(↑我が家には、年賀状よりも先にクリスマスカードがあちこちから届きます。主にクリスチャンの友人や恩師からですが、これを読むのも年末のほっとするひと時です)
この日の午前中は、朝から家族総出での大掃除。
夫はケルヒャー使い、換気扇を中心に台所のクリーンナップ。
まーさんは自分の身の回りの拭き掃除と洗濯物たたみ、
息子は自分の部屋の掃除、
わたしはといえば、窓拭きと自分の机回りの片付けをしました。
もちろん全部がスッキリとはいきませんけど、
気になるところだけのピンポイント大掃除。
一気に皆でやりましたから、進みも早く、
午後はそれぞれゆっくりと。
家族全員昼寝タイムです(笑)。
そして、
夕方にはお正月ための食材買い出し!
色々片付けをしていると、
過去の自分と出会うことが多いです。
前にも書きましたっけね。
今回の再会は、籐の籠たち。
これら、実はわたしの祖母が作ったものです。
↓2014/1/26の記事です。
うちの祖母、
老人大学(当時わたしの故郷ではこういう名前の老人の社交の場、学びや趣味の場があるんです。今もあるのかな??)で
木目込み人形をやったり、籐籠を作ったり、
色々してましたっけ。
たくさん作ってたのに、
祖母が亡くなった後、それを探してもあまりないので、
当時、母と一緒に父を問い詰めたことがありました。
うちの父はすぐに何でもかんでも処分してしまう人で、
祖母の作ったものもだいぶ減ってしまってました。
実家に置いておけば、きっと全部捨てられると思い、
わたしは残っている籐籠を全部自分のアパートに引き取ったのでした。
そしてそれらを結婚後も持ち回り、今も手元に。
すでに3、40年経ってますけど、今も現役で使っているものもあったり、
納戸の奥にしまっているものもありました。
そのしまってたのをこの度発掘。
色がちょうどいい感じになっています。
埃を綺麗に取って、日干しして、
今後はどんどん使い込んでいくつもり。
祖母との思い出はたっぷり心の中に。
そして彼女の作った籐籠を使いながら、
彼女を偲ぶ機会にしたいと思います。
残されたものって面倒くさいことが多いですけど、
中には自分にとって特別なものもありますね。
自分にとって大事な人を偲ぶ一品、
それらはしまってしまわないで、
大事に使い終わって(使い切って)いきたいなと思いました。
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老人大学! 懐かしい言葉に出会いました!
ありました。ありました。
お祖母様。手先細かいですね。
温かみがあるし使いやすそうですね。
まーさんもお掃除をやられたのですね。
しっかりなさっていますね。
わたしの大事な最愛の祖母も、さまざまな手芸を習ってきていました。大学生だで!と笑っていましたよ。
籐編みは私自身が手を出しかけて断念していますので、おばあさまの作品、すごく気になります!
祖母が習得してきたのは、アンデルセン手芸、ちぎり絵、紙粘土細工、編み物などなど。
なかでも亡くなる直前まで精を出していたのは手毬作りでした。
フリーハンドで作られていく精巧な作品は押し入れ一杯では収まらず、いくつかは私も手元に置いています。
祖母は手仕事が当たり前だった人ですが、今思えば、あれはバブル期でした。
私が祖母の手仕事に憧れるのは背景にある色々な意味の豊かさに惹かれているのかな、とも思います。
昔の人たちは何でもコツコツ手仕事でという日々でしたから、こういうのもお茶の子さいさいだったのでしょう。たくさん作ってましたよ。流石に最初の頃のは形も整わなかったのですが、だんだん上手になってました。
何十年と経っていますが、全然使えます。祖母の温かみが伝わってくるようです。
まーさんには、二つお願いをしました。でも今年はなかなか前に進まなくって・・・。何度も何度も声をかけて何とか済ませるという感じでしたが、それでも「参加する」というのが大事かなと思いました。
「老人大学」とはすごいネーミングでしたね〜。でも祖母も嬉々として行ってたように記憶しています。ああいうサークル活動みたいなのって、田舎ではなかなかなかった時代ですものね。新しい取り組みだなあと感じてました。
tmtmさんのおばあさまは本当にいろんなことをされてたようですね。それを一つひとつtmtmさんが覚えてらっしゃるというところに、tmtmさんとおばあさまの関係性が見えて、素敵だなと思いました。手毬、今も手元に置いておられるとのこと、おばあさまも喜んでおられることでしょう。
そうそう、「豊かさ」って何だろうと考えさせられますよね。わたしも祖母のことを思い出すたびに、ものは豊富にあり、生活もある意味豊かになってるのにも関わらず、どこか自分たちが「貧しくなってる」ように感じることが多々あります。