さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

気仙沼から志津川へ

2025年01月06日 | 東北シリーズ


この日は気仙沼から志津川へ移動。南気仙沼駅まで歩いてBRTに乗る予定だが、
途中にこんな店が出来ているので朝飯に入ってみました。


津波で長らく更地になっていたところにこんなきれいな店が出来ていました。
働いているおねいさんたちもきれい^^ オサレなさつまいもパンとコーヒー。
向こうにはおばーさんたちが集って楽しくおしゃべりをしていました。こういう
人が集まれる場所が出来るのは嬉しいことです。震災後も10年以上経ったんだなあ。


南気仙沼はいまだにこんな感じだ。少し内陸で海が見えない場所なのに、ぜ~んぶ
流されちゃったんだなあ。。。


線路だったところにBRTがやってきました。


南に走るとホテルから見えていた三陸道路の橋が見えます。


BRTの専用道路はメインテナンスらしく、いまここは一般道路を走っています。
そういう意味でバスはフレキシブルに公道も走れるから便利だな。しかし来るたびに
ルートが変わるなあ。


海岸沿いはず~っと工事をしていたけれど、ようやくそれも終わってきたようです。
これで完成なのか?


コンクリートの海岸が出来上がって、これでいいのか?


たまーにきれいな浜辺が見える。少しほっとする。海岸沿いで、海が見えて
嬉しいって。。


ここは線路だったところ。


一本道で橋を渡ったりします。


ひたすら堤防だw


なんだかなー、という気分になりますよね。

国は復興に莫大な資金を出しています。それを被災者数で割ると、ひとりあたり
7000万円にもなるという話だとか。海が見えなくなる堤防をこんなふうに造るより、
被災者がほんとに喜ぶような支援の仕方が他にあったようが気がします。しかし
税金を公共インフラ以外に、どうやって使ったらいいんだ?


リアス海岸だから、たまに堤防が途切れて港が見えるんです。


そしてトンネル~。これが開通したのはこの100年くらいでしょうから、その前は
アクセスが大変で秘境だったのでしょう。


そして志津川に到着しました。ここも津波で壊滅的な被害を受けたところです。


気仙沼の1日

2025年01月04日 | 東北シリーズ


気仙沼の1日はヴァンガードに始まります。津波で大打撃を受けたジャズ喫茶ですが、
全国のファンからの支援を受けて復活し、その後オーナーとマスターが相次いで
亡くなられた後、地元のファンが有志で復活させた住民の憩いの場なのです。


ここには毎朝常連のおじーさんたちが集まります。必ずみんな来るので、もしも
何かがあって休むときは、心配されるので欠席届の連絡があるほどなのです^^


カウンター席はその方々で埋まるので、私はいつも後ろのテーブル席で会合を
見守っています^^; いつもはワイワイ楽しそうですが、私が今宵行くつもりの
「あさひ鮨」の会長さんは、これから入院するとか。あれまあw


天気はいいけれど寒くて小雪が舞っていますが、お散歩に復興記念公園まで歩いて
登りました。景色がいいからね。


向かいには私が泊まっているプラザホテル、私の部屋の窓も見えています。


厚着をしたおじーさんおばーさんが座って話し込んでいました。下からも別の
おばーさんがのんびりと登ってきます。ここも老人たちの集いの場になっている
ようです。寒いけどなあー!


あちらは鹿折地区。津波でほぼ全部流されて、大きな船が陸の奥まで打ち上げられて、
さらに流れ出た重油が燃えだして火の海になったところです。ニュースでの「気仙沼が
燃えています!」という絶叫の声が思い出されます。


集落ごとに震災で亡くなられた人たちの名前が残されています。同じ苗字が並んで
いるのが印象的。あの集落はあっちもこっちも〇✖さん、てあるあるですよね。
年齢まで刻まれていて、幼児の兄弟がいたりして涙が出そう。。

早めにホテルに帰り、午後はたっぷりと温泉に浸かって癒された1日でした。


朝にヴァンガードでお見かけした会長さんの店、あさひ鮨に。いまはもう息子さんの
代になっています。


まずはここ特産のフカヒレを使った「ひれ酒」。フグのほうが香りがいいと思うけど、
ここにきたらこれなのです。アテには鯵刺し。これがさすがに美味い!


会長さんはもうかなりの高齢だし、入院を控えているので店には来ていませんでした。
若旦那は私が会長さんを知っているというので、会長さんが描いた絵葉書をくれました。
絵が趣味なんです。新しい橋があるから、描いたばっかりだなぁ。


酒を飲んでいたら、「会長さんの知り合いには・・・」と一品サービスしてくれました。
それほどの仲ではないんですが^^;


ここの寿司は美味いぞぉ~。


おそらくはここでしか食べられない「フカヒレ寿司」。気仙沼のフカヒレは世界的に
有名なんですよ(^益^)b ああ、なんと贅沢!

