可愛い女・犬を連れた奥さん 他一遍, チェーホフ (訳)神西清, 岩波文庫 赤622-3, 1940年
(Chekhov, DAMA S SOBACHKOI 1899, JONYCH 1898, DUSHECHKA 1899)
・チェーホフの短編集。『犬を連れた奥さん』、『ヨーヌイチ』、『可愛い女』の三編収録。
・犬を連れた奥さん:バカンス先での、女たらしの中年男(グーロフ)と "犬を連れた奥さん" との不倫の話。
・ヨーヌイチ:若さ溢れる令嬢に恋し、夢心地で言い寄るものの振られてしまう、医師のヨーヌイチ(スタールッツェフ)。数年後、立場が逆転するも、悲しいことに夢は覚めてしまった。
・可愛い女:尽くす相手の男がいることで、可愛くいられる女の話。しかし不幸にもその相手の男を喪い続ける。
・いずれも男女の間の機微がテーマの小説。サラッと読めるものの、いずれも人間の持つ恐ろしい真理が含まれている気がします。
・チェーホフがロシアの作家だとはじめて知りました。恥ずかしいことに。
●『犬を連れた奥さん』
・「さんざ苦い経験を積まさせられたのだから、今じゃ女をなんと呼ぼうといっこう差しつかえない気でいるのだったが、その実この『低級な人種』なしには、二日と生きて行けない始末だった。」p.8
・「『それにしても、あの女にはなにかこういじらしいところがあるわい』と彼はふと思って、そのまま眠りに落ちて行った。」p.12
・「グーロフは今またあらためて彼女を眺めながら、一生の間には実にさまざまな女に出会うものだ! と思うのだった。」p.14
・「わたしは良人をだましたのじゃなくって、この自分をだましたのです。」p.16
・「せいぜいひと月もすれば、アンナ・セルゲーヴナの面影は記憶の中で霧がかかって行って、今までの女たちと同様、いじらしい笑みを浮べて時たまの夢に現れるだけになってしまうだろう――そんなふうに彼は高を括っていた。」p.23
・「「わたしとても苦しんでいますの!」と彼女は、相手の言葉には耳をかさずにつづけた。「わたしはしょっちゅうあなたの事ばかり考えていたの、あなたのことを考えるだけで生きていたの。そして、忘れよう忘れようと思っていたのに、あなたはなんだって、なんだってまた出かけていらしったの?」」p.32
・「彼には生活が二つあった。一つは公然の、いやしくもそれを見たい知りたいと思う人には見せも知らせもしてある生活で、条件つきの真実と条件つきの虚偽でいっぱいな、つまり彼の知合いや友達の生活とまったく似たり寄ったりの代物だが、もう一つはすなわち内密に営まれる生活である。」p.34
・「どの女も実際の彼を愛してくれたのではなくて、自分たちが想像で作りあげた男、めいめいその生涯に熱烈に探し求めていた何か別の男を愛していたのだった。そして、やがて自分の思い違いに気づいてからも、やっぱり元通りに愛してくれた。そしてどの女にせよ、彼と結ばれて幸福だった女は一人もないのだった。時の流れるままに、彼は近づきになり、契りをむすび、さて別れただけの話で、恋をしたことはただの一度もなかった。ほかのものなら何から何までそろっていたけれど、ただ恋だけはなかった。 それがやっと今になって、頭が白くなりはじめた今になって彼は、ちゃんとした本当の恋をしたのである――生まれて初めての恋を。」p.37
・「それから二人は長いこと相談をしていた。どうしたらいったい、人目を忍んだり、人に嘘をついたり、別々の町に住んだり、久しく会わずにいなければならないような境涯から、抜け出すことができるだろうかということを語り合った。どうしたらこの耐えきれぬ枷からのがれることが出来るだろうか?」p.38
●『ヨーヌイチ』
・「一同が彼女をとり巻いて、おめでとうを言ったり、驚嘆してみせたり、あれほどの音楽は絶えて久しく耳にしたことがないと断言したりするのを、彼女は無言のまま微かな笑みを浮べて聴いていたが、その姿いっぱいに大きく『勝利』と書いてあった。」p.47
・「「いやはや、恋をしたことのない連中というものは、じつに物を知らんものですなあ! 僕は思うんですが、恋愛を忠実に描きえた人はいまだかつてないですし、またこの優にやさしい、喜ばしい、悩ましくも切ない感情を描き出すなんて、まずまず出来ない相談でしょうねえ。だから一度でもこの感情を味わった人なら、それを言葉でつたえようなんて大それた真似はしないはずですよ。序文だとか描写だとか、そんなものが何になります? 余計な美辞麗句が何になります? 僕の恋は計り知れないほどに深いんです。……お願いです、後生ですから」と、とうとうスタールツェフは切り出した、「僕の妻になってください!」」p.62
