≪メディチの至宝展≫を見てきて、ふと思った。
けっこうな数の古代ローマ時代の工芸品が残っていることは昨日も書いた。
それらの物に金で縁取りをし、補強することで現代にまで残したのはメディチの功績だといっていい。
それが出来たのはもちろんメディチに財力と権力があったからだけど。
昨日も書いたように、技術の粋を尽くした精巧なペンダントヘッドやブローチもいくつもあった。
どれもそれほど大きくはない。
これでもかい…っとでも言いたげな、でかでかと大袈裟なものはない。
ま、有り体に言えば、財力や権力を誇示したくてしょうがないって感じの下品な物がなかった。
持てる財力と権力を何にどう行使するか、表現するか。
それって個人の教養に左右されるだろう。
金持ちと成金の違いってそこかな…。
トスカーナ大公家すなわちメディチ家が落日の時を迎え、世継ぎがなかった最後の大公妃はその有する至宝を
『フィレンツェの外に持ち出さないこと』
などを条件にときのハンガリー王に譲渡した。
そのお蔭でメディチの至宝は散逸して失われることなく現代までその姿を保っている。
ということは、ハンガリー王にもその後継者にも、最後の大公妃との約束を守るだけの教養があったということだ。
そうでなかったら、人気取りのために臣下にくれてやったり、売って私腹を肥やしたりしたかもしれない。
その価値を理解して守り受け継ぐというのは大変なことだもの。
それがあったればこそ、現代日本の私たちが古代ローマのカメオなどを見ることが出来るんだし。
メディチと、それを受け継ぎ残したハンガリー王にちょっと感謝したい気分になった。
けっこうな数の古代ローマ時代の工芸品が残っていることは昨日も書いた。
それらの物に金で縁取りをし、補強することで現代にまで残したのはメディチの功績だといっていい。
それが出来たのはもちろんメディチに財力と権力があったからだけど。
昨日も書いたように、技術の粋を尽くした精巧なペンダントヘッドやブローチもいくつもあった。
どれもそれほど大きくはない。
これでもかい…っとでも言いたげな、でかでかと大袈裟なものはない。
ま、有り体に言えば、財力や権力を誇示したくてしょうがないって感じの下品な物がなかった。
持てる財力と権力を何にどう行使するか、表現するか。
それって個人の教養に左右されるだろう。
金持ちと成金の違いってそこかな…。
トスカーナ大公家すなわちメディチ家が落日の時を迎え、世継ぎがなかった最後の大公妃はその有する至宝を
『フィレンツェの外に持ち出さないこと』
などを条件にときのハンガリー王に譲渡した。
そのお蔭でメディチの至宝は散逸して失われることなく現代までその姿を保っている。
ということは、ハンガリー王にもその後継者にも、最後の大公妃との約束を守るだけの教養があったということだ。
そうでなかったら、人気取りのために臣下にくれてやったり、売って私腹を肥やしたりしたかもしれない。
その価値を理解して守り受け継ぐというのは大変なことだもの。
それがあったればこそ、現代日本の私たちが古代ローマのカメオなどを見ることが出来るんだし。
メディチと、それを受け継ぎ残したハンガリー王にちょっと感謝したい気分になった。