途中でカウンターの横に座ったのが、大島で食堂を営む年配のシェフでした。大島と
いえば震災後に橋がかけられたところですが、地震があったときには連絡船も途絶えて
孤島となり、水にも食料にも大変困ったところです。避難民が集まったところで
料理番を頼まれ、作った食事がなんと島の住民全部の1900人分!!! 島民の食材を
その場所に集めて、作ったそうですーw 最後には島の名産、フカヒレの姿煮を
作ったとか。それは売り物だから沢山あったんだな^^; 報道では「それは言わ
ないでくれ」と注意されたそうです。別に恥ずかしいとかやましいことじゃないと
思うがなあ(^益^)w


あさひ鮨の若旦那に、古くからこの街でやっているスナック情報を教えて頂きました。
すぐ横でした。「でも(年が)かなり上ですよ」と3回も念を押される。私の
行きたいような店を聞くと、いつも「いいんですね?!?!」と確かめられるw

期待通りのおばーさま^^ 石巻育ちで十代で家を出て(家出だったとか)、北海道に
行こうと思って切符まで買って北上したのに最初に来たここ気仙沼で降りたら、
当時賑わっていた太田地区のキャバレーで住み込みで働けるというので、そのまま
居付いてしまってウン十年。なかなか聞いていて面白い半生記でした~。


その二日後、地元紙「河北新報」を読んでいたら、そのスナックのおばーさんが
働いていた太田地区が出てきた。遠洋漁船員で賑わう歓楽街があったのですねー。
それが例によって廃墟になっていたんだ。私が初めて気仙沼に来たのは震災後で
すべて更地になってからだったので、知らなかったわけです。最盛期も、廃墟に
なってからも来てみたかったなあー。


三陸を巡る旅

2025年01月02日 | 東北シリーズ


今回の三陸の旅は、気仙沼から南下して南三陸、石巻、そして牡鹿半島に宿泊します。
1週間という俺にしてはやや短い行程なので、珍しく新幹線で一ノ関へ。やっぱり
早いなあ。大宮から仙台に止まるだけで2駅だもの。しかし特急料金は高いw


今頃山形・秋田の西は大雪だが、こちら太平洋側は雪が少ない。それでも北国だから
山には雪が見えますね。


気仙沼に到着。ここからは線路が津波にやられて廃線になってしまったので、
BRTというバスになっています。ここから歩いてもいいのですが、ホテルに近いのは
次の駅なので、1駅だけBRTに乗り換えです。


線路がとぎれて、その上をアスファルトにしてしまったのです。乗るときにとある
おばさんが運転手に面白い質問。「どこで降りればいいのでしょうか?」( ゚Д゚)・・・
これにはさすがに「それはお客さんが降りたいところですよ^^」と答える。
そこで「大船渡」とおばさんが言うと、「では大船渡で降りて下さい」という
当たり前すぎる答え。イケてる会話でした(^益^;


この路線は、遮断機が電車と反対でバスのほうに普段降りてます。バスが通過する
ときに、上がるのです。


もと線路なので、トンネルがこんな感じです。人が歩くとか、単線なのですれ違う
とかがないので小さいんです。


「内湾入口」という駅に到着。新宿で切符を自販機で買うときに当たり前なんですが
名前が出るのでちと感動したなあ。


三陸はリアス式海岸なので、山が海岸まで迫っているし線路はトンネル続き。
それが津波で大打撃を受け、最初はとりあえずアスファルトを敷いてバスを通すが、
いずれはまた線路を・・・という選択肢もあったのですが、それには何千億円も
かかるのでどうやら無理そうです。


港にやってきました。以前には双頭の連絡船が大島を往復していましたが、橋が
かかってそれはなくなり、観光船だけとなりましたが、滅多に船の行き来はなくなり
ましたねえ。


例によって復活した「港町ブルース」の碑のボタンを押して、2番を聞く^^


ランプがついているところを見るとイカ釣り漁船かあ?


いつもの宿、気仙沼プラザホテルにチェックインし、その屋上からの眺めです。
右奥は震災時に津波とその後の大火事ですべて消滅した唐桑地区。


さっき通ってきた港。津波でほぼ更地になったところです。


東の海に向かって、手前の大きな橋は三陸道で、重なって見えますが奥の丸いアーチが
大島にかかった橋です。前に自転車で通りました。このブログの前の記事を遡って
もらいますと、津波で街が更地になった風景、連絡船で大島に渡ったとき、その後
橋がかかって自転車で渡ったとき、そして三陸道の大きな橋の工事中の様子が
順番に見られますよ^^;


南の市場方面。こちらもほぼ更地になっていたのがわからなくなるほどに建物が
再建されましたねえ。


たっぷり温泉に入りました。ここの湯は塩分がとっても濃いのですぅ~。
船乗りがよく日帰り湯に入りに来ているんですよ。


毎回必ず来る居酒屋「ぴんぽん」。名物の(?)御兄弟も健在♪


刺し盛りは「ぴん」が1000円、「ぽん」が2000円、「ぱん」が3000円で、私は
いつもひとりなので「ぴん」。それでもこれだけありますからねー。


カレイの唐揚げ♪


酒にはつぶ貝にしました。


帰りに出口の灰皿で一服したら、こんなのが貼ってありました。写真の御兄弟、
朗らかで優しくて、人柄がとってもよくて、料理も美味いし安いし、私は必ず
この店に来ます。でもだいぶ若いときの写真だな。。。


2軒目はスナックか?好きな喫茶店「マンボ」は定休日なのです。大震災から10年
以上が経ち、店もだいぶ増えました。しかし多いのがフィリピン、韓国、中国人の
お店。私は町の栄枯盛衰に詳しい、年配の日本人ママさんと話すのが好きなので
どうも外国人の店は好まない。さらにあんまり若い女の子のいる店は話が面白く
ない上に高かったりする。なので少し歩き回ったが入りたくなるような店はなかった。
少し情報を仕入れておかねばな。。。 ホテルにラウンジ「ビザンチノ」なんて
のがあるからそこにしようかと思って戻ったのだが、コロナも明けたのに、予約
しておかないと開けてないのだそうだw ひとりでも開けてくれるのかぁ?


というわけで、初日は酒場一軒でおしまい。しかたない、まだこれからだw