PSP-C,すなわち小脳性運動失調を主徴とする進行性核上性麻痺(PSP)の総説を書く機会をいただきました.資料を整理していて,5月にお亡くなりになったJohn Steele先生とやり取りをしたメールを読み直し,感慨に耽りました.PSPはSteele-Richardson-Olszewski diseaseとも呼ばれますが(図1),先生はPSPが最初に報告された原著論文(1964)の筆頭著者です.
私たちは2009年にPSP-C論文をMov Disord誌に報告したものの,欧米ではそのような患者は皆無で,PSPの亜型として認めてもらえない状況が5年ほど続いていました.PSPに対する治験も進行していたため,私はこのまま認められないのではないかと焦っていました.海外の先生がたにこの病型を知っていただきたいと考え,2014年10月,PSP発見50周年記念の国際研究シンポジウム@ボルチモアに応募し幸い採択され,そこでSteele先生に初めてお目にかかりました.図2は共同研究者の饗場郁子先生が「宝物」と仰っている記念の写真ですが,お写真の通りとても穏やかな先生でした.
PSP-Cの存在を訴えたところ,この分野を牽引するLarry Golbe先生,David Williams先生,Guenter Höglinger先生らに「PSP-Cを認めてはどうか」というメールを送ってくださいました.その影響もあってか,2015年6月のMDS@サンディエゴにて暫定診断基準案を講演する機会をいただき(図3),その後,この亜型は急速に認知されました.2017年に発表されたMDS-PSP診断基準には残念ながら含まれませんでしたが,それでも「この亜型の存在は認めているが,希少であり,生前診断が可能な状況とはなっていない」という理由が記載されました.「苦境にあっても真摯に一所懸命に取り組んでいれば誰かが助けてくれる」という経験を私は何度かしていますが,まさにSteele先生は恩人のひとりです.
Steele先生は1960年,トロント大学の研修医としてPSP患者を担当されました.師匠のRichardson教授にとっては4人目の患者でした.当初,剖検で感染後パーキンソニズムと診断され,病理学者Olszewski教授に巡り合い,詳細な解析が行われるまでは苦労されたようです.先生はその後,脳神経内科医としてユニークなキャリアを送ります.1972年からは太平洋地域に生活の場を移し,船医になったり,マーシャル諸島や東カロリン諸島で働いたり,ハワイ大学の教授を務めたり,1982年からはグアム島の米海軍基地の病院に勤務しました.そこで運命に導かれるように,先住民チャモロ族特有の疾患で,症候や病態が一部,類似する疾患,ALS-パーキンソン病-認知症複合体(ALS/PDC)に出会われました.詳細な家系図の作成をし,血液試料や脳の剖検の同意を得て,他の研究者と協力してALS/PDCの原因究明に取り組みました(友人であるオリヴァー・サックス先生の小説にも詳しく書かれています).おそらく先生は,PSPやALS/PDCという従来なかった疾患の確立のために努力を重ねたご経験から,PSP-Cの状況を理解しご支援くださったのではないかと思います.
先生からいただいた最後のメールには「グアムでは紀伊半島と同様,ALS/PDCという病気がほぼ消滅したため,研究を終了することになりました.私が最も尊敬している素晴らしい科学者であり友人である葛原茂樹教授と一緒にこのグアムの地を訪れ,この病気の終息を目の当たりにしていただければ光栄に思います.先生がたとの再会を楽しみにしています」と書かれていました.グアムを訪問することが叶わなかったことは本当に残念です.ご冥福をお祈りしたいと思います.
Dr. John Steele, Fondly Remembered
Steele JC. Historical perspectives and memories of progressive supranuclear palsy. Semin Neurol. 2014 Apr;34(2):121-8(doi.org/10.1055/s-0034-1381740)
私たちは2009年にPSP-C論文をMov Disord誌に報告したものの,欧米ではそのような患者は皆無で,PSPの亜型として認めてもらえない状況が5年ほど続いていました.PSPに対する治験も進行していたため,私はこのまま認められないのではないかと焦っていました.海外の先生がたにこの病型を知っていただきたいと考え,2014年10月,PSP発見50周年記念の国際研究シンポジウム@ボルチモアに応募し幸い採択され,そこでSteele先生に初めてお目にかかりました.図2は共同研究者の饗場郁子先生が「宝物」と仰っている記念の写真ですが,お写真の通りとても穏やかな先生でした.
PSP-Cの存在を訴えたところ,この分野を牽引するLarry Golbe先生,David Williams先生,Guenter Höglinger先生らに「PSP-Cを認めてはどうか」というメールを送ってくださいました.その影響もあってか,2015年6月のMDS@サンディエゴにて暫定診断基準案を講演する機会をいただき(図3),その後,この亜型は急速に認知されました.2017年に発表されたMDS-PSP診断基準には残念ながら含まれませんでしたが,それでも「この亜型の存在は認めているが,希少であり,生前診断が可能な状況とはなっていない」という理由が記載されました.「苦境にあっても真摯に一所懸命に取り組んでいれば誰かが助けてくれる」という経験を私は何度かしていますが,まさにSteele先生は恩人のひとりです.
Steele先生は1960年,トロント大学の研修医としてPSP患者を担当されました.師匠のRichardson教授にとっては4人目の患者でした.当初,剖検で感染後パーキンソニズムと診断され,病理学者Olszewski教授に巡り合い,詳細な解析が行われるまでは苦労されたようです.先生はその後,脳神経内科医としてユニークなキャリアを送ります.1972年からは太平洋地域に生活の場を移し,船医になったり,マーシャル諸島や東カロリン諸島で働いたり,ハワイ大学の教授を務めたり,1982年からはグアム島の米海軍基地の病院に勤務しました.そこで運命に導かれるように,先住民チャモロ族特有の疾患で,症候や病態が一部,類似する疾患,ALS-パーキンソン病-認知症複合体(ALS/PDC)に出会われました.詳細な家系図の作成をし,血液試料や脳の剖検の同意を得て,他の研究者と協力してALS/PDCの原因究明に取り組みました(友人であるオリヴァー・サックス先生の小説にも詳しく書かれています).おそらく先生は,PSPやALS/PDCという従来なかった疾患の確立のために努力を重ねたご経験から,PSP-Cの状況を理解しご支援くださったのではないかと思います.
先生からいただいた最後のメールには「グアムでは紀伊半島と同様,ALS/PDCという病気がほぼ消滅したため,研究を終了することになりました.私が最も尊敬している素晴らしい科学者であり友人である葛原茂樹教授と一緒にこのグアムの地を訪れ,この病気の終息を目の当たりにしていただければ光栄に思います.先生がたとの再会を楽しみにしています」と書かれていました.グアムを訪問することが叶わなかったことは本当に残念です.ご冥福をお祈りしたいと思います.
Dr. John Steele, Fondly Remembered
Steele JC. Historical perspectives and memories of progressive supranuclear palsy. Semin Neurol. 2014 Apr;34(2):121-8(doi.org/10.1055/s-0034-1381740)