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たぶんねこ…♪

2016-05-15 10:58:44 | Weblog
久しぶりに読み返してみた。
畠中恵著、しゃばけシリーズの一冊、『たぶんねこ』。
表題にもなっている『たぶんねこ』は5話目に収録されている。
この世に未練をのこしたまま成仏できずにいる幽霊月丸の話。
当人が語るところによれば、小器用であったから何をやってもできないということはなかった。
古着屋で奉公し両替商で奉公し、両国の見世物小屋の下働きをし…。
役者になろうとしたこともあれば、船頭や絵師や岡っ引きになろうとしたこともある。
そのいずれにもなれないまま、病になって亡くなり、幽霊になってしまった。
月丸の心残りとは、“何者にもなれなかった自分とは何者なのか”ということだわな。
で、ふと思ったのさ。
月丸は、次々に手を出した諸々のこと、その中のどれか一つでもほんとに好きだったのかな、とね。
好きじゃなかった……わけじゃなかろうけれども、
これが好きだ、好きなんだ、これじゃなきゃダメなんだ…っ
と夢中になったことはなかったんじゃないかな。
小器用だから何をやっても人並みかそれ以上のことは出来る。
でも、何者かになるにはそれだけじゃぁ駄目なんだわな
たとえ不器用でも、時はかかっても、真摯に、夢中になってやり続けた者が何者かになれる。
月丸クン、そこんところに気付かないといけないわえ。
そして、こうも思ったのさ。
夢中になってやり続けたい“何か”には、誰でもが簡単に巡り合えるものじゃない、とね。
だから、現代では“自分探し”なんて御都合のいい言葉で飾りたてるんだろうけど。
夢中になれるものが見つからない……って…ねぇ…
何かを見つけてから夢中になろうと考えてるんじゃ、意味が違うんだよ。
目の前にある何か、たまたま巡り合った何かに真面目に取り組んでいるうちに、いつしか夢中になっていく。
夢中になってやり続けた結果、何者かになれる、…かもしれない…ってことさ。
そんなものなんじゃないのかい
小器用、つまり中途半端ってことでもあるわな
コメント
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