装SSは、世界戦史の中で最も頑強で、最もよく訓練され、最も士気が高く、最もスマートで、かつ最もまとまった兵士の集団であった。この事実は、彼らの罪にもかかわらず、毫も変りはしない。」p.267
・「耳は人間の顔の中で最も個性的な器官なのだが、いつも看過されるのは不思議でならない。」p.391
・以下、訳者あとがきより「この「オデッサ・ファイル」は、フォーサイスの処女作「ジャッカルの日」と同様、事実とフィクションが渾然一体となっていて、どの部分が事実でどの部分がフィクションなのか、判断がつきかねるほどであるが、本書のおもしろさはじつにこの特徴にあるので、いちいちそれを指摘することはあえて差し控えたい。」p.465
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