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ミステリーの根幹を揺るがす傑作・・・桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」

2012-02-04 07:46:00 | 
 


<ネタバレ全開です。ご注意を!>

■ 日本版の「百年の孤独」 ■

「赤朽葉万葉が空を飛ぶ男を見たのは、十才になったある夏の事だった。万葉は私の祖母である。」

桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」は不思議な出だしで始まります。

「万葉」は「山の民」の娘である。戦後間もなくの時代に、山陰地方には「サンカ」とも「辺境に人」とも呼ばれる、近代日本の枠組みから外れた人々が山中に住んでいたという。彼らは、村や町で自殺者が出ると、夜間その亡骸を山に運び去り、密かに弔っていたという。そんな「山の民」の娘の「万葉」は、昭和二十八年の夏、山陰地方のある町の、井戸端に置き去られていた。三歳くらいの娘であった。

「万葉」は色が薄黒く、顔つきも他の人とは何処と無く違っていましたが、万葉が置き去られていた井戸端の近くに住む若夫婦は、万葉を自分の子供達と一緒に育てます。父親はこの町、「紅緑村」を支える近代製鉄所に勤める工夫です。若夫婦は万葉を、自分の子供と隔てなく育てますが、万葉は幾つになっても字が読めません。

ところが万葉は、人が見れない物を幻視します。それは山に頂にある屋敷の中であったり、空を飛ぶ男であたり、出会ったばかりの男の未来だったります。そんな不思議な力を持つ万葉は、何故か山の上の屋敷に住む、この町の製鉄所を経営する赤朽葉家の嫁として請われます。万葉の不思議な力が、赤朽葉家の繁栄を守ると信じる「赤朽葉の奥様」の、たっての願いで「山の民」の娘で製鉄所の工夫に育てられた万葉は、山の上のお屋敷へ、輿入れします。万葉を乗せた籠は、山おろしの強風に阻まれ、輿に付従う器楽奏者の楽器を吹き飛ばされ、輿も吹き飛ばされ、万葉は自ら歩いて赤朽葉の屋敷へたどり着きます。

そして、「山の民」の娘の万葉は「赤朽葉の若奥様」として、多くの子を産み、幾多の苦難を乗り越え、多くの悲しみと、多くの喜びを味わい、淡い恋を抱いて、その人生を終えてゆきます。

物語は、「万葉」、娘の「毛毬」、孫の「瞳子」の三代の女たちを、赤朽葉家と、製鉄の町の栄華盛衰と共に描いてゆきます。

「万葉」が主役となる第一部「最後の神話の時代」は、、日本版ガルシア・マルケスの「百年の孤独」と言っても過言ではありません。人々の中に神話が根強く生きる山陰地方の戦後の雰囲気を、既存の日本の作家の誰もが描く事の無かった、「南米の幻想小説」的手法で描き切ってゆきます。この第一部だけ取り出しても、近年稀に見る野心的な傑作小説です。

■ ライトノベル的ヤンキー小説への変貌 ■

第二部の「巨と虚の時代」は、万葉に長女「毛毬」の物語です。

気性の荒い彼女は、立派なヤンキーに成長します。
若者達が明確な敵を失いながらも、架空の敵に闘志を燃やす、昭和の荒ぶる若者の時代を、「毛毬」はレディースチーム、「製鉄少女」のリーダーとして駆け抜けます。山陰地方を制覇する最強のレディース軍団を作り上げた彼女は、きっぱりと足を洗って「少女マンガ家」に転身します。レディースの生き様を描いた「武闘派少女マンガ」は大ヒットを飛ばし、毛毬は押しも押されぬ人気漫画家となります。

「オイオイ、第一部の幻想小説はどこへ吹っ飛んでしまったんだよ!!」と思わずツッコミを入れたくなりますが、第二部は万葉を平行して描く事で、ライトノベルの様な「ご都合主義的」なストーリーを、強引に「幻想小説」に取り込んでいます。

ライトノベルには「不思議」な人たちが沢山登場しますが、毛毬を取り巻く人達も、シリアスながら、とても変な人たちです。この変な人たちが、第一部と第二部を見事に橋渡ししながら、毛毬の破天荒な物語は爆走します。そして、見事に真っ白な灰となって燃え尽きます。

■ 普通の現代小説ながら、なんとミステリーになってしまった ■

孫の「瞳子」はごくごくありふれた地味な少女です。
瞳子の時代には製鉄所もかつての栄華の名残も残らずに衰退しています。町は不況にさらされ、かつて多くの家族や使用人で溢れていた赤朽葉家も、数人の家族がひそやかに暮らすだけになっています。

「瞳子」は祖母「万葉」の死の直前に、重大なことを告げられます。
「万葉」はかつて人を殺した事があるのだと・・・・・。
瞳子は動揺します。大好きな祖母が「殺人者」だとは、思えないのです。
しかし、赤朽葉家の歴史は「死者の歴史」です。
多くの人が、この家で生き、生命の火花を散らして死んでゆきました。
祖母はいったい誰を殺したと言うのだろう・・・・瞳子は恋人と二人で、祖母の殺人を追い求めます。

全く信じられません。
いきなりの「推理小説展開」です。
ここまでの、万葉と毛毬の物語は、殺人事件の前振りでしかなかったのです。
たしかに、これまでに大勢の人が死んでいます。普通の死に方の人もいれば、普通でな人もいます。

地味な瞳子は、一ひとりの死因と祖母の関係を調べてゆきます。
素人の瞳子の調査は、聞き取りや図書館での調査を中心に淡々とすすめられます。
その過程で瞳子は、自分に連なる人達の生き様と死にざまを心に刻んでゆきます。
かつて隆盛を極めた赤朽葉家の人々。
烈火の様に生きた母である毛毬と、それを取り囲む人々。
瞳子の中で、赤朽葉家の歴史が再現されてゆきます。

そして、最後にたどりついた真相に、読者は驚きを隠せません。
この「殺人」は、かつてどんな作家も読者も出会った事のない「殺人」です。

■ 「推理小説」の定義を根底から覆す問題小説 ■

「赤朽葉家の伝説」は、女三代の大河小説として読んでも秀逸です。
あるいは「日本の幻想小説」としても、その価値は決して低くはありません。
そして、紅緑村の製鉄業の盛衰を戦後の日本史に重ねた歴史小説という側面も持っています。

しかし、この本は「日本推理作家協会賞」を受賞する、れっきとした「推理小説」です。
しかし、受賞の理由は、「誰も考えた事の無い見事なトリック」ではありません。

「誰も考えた事の無い殺人」を思いついた事へ受賞でしょう。
その「誰も考えた事の無い殺人」を成立させる為に、桜庭一樹は全力で「万葉」や「毛毬」という小説史上稀に見る魅力的なキャラクターを生み出したのです。

殺人事件のカギは、万葉のある能力です。それが欠落しているが故に、殺人事件が成立します・・・。

あまり書きすぎてしまっては面白くありませんので、後は本屋なり図書館なりで実際にこの本を手に取られる事をお勧めします。


我が家の中学三年生の娘は、彼女の15年の読書人生の中で最高に面白い本だと言っています。それは、46年の人生の私とて同じ感想を抱いています。

私は桜庭一樹こそが、現代日本で最高の作家であると、確信しています。



(参考までに)

読書感想文には向かないけれど・・・桜庭一樹「私の男」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/508.html