・「人間というものは、高尚な輝かしい目的に向って進んで行かなければならないのに、家庭生活はわたしを永久に縛りつけてしまうにきまってますわ。」p.63
・「『無能だというのは』と彼は考えるのだった、『小説の書けない人のことではない、書いてもそのことが隠せない人のことなのだ。』」p.69
・「『よかったなあ、この人をもわらないで』とスタールツェフは思った。」p.69
●『可愛い女』
・「が、中でも一ばん始末の悪かったのは、彼女にもう意見というものが一つもないことだった。彼女の眼には身のまわりにある物のすがたが映りもし、まわりで起こることが一々会得もできるのだったが、しかも何事につけても意見を組み立てることが出来ず、なんの話をしたものやら、てんで見当がつかなかった。ところでこの何一つ意見がないというのは、なんという恐ろしいことだろう!」p.97
●解説
・「それかあらぬかこの作品は、その手法の簡素さ、味わいの渋さ、ほとんど象徴的なまでの気分の深さ、更には暗鬱な地膚のうえに漂うそこはかとないほの明りなどによって、後期のチェーホフの芸術的特徴を遺憾なく発揮しており、彼の生涯を通じての一代表作たるを失わない出来ばえである。若きゴーリキイがこれを一読して、「リアリズムに最後のとどめをさすもの」と感嘆しているのもよく首肯できる事柄である。」p.111
・「「翻訳者は原作の裏切者である」――こんな言い古された言葉を神西清は『旧訳と新訳』の中で書きもし、また座談の折など口に出して語ってもいたが、自身「翻訳者は裏切者である」とは信じていなかった。」p.117
(Chekhov, DAMA S SOBACHKOI 1899, JONYCH 1898, DUSHECHKA 1899)
・チェーホフの短編集。『犬を連れた奥さん』、『ヨーヌイチ』、『可愛い女』の三編収録。
・犬を連れた奥さん:バカンス先での、女たらしの中年男(グーロフ)と "犬を連れた奥さん" との不倫の話。
・ヨーヌイチ:若さ溢れる令嬢に恋し、夢心地で言い寄るものの振られてしまう、医師のヨーヌイチ(スタールッツェフ)。数年後、立場が逆転するも、悲しいことに夢は覚めてしまった。
・可愛い女:尽くす相手の男がいることで、可愛くいられる女の話。しかし不幸にもその相手の男を喪い続ける。
・いずれも男女の間の機微がテーマの小説。サラッと読めるものの、いずれも人間の持つ恐ろしい真理が含まれている気がします。
・チェーホフがロシアの作家だとはじめて知りました。恥ずかしいことに。
●『犬を連れた奥さん』
・「さんざ苦い経験を積まさせられたのだから、今じゃ女をなんと呼ぼうといっこう差しつかえない気でいるのだったが、その実この『低級な人種』なしには、二日と生きて行けない始末だった。」p.8
・「『それにしても、あの女にはなにかこういじらしいところがあるわい』と彼はふと思って、そのまま眠りに落ちて行った。」p.12
・「グーロフは今またあらためて彼女を眺めながら、一生の間には実にさまざまな女に出会うものだ! と思うのだった。」p.14
・「わたしは良人をだましたのじゃなくって、この自分をだましたのです。」p.16
・「せいぜいひと月もすれば、アンナ・セルゲーヴナの面影は記憶の中で霧がかかって行って、今までの女たちと同様、いじらしい笑みを浮べて時たまの夢に現れるだけになってしまうだろう――そんなふうに彼は高を括っていた。」p.23
・「「わたしとても苦しんでいますの!」と彼女は、相手の言葉には耳をかさずにつづけた。「わたしはしょっちゅうあなたの事ばかり考えていたの、あなたのことを考えるだけで生きていたの。そして、忘れよう忘れようと思っていたのに、あなたはなんだって、なんだってまた出かけていらしったの?」」p.32
・「彼には生活が二つあった。一つは公然の、いやしくもそれを見たい知りたいと思う人には見せも知らせもしてある生活で、条件つきの真実と条件つきの虚偽でいっぱいな、つまり彼の知合いや友達の生活とまったく似たり寄ったりの代物だが、もう一つはすなわち内密に営まれる生活である。」p.34
