ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】心にしみるケニア

2008年06月22日 22時21分45秒 | 読書記録2008
心にしみるケニア, 大賀敏子, 岩波新書(新赤版)241, 1992年
・子供のころから憧れていたケニアに、国連職員として2年2ヶ月に渡って滞在することになった著者の体験記。高級住宅街での生活だけにとどまらず、貧しい人々の暮らしにも果敢に飛び込み、生の『ケニア』をレポートする。
・アフリカの赤道直下の国といえば暑くて暑くて大変というイメージがあったが、ケニアの首都ナイロビは標高が高いおかげで過ごしやすい気候であることが印象に残ったくらいで、全く馴染みの無い異国の珍しい話であるはずなのに、どういうわけか他のエピソードはいまいち印象が薄く感じます。今から約20年前の話ですが、現在でもケニアの貧しい状況はほとんど変わっていないのではないかと思います。憧れはありますが、訪れるのには勇気のいる国。
・「豊かな者は目もくらむほど豊かな一方、貧しい者はどうしようもないくらい貧しい社会構造を見せつける材料は、ナイロビの街角のどこにでもころがっている。金持ちと貧しい人では生活パターンのすべてが違う。住んでいる地域も違う、家の造りも違う、昼食に行く食堂も違う、仕事あがりのビールでうさを晴らす場所も違う、何でも違う。」p.7
・「もし、11本の鍵が「仕事によりよく専念するため」に本当に必要なのだとしたら、せめて12番目の鍵だけでも開けて暮らすことはできないのだろうか。」p.17
・「職もなくうろうろしていること自体が、時として現金を得るための「職業」になってしまう。餓死寸前のぎりぎりのところで誰かから助けがさしのべられる、その仕組みは、ムカサの言葉を言い換えれば、アフリカ流の社会保障システムとでも言うのだろうか。」p.39
・「一般のケニア人、特に都市居住者は野生動物をほとんど見たことがない。動物が嫌いなわけでもないし、怖がっているのでもない。「動物を見に出かける、それだけのお金がいったいどこから湧いてくるのさ」というわけだ。だから、多くのケニア人は、外国人観光客が夢中になる国立公園とかいうものがどんなものかも知らなければ、自分の国の美しさも知らない。」p.57
・「その結果、多くのケニア人の頭の中では、絶えず英語、スワヒリ語、マザー・タングの三言語が自由に行き交うという、驚くべきことが起きている。」p.63
・「つまり、キクユ人にとって「分かち合い」は基本的な道徳観念で、一夫多妻制は、一人の男性の愛情を仲間同士で分かち合うという意味において、その一つの具体化の形であり、したがってそれは、美徳でさえあるのだ。」p.85
・「ちなみに、ケニア人は、野菜も肉も生ものはまず口にしない。それから、エビとかタコとかワカメとかカニとかは、彼らにとってはゲテモノだ。  ケニアの料理は食べ方が「分かち合い文化」そのもの。全員の分を大皿に盛って、テーブルの真ん中にどしんと置かれる。」p.93
・「アフリカ人がヨーロッパ人によって奴隷化されたのは、非常に簡単な理由による。それは、アフリカには、ヨーロッパのような武器生産が発達していなかったためである。〔中略〕つまり、ヨーロッパ文明は、戦争による多民族の支配を推進力として発達してきたのであった。これに対して、アフリカ文明は、人間の生活に、より比重をおいたものであって、アフリカ文明が、ヨーロッパのそれに比べて遅れていたわけでは、決してない。それは質のちがいであった(前掲書)。  この共同体に根ざす価値観、つまり、アフリカ的価値観について、私の体験から素朴な感想を述べると、それは、アフリカの暮らしではちっとも一人になれないということだ。」p.101
・「急の来客を嫌な顔せずにもてなすのが接客のマナーなら、来訪のマナーは、用件をすぐには話し出さないことだと言われる。お茶を飲んだり食事をしたり、場合によっては一晩泊まったりしてタイミングを見計らうのがお上品なのだそうだ。」p.121
・「「おねだり上手」のケニア人は、逆にねだられたとき、実は「断り下手」。」p.134
・「しかし、数日もいれば、そういう生活にもどうにかこうにか慣れてくるものだ。ところが、次に私が驚いたことは、一週間を過ぎたあたりから、毎夜食べ物の夢を見るようになったことだ。飢餓を知らない私としては、これは生まれて初めての経験だった。」p.176
・「無限に広がる透明の青空も、見渡す限りのサバンナも、都市文明から取り残された彼らにとっては、退屈という名の「牢」でしかないのだろう。三、四歳の子どもならまだしも、大人が暮らすには、農村の暮らしのその単調さは、絶望的なほどと言ってよいかもしれない。  そんな彼らを前に、私が「都会は疲れた消費文明のふきだまり。緑の大地の方がずっと豊か」と説いたところで、どれだけの説得力があろうか。」p.180
・「つまり、貧しい人々の将来を案じ、明日の社会を論じる、なんていうのは、実は私にとっては、衣食住の面で十分に恵まれた生活環境におかれて初めてできる「贅沢」だったのだ。」p.183
・「さて、改めて問う。私がケニアに惚れ込んだのはなぜなのか。  私をケニアの虜にしたのは、この国の社会そのものだ。言ってみれば、社会の度量の広さというようなものだ。(中略)ケニアの人たちは、われとわが生命を絶つ、という局面まで追い詰められることはまずない。  なぜ彼らは生きていけるのか。それは、必ず誰かにたかり、ねだっているからだ。」p.196
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