・「どの女も実際の彼を愛してくれたのではなくて、自分たちが想像で作りあげた男、めいめいその生涯に熱烈に探し求めていた何か別の男を愛していたのだった。そして、やがて自分の思い違いに気づいてからも、やっぱり元通りに愛してくれた。そしてどの女にせよ、彼と結ばれて幸福だった女は一人もないのだった。時の流れるままに、彼は近づきになり、契りをむすび、さて別れただけの話で、恋をしたことはただの一度もなかった。ほかのものなら何から何までそろっていたけれど、ただ恋だけはなかった。 それがやっと今になって、頭が白くなりはじめた今になって彼は、ちゃんとした本当の恋をしたのである――生まれて初めての恋を。」p.37
・「それから二人は長いこと相談をしていた。どうしたらいったい、人目を忍んだり、人に嘘をついたり、別々の町に住んだり、久しく会わずにいなければならないような境涯から、抜け出すことができるだろうかということを語り合った。どうしたらこの耐えきれぬ枷からのがれることが出来るだろうか?」p.38
●『ヨーヌイチ』
・「一同が彼女をとり巻いて、おめでとうを言ったり、驚嘆してみせたり、あれほどの音楽は絶えて久しく耳にしたことがないと断言したりするのを、彼女は無言のまま微かな笑みを浮べて聴いていたが、その姿いっぱいに大きく『勝利』と書いてあった。」p.47
・「「いやはや、恋をしたことのない連中というものは、じつに物を知らんものですなあ! 僕は思うんですが、恋愛を忠実に描きえた人はいまだかつてないですし、またこの優にやさしい、喜ばしい、悩ましくも切ない感情を描き出すなんて、まずまず出来ない相談でしょうねえ。だから一度でもこの感情を味わった人なら、それを言葉でつたえようなんて大それた真似はしないはずですよ。序文だとか描写だとか、そんなものが何になります? 余計な美辞麗句が何になります? 僕の恋は計り知れないほどに深いんです。……お願いです、後生ですから」と、とうとうスタールツェフは切り出した、「僕の妻になってください!」」p.62
・「人間というものは、高尚な輝かしい目的に向って進んで行かなければならないのに、家庭生活はわたしを永久に縛りつけてしまうにきまってますわ。」p.63
・「『無能だというのは』と彼は考えるのだった、『小説の書けない人のことではない、書いてもそのことが隠せない人のことなのだ。』」p.69
・「『よかったなあ、この人をもわらないで』とスタールツェフは思った。」p.69
●『可愛い女』
・「が、中でも一ばん始末の悪かったのは、彼女にもう意見というものが一つもないことだった。彼女の眼には身のまわりにある物のすがたが映りもし、まわりで起こることが一々会得もできるのだったが、しかも何事につけても意見を組み立てることが出来ず、なんの話をしたものやら、てんで見当がつかなかった。ところでこの何一つ意見がないというのは、なんという恐ろしいことだろう!」p.97
●解説
・「それかあらぬかこの作品は、その手法の簡素さ、味わいの渋さ、ほとんど象徴的なまでの気分の深さ、更には暗鬱な地膚のうえに漂うそこはかとないほの明りなどによって、後期のチェーホフの芸術的特徴を遺憾なく発揮しており、彼の生涯を通じての一代表作たるを失わない出来ばえである。若きゴーリキイがこれを一読して、「リアリズムに最後のとどめをさすもの」と感嘆しているのもよく首肯できる事柄である。」p.111
・「「翻訳者は原作の裏切者である」――こんな言い古された言葉を神西清は『旧訳と新訳』の中で書きもし、また座談の折など口に出して語ってもいたが、自身「翻訳者は裏切者である」とは信じていなかった。」p.117
しかし公に披露するにはちと意外。
思い通りにならない現実は、作品になる、糧になる。
無からみれば、人生の贈り物に等しい。
人生、
何事も起らない平穏と、
捨てたくなるほど波乱の激情と、
どちらが『楽しい』?
セレクト、かもめ、桜の園等々ではないところがどうも。
何故この本? ズバリ、薄い(百ページ強)からでーす!
しかし、内容は厚かった。数年前に買った本ですが、当時何を思って手に取ったかは謎です。
私は、誰もが経験する日常の断片と感じましたが。
『思い通りにならない現実は、作品になる、糧になる。』
いいフレーズですね。